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02-046 マタキトテ ナモウビチニト
あつく結ばれ、名もウビチニ尊と
スビチカミ コレモウビニル
スビチニ尊と名乗った。これもこの世ができた話と同じように
【ウビニルフルコト】 「ウビ」はまだこの世の形が定まらないとき、水と土がまじりあっていたと考えられていた時の泥のような状態をいう。まだ世界は熱くドロドロの状態から次第に静まった昔のことに匹敵するほど古い話だということ。
02-048 フルコトヤ オオキスクナキ
古い話なのである。『多い、少ない』ということを
02-049 ウスノナモ コノヒナカタノ
『ウ・ス』というのもこの話による。これがもとになり正装は、
02-050 ヲハカムリ ウオソデハカマ
男は冠をかぶり、大袖に袴を着け
02-051 メハコソデ ウハカツキナリ
女は小袖に被衣(カズキ)を被るようになった。
02-052 コノトキニ ミナツマイレテ
この時以来、みな妻を迎え入れるようになり、
02-053 ヤソツツキ モロタミモミナ
多くの臣達もこれにならい、全ての民もみな
02-054 ツマサタム アメナルミチノ
妻を娶るようになった。世の中の決まりが
02-055 ソナワリテ タグヒナルヨリ
整い、夫婦が一緒に生活するようになってから
02-056 トシカゾエ ヰモツギアマノ
年が経ち五百本目の
マサカキヤ ヰツヨノカミハ
真榊が尽きた時の五代目の君は
【ヰツヨノカミ】 本文022で、わたしは、クニトコタチ、クニサツチ、トヨクンヌはそれぞれ一人ではなく、何人も続いた「時代」と捉え、「三世」と訳した。オオトノチ・オオトマエ尊を「五世」ではなく「五代」としたのは、三世の時代を経て、「モモヒナキ・モモヒナミ」という個人が君として表現されているところから「代」と表すことにした。ここからは、モモヒナキ・モモヒナミ尊を四代、オオトノチ・オオトマエ尊を五代というように表わす。
02-058 オオトノチ オオトマエナリ
オオトノチ尊とオオトマエ尊である。
ツノクヰハ オオトノニヰテ
ツノクヰ尊は大殿にいて
【オオトノ】 宮殿の正殿、貴人の御殿、邸宅、居室等。ここでは居室。
02-060 イククイオ トマエニアイミ
イククイ尊を大殿の前に招き見合いをして、
02-061 ツマトナス カレヲハトノゾ
妻にした。故に男君は『トノ』と、
02-062 メハマエト ヤモツツキマデ
女君は『マエ』と、末永く呼ばれるようになった。
02-063 ムヨノツギ オモタルノカミ
六代目オモタル尊は
02-064 カシコネト ヤモオメクリテ
妻のカシコネ尊と多くの地を巡って
02-065 タミオタス ヲウミアツミノ
民を治め、近江のアツミを
ナカハシラ ヒカシハヤマト
国の中心として定めた。東はヤマトや
【ナカハシラ】 国の中心地のシンボルとして柱を立てたのか、また国の中心地そのものを言う言葉なのか。中柱は天界とつながるところとして考えられていた。実際に柱を立てたとしても、それが屋外に立てられたのか宮の中の柱なのかはわからない。
【ヤマト】 東海地方。月隅は九州(筑紫)。葦原は近畿。阿波は四国。素戔は三重県南部。ネは北陸。ヤマトは東海のヤマトではなく白山本と考え、石川県。細矛は島根県。千足国は鳥取県。以上の辺りと考える。
02-067 ヒタカミモ ニシハツキスミ
ヒタカミ、西はツキスミ
02-068 アシハラモ ミナミアワソサ
アシハラも、南はアワ、ソサ、
02-069 キタハネノ ヤマトホソホコ
北はネのシラヤマモト、ホソホコ、
02-070 チタルクニ オヨベドモヨホ
チタル国まで治政が及んだが、長い年月
02-071 ツギコナク ミチオトロヒテ
オモタル尊には世継ぎもなく、決まりも守られなくなり
