コノハナサクヤ姫 ~記紀と読み比べる~

 「コノハナサクヤ姫」って素敵な名前ですね。ネット上のコノハナサクヤ姫の絵は、みんなすごく美人に描いてあります。この「コノハナサクヤ」という名前には、24綾を読んでお分かりのように、素敵というだけでなく、悲しい話が潜んでいるのです。日本書紀にも古事記にも同じような話がありますが、ホツマツタヱのような情感は感じられませんでした。皆さんはどのように感じられるでしょうか。是非読み比べてください。
 先日Twitterwで24綾について「コノハナサクヤ姫って素敵な名前ですが、元の名はアシツ姫。浮気心を起こしたニニキネに振られた姉のイワナガ姫に貶められ、アシツ姫は産んだ三つ子と共に室に入り火を放ったが、白子宮の桜は咲き続け、潔白を示されたことから付けられた名前。この話だけはニニキネがダメ!」って書いたのですが、どうにもそれだけでは収まらないので、もうちょっと続けます。そこで、この場面が記紀とホツマツタヱにはどのように書かれているか、読み比べてみます。記紀については要約なので、是非記紀の原文も読んでいただきたいと思います。なお、日本書紀と古事記は名前の表記が違いますが、日本書紀の表記を使います。

 日本書紀には瓊瓊杵尊と木花開耶姫の出会いの話は二通りありますが、ホツマツタヱと近く、詳しく書かれた一書の方を取り上げ要約します。
      ① 瓊瓊杵尊が浜辺で美人を見つけ、名を尋ねる。
      ② 美人は『大山祇神(オオヤマツミノカミ)の娘で、神吾田鹿葦津姫(カムアタカシツヒメ)またの名を木花開耶姫』と名乗る。
      ③ そのついでに『姉の磐長姫(イワナガヒメ)がいる』と付け加える。
      ④ 皇孫に娘を求められた父親の大山津見神は二人を行かせる。瓊瓊杵尊は姉を醜いと思い、美人の木花開耶姫だけを召す。そして一夜にして姫は身籠る。
      ⑤ 磐長姫が「もし、皇孫が自分を召していたら、御子の命は長かったが、妹一人を召したので、生まれる子はきっと木の花の如く散り落ちるだろう」と呪う。これが人の命が短くなった原因だ。(日本書紀)
      大山津見神が「石長比賣を召せば御子の命は岩のように長く、木花之佐久夜毘賣を召せば木の花が咲き栄えるように栄えるだろう」と、二人を奉ったが、木花之佐久夜毘賣だけを召したので、「皇子の命は木の花のように儚いだろう」と恨み言を言う。(古事記)
      ⑥ 木花開耶姫は一夜にして妊娠するが、皇孫に一夜にして孕むとは自分の子ではないのではないかと疑われる。
      ⑦ 木花開耶姫は無戸室(ウツムロ)に入り、火をつけ、三つ子を産む。

