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32-000 32フジトアワウミミヅノアヤ
富士と淡湖、瑞の綾
32-001 トキアスス ヨモフソヤトシ
アスス四百二十八年
32-002 ハツソフカ アマツヒツギオ
一月十二日、君の御位を
32-003 ウケツギテ ヤマトフトニノ
受け継いで、ネコヒコはヤマトフトニノ
32-004 アマツキミ イムナネコヒコ
アマツキミとなった。
32-005 モロハカリ アメノミマコノ
諸臣に諮って、天の御孫(ニニキネ)の
32-006 ノリオモテ タミニオガマセ
前例に従って、正装の姿を民に拝謁させ、
32-007 ハハオアゲ ミウエキサキト
母の御位を上げて御上后とした。
コゾシハス ヨカニクロダノ
前年の十二月四日に黒田の
【クロダノイホド 】 奈良県磯城郡田原本町黒田に「孝霊神社(別名、廬戸神社)」がある。
32-009 イホドミヤ ウツシテコトシ
廬戸(イホド)に宮を遷して、今年を
32-010 ハツコヨミ フトシキサラギ
ヤマトフトニ元年とした。二年二月
32-011 ソヒニタツ シキノオオメガ
十一日に、磯城のオオメの娘の
32-012 ホソヒメオ キサキゾカスガ
ホソ姫を后にした。カスガ
32-013 チチハヤガ ヤマカヒメナル
チチハヤの娘のヤマカ姫を
32-014 スケキサキ トイチマソヲガ
スケ妃とし、トイチマソヲの娘の
32-015 マシタヒメ ココタエトナル
マシタ姫をココタエにした。
32-016 ウチヨタリ オシモモヨタリ
内妃は四人、シモ妃も四人とした。
32-017 ミトシハル オオミナクチト
三年春、オオミナクチと
オオヤグチ トモニスクネト
オオヤグチを一緒に宿禰にした。
【スクネ】 広辞苑では、「古代、重臣に対する敬称」また「朝廷豪族中の有力な諸氏に与えた姓の一種」となっているが、単なる姓ではなく位を指しているのではないか。
32-019 ナツウチメ ヤマトクニカガ
夏、内妃のヤマトクニカ姫が
32-020 ミツゴウム ナハミナヤマト
三つ子を産んだ。名はみなヤマトを付けて
32-021 モモソヒメ ヰサセリヒコニ
ヤマトモモソ姫、ヤマトヰサセリヒコ、
32-022 ワカヤヒメ ハハモヤマトノ
ヤマトワカヤ姫である。母もヤマト
32-023 オオミヤメ ソヒフユイモト
オオミヤ姫という名前を賜った。十一年の冬、オオミヤ姫の妹の
32-024 ハエオウチ ソミシハスハツ
ハエ姫を内妃にした。十三年十二月一日、
32-025 ハエヒメモ マタミツゴウム
ハエ姫もまた三つ子を産んだ。
32-026 ナハヱワカ タケヒコノナカ
名は長男がヱワカタケヒコ、二男が
32-027 ヒコサシマ トワカタケヒコ
ヒコサシマ、三男がトワカタケヒコである。
32-028 ハハモアケ ワカオオミヤメ
母も称えてワカオオミヤメとした。
32-029 ソヤホハル ハツモチキサキ
十八年一月望の日に、后が
32-030 ウムミコハ ヤマトネコヒコ
産んだ皇子は、ヤマトネコヒコ
32-031 クニクルノ イムナモトギネ
クニクル、諱モトキネである。
32-032 フソヰハル イツモハツソヒ
二十五年春、恒例の一月十一日に
32-033 アカタメシ ミナモノタマヒ
県主を召して、みなに賜い物を与え
32-034 ミコトノリ モシヒハラミコ
詔を下した。「もし、三つ子を
ウムモノハ ミカドニツゲヨ
産んだ者がいたら吾に知らせよ。
【ミカドニツゲヨ】 「ミカド」は天皇の尊称の「帝」とも取れるが、自ら尊称を使うことになる。「御門」と読み、皇居の門、天皇の居所をいうことで自らを表している。
32-036 シタタミモ タマモノアルゾ
下の民であっても褒美を与えよう。
32-037 ソノユエハ アメノミマゴノ
その訳は、天の御孫の后の
32-038 サクヤヒメ ミツコウムヨリ
コノハナサクヤ姫が三つ子を産んで
32-039 ノチキカズ ワレイマミツコ
以来、三つ子の話は聞いていない。吾には今三つ子が
32-040 ウムニツキ ホノカニキケバ
生まれたが、伝え聞くところによると
32-041 ミツゴオバ マビクトナズケ
三つ子を、間引くと称して
32-042 コロストヤ イマヨリアラバ
殺しているそうだ。今から、そのようなことがあれば
32-043 ツミヒトゾ ワカコモヒトハ
罪人にする。自分の子であっても人は
32-044 アメノタネ シカイヌチヨリ
天から授かったものだ。鹿や犬の千匹より
ヒトヒトリ タケミナカタノ
人ひとりの命は大切である。これはタケミナカタの
【タケミナカタノノリ】 15綾本文134以降に諏訪の臣(タケミナカタ)が、信濃が寒く、鳥の肉を食べることを願い出てからの出来事が書かれている。これが教訓となった。
32-046 ノリナリト ミコトサダマル
教えである」と決まりが定まった。
32-047 クニツカサ タミニフレント
国司は民にこの詔を知らせようと
32-048 モロカエル アスソフカアサ
みな帰った。翌十二日の朝
32-049 スワハフリ ハラヤマノヱオ
諏訪の祝主が富士山の絵を
32-050 タテマツル キミコレオホム
献上した。君はこの絵を褒めた。
32-051 オナジトキ シラヒゲノマコ
同じ時、白髭(スセリ)の子孫の
32-052 アメミカゲ アワウミノヱオ
アメミカゲが淡海の絵を
32-053 タテマツル キミオモシロク
献上した。君が大変気に入った
タマモノヤ アルヒカスガニ
献上品であった。ある日カスガに
【アルヒカスガニ ノタマワク】 「カスガ」は誰か。父親の兄弟(叔父)で母親の親(祖父)でもあるカスガヲキミ(オシギネ)と、スケ妃のヤマカ姫の父親のカスガチチハヤが考えられる。二人のカスガは叙述からは同一人物とは考えられないが、「カスガ」という名から近い関係ではあろう。ここでは、父親がしたことを親密に話していることから、カスガヲキミではないかと考える。