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17-000 17 カンカガミヤタノナノアヤ
神鏡、八咫の名の綾
17-001 アメツチモ ウチトモキヨク
あまねく世の中が穏やかに
17-002 ナルトキニ ヲウチニハベル
治まっているある日、大内宮に仕える
17-003 トミタミモ ヤタノカガミオ
臣や民が八咫の鏡を
17-004 オガムトキ アマノコヤネガ
拝んでいた。アマノコヤネが
17-005 ツツシミテ ヤタトナヅクル
謹んで「八咫」と名付けた
17-006 ユエオコフ トキニアマテル
いわれを聞いた。そこでアマテルカミが
17-007 ミコトノリ ヤタハヤミタノ
話された。「『八咫』というのは大勢の民の背丈を
17-008 モトノタケ イニシエツクル
元にした長さである。昔、作られた
マバカリハ ヤソヨロヒトノ
マバカリは、大勢の人の
【マバカリ】 漢字を当てて考えると「間測り」とでもなろうか。長さを測る基準のことであろう。その基本単位は大勢の人の平均身長で、8咫とするということは16綾本文354に書かれている。
17-010 ナレタケオ アツメハカリテ
身の丈を集め均して計ったもので、
ヒトツボオ イマノヒトマノ
それを一ツボと言ったが、今の一間の
【ヒトツボオ イマノヒトマノ モノサシゾ】  今では1坪は尺貫法の広さの単位だが、この文の流れで読み取ると、アマテルカミが言っている昔は「ツボ」は長さの単位だったと考えられる。それがアマテルカミの時代では「ヒトマ」と呼ばれるようになっていた。これは私の推測だが、縦横「1ツボ」が広さの単位となって今の「坪」になり、「ヒトマ」は「1間」というように長さの単位になったのではないか。
17-012 モノサシゾ コノマバカリオ
長さである。このマバカリを
17-013 ヤキダワケ コレニヒツキノ
八つに分けて、これに日と月の
17-014 フタタマシ ヨノヒトガラノ
二咫を足して作ったのが、世の中の人の背丈を測る
タカバカリ タオトツダギリ
高測りである。一咫を十に分け
【タカバカリ】 文脈から身長を測る物差しと思われるが、この時代にそれがどのように活用されたのだろうか。
17-016 キトナヅク タミハヤタナリ
寸(キ)と名付ける。民の背丈は八咫と言うようにした。
17-017 タカバカリ ホカゼハニミヅ
高測りをホ、カゼ、ハニ、ミヅの
17-018 ヨツニワケ ウツホノヒトツ
四つに分け、もう一つウツホを
ツギアワセ アマノメクリノ
継合わせて、天が一回りするような
【アマノメクリノ マカリサシ】 「アマノメクリ」は、太陽の1巡りとも読み取れるが、この時代、地球から見て太陽が円を描いて回っていると認識していたのか定かではない。星が北極星を中心に1回りすることは十分に分かっていたと思われるので、私は星の動きを言っているのではないかと考える。
17-020 マカリサシ コレデヒトミオ
円形の物差しを作った。これで人の体を
17-021 イダカント マロメテワタリ
写そうと、円形で差し渡しが
17-022 フタタタル カガミハミヤノ
二咫ある鏡を作った。それを宮の
17-023 ミハシラニ カミオマネクノ
柱に掛けて、神を招くための
17-024 ヤタカガミ イマワタリタノ
八咫鏡としたのである。今は差し渡し一咫の
17-025 マルカガミ アテテヤタミノ
丸い鏡として、鏡にたくさんの民の姿を写して
ココロヰル ヤタノカガミノ
その心を写し出すのである。この鏡も八咫の鏡と言うが
【ココロヰル】 心を鏡の中に入れるということは、写された者の心が鏡の中に見えるということ。
17-027 ナニヨルナ ワレキクイニシ
元々の八咫の鏡に由来した名前なのである。吾は次のように聞いている。
カミノヤハ ムノタミメヨリ
昔、祖先の住まいは、家を建てる手引き図によって
