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24-000 24コヱクニハラミヤマノアヤ
コエ国ハラミ山の綾
24-001 ソモソモニ ミマゴニニギネ
そもそも御孫ニニキネが
24-002 ニハリミヤ ツクバニヲサム
新治の宮や筑波を治めてから
トシステニ ミスズフチヰソ
年は既に長い年月が過ぎた。
【ミスズフチヰソ】 3スズめの2050年、すなわち122050年。この長さはあり得ない数字なので、「長い年月」とする。
24-004 ツラツラト オボセバタミノ
御孫はつくづく考えられた。「民が
24-005 フユルホト タハマサヌユエ
増えるほどに田は増えなかったので
24-006 カテタラズ ヒラバノオタハ
食糧が足りなくなってしまった。平地の田は
24-007 ミツタエズ タカタハアメノ
いつも水があるが、高い所の田は雨が
24-008 フラヌトシ タネオホロボス
降らない年は稲穂が実らない。
24-009 カワカミノ ミヅオカケヒニ
川上の水を懸樋で
24-010 ハコバセト コレモクツレバ
引いたが、これも壊れたので
24-011 イセキタテ ツツミキツキテ
井堰を造って、堤を築き
24-012 ヤマミツオ トリテタカタオ
上流の水を引いて高い土地に田を
24-013 ヒラカント イヅノカモフネ
拓こう」。そこで、伊豆から鴨船で
24-014 イセニツケ メクリコエトモ
伊勢に行って、国中を巡りたいと願いでたが、
24-015 ヲヲンカミ ユルサスココニ
アマテルカミが許さなかったので、ニニキネは伊勢に
カリスマヰ ヤマタノタカク
仮住まいをした。山田の野は高いところだが、
【ヤマタノ】 三重県伊勢市、伊勢神宮の近くに近鉄山田線や参宮線が通り「宮川」や「山田上口」という駅名があるので、その辺りと思われる。
24-017 ミヤカワノ カミヨリイセキ
宮川の上流より井堰で水を引き
24-018 ツツミツキ ツイニタカノオ
堤を築いて、ついに高地の野原を
24-019 タトナセバ ヰトセノウチニ
田にし、五年も経たずに
24-020 ミツホナル ホカニソヤカノ
稲が実った。その他に十八か所の
24-021 イセキナル トキニアマテル
井堰を造った。それを認めたアマテルカミが
24-022 ミコトノリ ヤシマメクレト
「国中を回って広めるように」と詔を下され、
フレタマフ トキフソコスス
この旨を皆に広く知らせた。二十九スズ、
【フソコスス ヰモノヒヱ ミソヤキサラギ】 マサカキ暦とキアヱ暦とが併記されており、38年はキアヱ暦の38番目の年(サアト)ということではないか。
24-024 ヰモノヒヱ ミソヤキサラギ
五百一枝、三十八年二月
24-025 ツイタチト ムメノハナミノ
一日に梅の花見の
24-026 ミアエシテ ヒヨミノミヤノ
宴を開いて、ヒヨミの宮で
カトテノリ ムカシヒヨミノ
門出の儀式を行った。昔、ヒヨミの
【ヒヨミノ オモイカネ】 「ヒヨミ」は「日読み」で暦のこと。この場合は暦を作る者を指している。
24-028 オモイガネ コヨミツクリテ
オモイカネが暦を作るために
24-029 ココニアリ ノチムラクモニ
このヒヨミの宮にいた。その後ムラクモに
24-030 ユズリオク ムラクモアメノ
仕事が引き継がれていたが、今は、ムラクモはホノアカリの
24-031 ヲントモニ アスカニハヘル
御供をして飛鳥の宮で仕えている。
24-032 タチカラヲ ヲヤノアトトテ
タチカラヲは親のオモイカネの後を継いで
24-033 ココニアリ ミカリノヲトモ
このヒヨミの宮にいたが、ニニキネの巡幸のお供を
24-034 コフユエニ ムラクモメシテ
願い出たので、ニニキネは再びムラクモをヒヨミの宮に呼びよせ
24-035 ミコトノリ ナンヂムラクモ
詔を下された。「汝、ムラクモよ、
24-036 コヨミナス カガミクモレバ
暦を作るのに、ムラクモという名では鏡が曇るようである。
24-037 タマフナハ アメフタヱナリ
アメフタヱと名を授けよう」
フタヱケフ ミアエオナセバ
アメフタヱはニニキネが巡幸に旅立つ日に宴を開いた。
【ケフ】 「今日」と訳すところだが、旅立つ当日のことと解釈して意訳した。
カトイデニ ミハタノトメノ
門出に際して、アマテルカミは「御機の留」の
【ミハタノトメ】 本文049から060までの文を指す。
24-040 ヲンフミオ ミマコニタマヒ
御文書を御皇孫ニニキネに授け、
24-041 ミカガミオ コヤネニタマヒ
御鏡をアマノコヤネに授け、
24-042 ミツルギオ コモリニタマヒ
御剣をコモリに授け、
ノタマフハ サキニミクサノ
話された。「先に三種の
【サキニミクサノ タカラモノ…】 アマテルカミからオシヒトに皇位が継承され、次に兄のホノアカリに継承された。ホノアカリはアスカの君となったが、すぐに宮を遷すと言い出すなど思慮に欠けるところがあり、臣の大物主(クシヒコ)はそのもとを去った。アマテルカミはホノアカリの能力を見抜いたのか、ホノアカリ在位のまま、弟のニニキネを筑紫の君とした。タケヒトがヤマトを統一するまで君が二人いたことになる。
24-044 タカラモノ ミコオシヒトニ
宝物を皇子のオシヒトに
24-045 タマイシハ アニミマコヱテ
授け、それをホノアカリが引き継いで
24-046 フトタマト カクヤマハネノ
フトタマとカグヤマが左右の
24-047 ヲミトナル コヤネモノヌシ
臣となった。この度はアマノコヤネと大物主が
24-048 キヨヒトガ ハネノヲミナリ
キヨヒト(ニニキネ)の左右の臣である。
24-049 キミトヲミ ココロヒトツニ
君と臣は心を一つにせよ。
カノトリノ カタチハヤタミ
『カの鳥』の体はすべての民で、
【カノトリ】 30綾本文062にも同じ内容の言葉が「都鳥」として書かれている。「カ」は光、明るい、良い、正しい。「トリ」は国の政の形で、民を胴体としたのは、民が国の本体だという考えか。それを「都鳥」と呼んだのであろう。
24-051 クビハキミ カガミハタハネ
首は君である。鏡の臣は左の羽、