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35-000 35ヒボコキタルスマヰノアヤ
ヒボコ来る、相撲の綾
35-001 トキアスス ムモヤソコトシ
アスス六百八十九年
ネヤヱハル ムツキツアトハ
ネヤヱ春一月ツアト一日、
【ムツキツアトハ】 ここは前の34綾の繰り返し。「ツアトハ」は1日がツアトで、ヲミエは2日。
35-003 ヲミヱミコ イムナヰソサチ
二日ヲミエに皇子、諱ヰソサチは
35-004 トシヨソフ アマツヒツギオ
四十二歳で君の御位を
35-005 ウケツギテ イクメイリヒコ
受け継いで、イクメイリヒコ
35-006 アマキミト カサリオタミニ
アマキミとなった。正装の姿を民に
35-007 オカマシム キミウマレツキ
拝謁させた。君は生まれついて
35-008 タタナオク ココロホツマニ
大変に気持ちが真っ直ぐで、心は秀でて
35-009 オゴリナク ユメノシルシニ
奢ったところがない。夢比べによって天君となった
ミヨノハツ アキアニオクレ
御代の元年の秋、先の君の遅れた喪祭りを行い、
【アキアニオクレ】 「オクレ」を「遅れ」と読み、本来葬儀を済ませて即位するべきところ、「アニ」(天に還す)のが「オクレ」(遅れた)となり、即位と葬儀の順序が逆になったことと解釈した。
35-011 フユオサメ ハハイマナソコ
冬に葬った。母親は七十九歳で
ミウエトシ オオハハコトシ
御上后とした。祖母は
【オオハハコトシ モモヤソコ】 189歳はあり得ない年齢だが、次のような計算によっている。8代ヤマトネコヒコクニクル(孝元)が在位11年に14歳のイカシコ姫を妃とし、在位57年に崩御。その時イカシコ姫は60歳。9代ワカヤマトネコヒコ(開化)が即位しイカシコ姫をイキシコ姫として后とし、在位60年で崩御。その時イキシコ姫は120歳。その皇子ミマキイリヒコ(崇神)が在位68年で崩御。その時イキシコ姫は188歳。そして、イクメイリヒコ(垂仁)が次の年にイキシコ姫を「オオハハ」としたので、「オオハハコトシ モモヤソコ(189歳)」となる。私の計算では実際の年齢は72歳ぐらいと思われる。
35-013 モモヤソコ フトシキサラキ
百八十九歳である。二年二月、
35-014 サホヒメオ ウチミヤニタツ
サホ姫を后にした。
ニイミヤコ ウツスマキムキ
新しい都を纏向の
【マキムキ タマキミヤ】 桜井市の纏向遺跡の近くに「垂仁天皇纏向珠城宮跡」の石碑がある。(「神々と天皇の宮都をたどる」高城修三)
35-016 タマキミヤ シハスウムミコ
珠城宮に遷した。十二月に産んだ皇子
35-017 ホンヅワケ アエモノイワズ
ホンヅワケはなかなか言葉を発するようにならなかった。
35-018 ミマナヨリ ソナカシチシテ
ミマナよりソナカシチが
35-019 ミツギアゲ ハツミヨイワフ
貢物を献上し、新しい御代の祝いに来た。
35-020 ヲヲンミキ タマヒタマモノ
君は酒を振る舞い、贈り物として
35-021 ヰツイロノ カツミネニシキ
五色のたくさんの錦と
35-022 アヤモモハ ミマナノキミニ
綾織り百枚をミマナの君に
35-023 タマワリテ シホノリヒコガ
賜った。シホノリヒコが
35-024 ノボリタテ クニニオクレバ
幟を立ててミマナの国まで送ったので
ミチヒラク ミホハモロスケ
それより両国の親交が始まった。三年一月にモロスケを