 では、記紀とホツマツタヱを比べてみましょう。丸数字は、上の要約に対応しています。
      ① 記紀では偶然見つけた(もしかしたらハント?)美人に名を聞きます。この時代は、名を聞くということは求婚するということだそうです。
       ホツマツタヱでは「酒折りの宮の留守をあずかっていたオオヤマスミが宴を開いた。御膳を差し上げたアシツ姫をニニキネは一夜召して妻とした。」つまり、ニニキネ(瓊瓊杵尊)は氏素性のはっきりした姫と縁あって出会っています。
      ② 記紀ではで早々と「木花開耶姫」と名乗っていますが、「コノハナサクヤ」という言葉に込められた意味合いが全く分からないどころか、これでは「木花散耶姫」とでも言われそうです。
       ホツマツタヱでは「コノハナサクヤ姫」という名前は、後に姫の強い思いを知ったニニキネによって付けられた名前で、この段階はアシツ姫という名前です。「コノハナサクヤ」という言葉にドラマが隠されているのです。
      ③ 記紀ではなぜか木花開耶姫が「姉の磐長姫(イワナガヒメ)がいる」と紹介します。一人じゃ心細いので、姉もと思ったのでしょうか。この後の話からすれば、姉の容貌がイマイチだということぐらいわかっていただろうに、どうも真意がわかりません。
      ④ 記紀では大山祇神が磐長姫もいっしょに行かせますが、これは頼まれもしないことをしたということです。
       ホツマツタヱでは、アシツ姫が身籠った後、アシツ姫の母親があわよくばと姉のイワナガ姫も連れて来て、断られるのです。それを知ったオオヤマスミは「こんなことになろうかと思い、イワナガ姫を宴の席に出さなかったのに。さっさと帰りなさい」と追い返します。記紀とはまるで父親像が違います。
      ⑤ 日本書紀では磐長姫が、古事記では父親が、姫の名前にこじつけた恨み言を言っています。しかも、古事記に至っては恨み言を「白(モウ)し送りて言ひしく」というのだから、皇孫に言ったのでしょうか。そんなことができるの?「白(モウ)し送る」をどう解釈したらよいのでしょうか。
       ホツマツタヱでは、オオヤマツミにも追い返され、恨んだイワナガ姫が、アシツ姫が身籠ったのは浮気してできたのだと嘘の話を流します。
      ⑥ 記紀では皇孫が「一夜にして孕んだのはアヤシイ」と疑いますが、翌日に子どもができたと言われれば、それはあり得ないので疑われても仕方がないかも知れません。ですが記紀には「その後」と書いてあり、間もなく出産します。十分に時が経過しても「その後」に変わりはないので、「一夜」は「一夜限りなのに」と疑ったということでしょうが、可能性があるにも関わらず疑うとは瓊瓊杵尊も大した人物じゃない、と言いたくもなります。
       ホツマツタヱはそんなひどい話にはなっていませんが、嘘の噂話を真に受けて疑うとは「この話だけはニニキネがダメ!」というわけです。
      ⑦ 記紀は疑われるとすぐさま無戸室(ウツムロ)に入り、火をつけ、三つ子を産みます。木花開耶姫がものすごく勝気な女に見え、そこには情緒のかけらも感じられないのは私だけでしょうか。さらに、火をつけてから出産し、火の中から三つ子が這い出して名乗りを上げるという、神話にしても荒唐無稽な話になっています。さらに一書には、「本当は自分の子だと知っていたが、疑う者がいると思ったからウンヌン。それで、あざけりの言葉を言ったのだ」と、男の風上にも置けないことを言っています。
       ホツマツタヱでは、疑ったニニキネが出て行った後、アシツ姫は白子宮に桜を植え、「妬まれて受けた私の恥をそそいでください。この桜は、昔曾祖父のサクラウシが奉げたものです。ヲヲンカミが宮の大内に植えて、イセの道がうまくいっているかいないかを判断されました。桜よ、心あらば、私のお腹の子が他人の子であれば花はしぼんでおくれ。君の皇子ならば産む時に咲いておくれ」と願います。「コノハナ」である桜にはこのような意味合いがあり、それはすでに6、14、16綾で触れられています。三つ子を産んだ後もニニキネに心が届かず、姫は覚悟を決めて無戸室(ウツムロ)に入り火を付けますが、周りの者が火を消して救い出すのです。それでも白子宮の桜は咲き続け、ニニキネに気持ちが伝わるのですが、使者を遣わしても「ヒメウラミ フスマカブリテ コタエナシ(アシツ姫はニニキネを恨んで、夜具を被ったまま返事もしなかった)」など心情が細やかに語られています。その後、歌を贈ったりして(これは日本書紀の一書にもあります)やっとのことでアシツ姫の心を取り戻します。「コノハナサクヤ姫」という名前は、「アシツ姫は、子を産んだ日から桜の花が絶えなかったので、コノハナサクヤ姫とする」と、②で書いたようにニニキネが名付けたのです。

 どうでしょうか、我田引水かも知れませんが、ホツマツタヱの方がはるかに詳しく情感豊かに描かれていると思いませんか。  余談になりますが、ホツマツタヱではコノハナサクヤ姫が無戸室を造ったのは富士の裾野で、助け出されて連れて行かれたのが酒折の宮ということなので、静岡県富士宮市にある富士本宮浅間社の主祭神が木花之佐久夜毘売命、相殿に祭られている神が瓊々杵尊というのはよく分かります。ですが記紀では瓊々杵尊に恨み言を言っている大山祇神も相殿に祭られているのは合点がいきません。やはりホツマツタヱに軍配を上げたくなります。
 また神奈川県伊勢原市にある比々多神社は相模の国三宮と言われ、主祭神は豊斟渟尊(トヨクムヌノミコト)と天明玉命、雅日女尊、日本武尊の4神で、相殿神として大酒解神(大山祇神)、小酒解神(木花咲耶姫)が祭られています。この神社が大山を神体山としているということなので大山祇神とその娘が祭られているのは分かります。ですが、なぜこの二神がお酒の神様なのでしょうか。木花咲耶姫は縁結び・子授安産とされていますが、名前が小酒解というのも?です。比々多神社のホームページには、酒解(さかとけ)の神さまを称えて、新酒の醸造安全、酒類関係者の商売繁昌を祈願する「酒祭」という行事の記事もあります。「酒解の神」と言えば、二人を指すのではないかと思うのですが。では「酒解」の謎もホツマツタヱで解いてみたいと思います。
 ホツマツタヱ7綾「ノコシフミサガオタツアヤ」に「サガ」という言葉が出てきます。「サガ」の「サ」は「清い・正しい・善・神聖」などを意味する言葉、「ガ」は「悪い・邪(ヨコシマ)・暗い・穢れ」などと考えられるとしました。そして「サガ」は「正しい行いと邪な行い・罪のある無し」と解釈しました。もとは「サガトケ」だったが「サカトケ」となったとして、この解釈に当てはめ、「サガトケ(正邪の疑念が解けた)」すなわちニニキネの疑念が晴れたコノハナサクヤ姫と考えました。大山祇は父親なので、大酒解神となったと考えます。いつのまにか「サカトケ」は「酒解」と書かれ、大山祇と木花咲耶姫父娘は呑兵衛親子みたいになってしまった、と言ったら比々多神社さんに叱られそうですが・・・。
 言い訳ではなく、私は比々多神社が好きで、コノハナサクヤ姫が祭られている富士本宮浅間社とこの比々多神社には何度かお参りさせてもらっています。
・・・・・平成28年8月28日