【ムノタミメ】 ここの「ムノタミメ」は多くの研究者が「ム」という字の形からムロヤ(家)を造ったように解釈しているが、果たしてこの字の形を元にしたり印相を結んだりして家が建つものだろうか。物より、言葉より先に文字があるということがありうるだろうか。私は「ノー」としか答えようがない。「タミメ」については8綾解釈ノート243に「書き物」として不都合はないと書いた。この時代に今のマニュアルのような複雑なものはなかっただろうが、「マバカリ」をもとにいろいろなものを測る技術はかなり発達していたと思われるので、図面で表す「手引き図」(設計図)はあったと考えられないだろうか。
17-029 ムロヤタツ タミニヲシヱテ
家を建てた。それを民に教えたので
17-030 ヤネオナス マタヤノタミメ
家がたくさん建った。また、社を造る手引き図によって
17-031 ヤシロナル イマミヤトノニ
社を造った。今は宮殿にして
タミオタス ヤツハヤカタゾ
民を治めている。「ヤ」という言葉は「国の隅々まで」ということである。
【ヤツハヤカタゾ】 二つの「ヤ」が数詞で「8」を意味していると考え、ここでの「ヤツ」は「八という言葉」、「ヤカタ」は「八方」、すなわち「国の隅々」ということと解釈した。
タノオシテ ミヒカリマルノ
タ」のオシテは、三つの光が「○」の
【タノオシテ】 「オシテ」は署名や文書・文(フミ)としていくつかの綾に出てくる。ここだけが文字そのものを指している。ホツマ文字がオシテであり、それで書かれた署名・文書もふくめてオシテと言っていたようである。ここで、文字の形と文字の表わす意味の関連が述べられているが、解釈ノート028にも書いたように、この意味を持って文字が創られたというのではなく、文字の形からのイメージを言っていると私は考える。
ウチニヰル タリタスクノリ
中に入っている。それは足りる・扶けるという意味で、
【タリタスクノリ】  三つの光が○の中に入っている形が何を表しているかということだが、○の中に三方から入ることにより中が充足される、また、三方から扶けられているというようなことか。次の「ラ」のオシテにも言えることだが、このような意味を持って文字が創られたのではなく、文字の形から意味を後付したものと考える。
17-035 アメトチチ ウエシタカエス
天と父を表している。上下逆さにすると
17-036 ラノオシテ ツチトハハノリ
ラ」のオシテになり、大地と母を表している。
17-037 ヲヤガコオ ハラメバチタル
親が子を身籠れば、母親は乳が出る。
17-038 チチハハハ ゲニタラチネヨ
父母は、まさしく垂乳根である。
タモヲシモ チナキノタラヨ
治める人も教える人も、垂乳根ではないが、親なのである。
【タモヲシモ】 「タ」は「タス」の略で、この場合は「治める者」。「ヲシ」は人々に物を教える立場の人「教え人(オシエド)」と考える。そのような者は、人々の親のようなものだということであろう。
17-040 カンガミテ タスクルタミハ
それを考えると、吾が治めている民は
コノゴトク ヤタハヲヲヤケ
我が子のようなものなので、民たちこそが国の主体なのである。
【ヤタハヲヲヤケ】 「ヲヲヤケ」は「公」の意。アマテルカミは民を社会の主体とみていた。
17-042 イニシガミ ツクリサヅクル
昔の為政者が創って、次の代に授けた
17-043 トホコアリ トハトトノフル
トと矛がある。トは国を整え治めるための
17-044 オシテナリ フタカミウケテ
文(フミ)である。二尊がそれを譲り受け
17-045 ヲヤトナリ タミオワガコト
親となり、民を我が子として
17-046 ソダツルニ アツクヲシヱテ
育て、全力を尽くして教え
17-047 ヒトトナス ヲシヱテモナオ
善良な人にした。教えてもなお
17-048 サカラハバ ウチホコロバセ
逆らった時は矛で打って罰したが、