【ミチヒラク】 両国はすでに交流があったので「国交」ではなく、国同士の親しい付き合いを始めたという意味で「親交」とした。
35-026 トミニメス ムカシヒボコガ
臣に召し上げた。昔ヒボコが
ミヤゲモノ ハボソアシタカ
土産として献上した物は、葉細、足高、
【ハホソアシタカ】 「ハホソ」と「アシタカ」は日本書紀には「タマ」となっており、「ハホソ」は「羽太玉」とも「葉細珠」ともなっている。どんなものか想像がつかないが、「ウカガ珠」以降はどんなものか分かるような表記なので、「ウカガ珠」までは「珠」の名前とする。
35-028 ウカガタマ イヅシコカタナ
ウカガ珠、出石小刀、
イツシホコ ヒカガミクマノ
出石矛、日鏡、熊の
【クマノヒモロゲズ】 「ウカガタマ」から「ヒカガミ」と「イデアサノタチ」は、珠・小刀・矛・鏡・太刀と、どんなものかのイメージはわくが、「ヒモロゲズ」は分かりにくい。「ヒモロゲ」は「ヒモロギ、ヒボロギ、ヒボロケ、ヒモロケ」などと言われる神に供える米・餅・肉などの供物を指すと思われる。「ズ」に「豆」の字を当てると、広辞苑によると「ズは唐音」というところが引っ掛かるが、「中国古来の台付の皿または鉢。食物を盛る。陶製・青銅製・木製などで、祭器にも用いる。日本の高坏にあたる。」とあり、そのような器をヒボコの国で「ズ」と呼んでいたと仮定し、熊の装飾のあるそのような器ではないかとも考える。何か考古学的に見つからないものだろうか。
35-030 ヒモロゲズ イテアサノタチ
神籬皿、出浅の太刀で、
35-031 コノヤクサ タジマニオサム
この八種は但馬の宮に納めてある。
35-032 ミヅカキノ ミソコヒボコハ
瑞籬の三十九年にヒボコが
35-033 ハリマヨリ イタルシシアワ
播磨からシシアワへ出かけた。
35-034 ソノトキニ オオトモヌシト
それを知った時、君はオオトモヌシと
35-035 ナガオイチ ハリマニヤリテ
ナガオイチを播磨に遣わして
35-036 トハシムル イワクシラキノ
何者なのかを確かめさせた。ヒボコは「私は新羅の
35-037 キミノアコ ナハアメヒボコ
王子で、名前をアメヒボコと申します。
35-038 オトチコニ クニオユツリテ
弟のチコに国を譲り、
35-039 ヤツカレハ ヒジリノキミニ
私は聖の君に
35-040 マツロイヌ ツカイカエリテ
仕えるために来ているのです」と言った。遣いの二人は帰って
35-041 コレオツグ ヨリテハリマノ
君に報告した。それを聞いた君はヒボコに「播磨の
35-042 イデサムラ アワチシシアワ
イデサでも淡路のシシアワでも
35-043 ママニオレ ヒボコモフサク
好きな所に住んでよい」と言われた。ヒボコは
35-044 スムトコロ ユルシタマハバ
「お許しいただければ、住む所を
35-045 メクリミン キミユルサレバ
探させてください」と言った。君が許されたので
35-046 アメヒボコ ウヂガワノボリ
アメヒボコは宇治川を上って
35-047 アワウミノ アナムラニスム
淡海のアナ村に住んだ。
35-048 マタサラニ ワカサメグリテ
また、更に若狭を巡り、
35-049 スムタジマ トモスエビトハ
一緒に来た陶工は
ハザマタニ ノコシイスシマ
ハザマ谷に残し、ヒボコは但馬に住んだ。イスシマの
【ハザマタニ】 滋賀県竜王町に鏡山や須恵という地名があり、鏡谷窯跡群もあることから、この辺りではないかと思われる。
35-051 フトミミガ マタオオメドル
フトミミの娘のマタオを妻にした。