02-072 ワイタメナ トキニアメヨリ
秩序がなくなった。そのようなわけで、オモタル尊・カシコネ尊より
フタカミニ ツボハアシハラ
二尊(イサナギ尊・イサナミ尊)に『政治の中心地はアシハラがよい。
【ツボ】 時の政治の中心地。ケタツボ(ヒタカミ、タカミムスビ系)、ハツボ(ハラミ山、アマテル、ニニキネ)、オキツボ(近江、イサナギ・イサナミ)の三か所がある。
チヰモアキ イマシモチヒテ
大変広い耕地になる土地がある。汝これを用いて
【チヰモアキ】 チヰモは千五百。これを「たいへん広い」と訳す。アキを「空いている土地」と解釈した。
02-075 シラセトテ トトホコタマフ
民を治めよ』と、トと矛を授けられたのである。
フタカミハ ウキハシノヱニ
二尊は、為政者の立場になって
【ウキハシ】 ここの文は、記紀では国生みの場面。この綾の後半にも島を生み出すと取れる記述があるが、本書では二尊の業績と解釈した。
02-077 サグリウル ホコノシツクノ
民の様子をご覧になった。矛によって民を治め、
02-078 オノコロニ ミヤトノツクリ
国の形を整えて宮殿を造り、
オオヤマト ヨロモノウミテ
その地をオオヤマトとした。多くの物を作り出して
【ヨロモノウミテ】 「多くのもの」とは、18綾本文065以降の、二尊が民に教え与えたこと。
02-080 ヒトクサノ ミケモコカヒモ
民の食糧生産や養蚕の
02-081 ミチナシテ ワイタメサダム
技術も高め、制度を定め
02-082 イサオシヤ アメノカミヨノ
大きな功績をあげた。二尊が天君の
02-083 ナナヨメオ ツグイトグチハ
七代目を継ぐそもそもの始まりは次の通りだ。
02-084 トコヨカミ キノミヒガシニ
クニトコタチ尊が木の実を東の地に
02-085 ウヱテウム ハコクニノカミ
植えてハコ国という国を創った。そこで産まれたハコ国の君が
02-086 ヒタカミノ タカマニマツル
日高見のタカマに
ミナカヌシ タチバナウヱテ
ミナカヌシの神を祭った。橘の木を植えて
【ミナカヌシ】 アメノミナカヌシともいう。天地が拓けてからはじめて出現した「人」。人ではあるが神の側面をも持っていると考えられている。18綾本文038以降に詳しく書かれている。
02-088 ウムミコノ タカミムスビオ
産んだ御子のタカミムスビを
02-089 モロタタユ キノトコタチヤ
人々はキノトコタチ尊と称えた。
02-090 ソノミコハ アメカカミカミ
キノトコタチ尊の御子はアメカガミ尊といい
02-091 ツクシタス ウビチニモウク
筑紫を治めた。ウビチニ尊が産んだ
コノミコハ アメヨロツカミ
御子は(アメカガミ命の養子になった)アメヨロツ命である。
【アメヨロツ】 アメヨロツはアメカガミの養子と考える。その根拠は次のとおりである。
  • アメヨロツという名前がタカミムスビ系のアメカガミとの関連性を想像させる。
  • また、本文083の「ナナヨメオ ツグイトグチハ」から続くアマテルカミの話の筋道からすれば、イサナギがどのようにして七代目になったかということで、アメヨロツが養子にならなかったとしたら取り立てて「イトグチハ」などということは必要ないのではないか。本文116の「サカツキウメル」は盃という名が生まれたと訳されることが多いが、そんなことで称えられるというのも不自然ではないか。そもそも養子に出てタカミムスビ系になった (アマカミ系から離れた) 血筋が再びアマカミを継いだということで「離継ぎ(サカツギ)」と表したと考える。以上によりアメヨロツは養子となったと考える。

ソアサタシ アワサクウメバ
アメヨロツ命がソアサを治め、アワナギ命とサクナギ命を産んだ。
【ソアサ】 四国。
02-094 アワナギハ ネノシラヤマト
アワナギ命はネのシラヤマモトと