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アヒウタフ アメノアワウタ
互いに詠った天のアワ歌は、イサナギ尊は
【アメノアワウタ】 アワ歌には二種類あり、一つがこのアワ歌で、もう一つは055に出てくる「アカハナマ」のアワ歌。
03-045 アナニヱヤ ウマシオトメニ
『ほんとうにまあ美しい乙女に
03-046 アイヌトキ メカミコタエテ
会ったものだ』でした。イサナミ尊が応えて
03-047 ワナニヤシ ウマシヲトコニ
『なんとまあ素敵な男に
アヒキトゾ ヤワシテアワオ
会ったことでしょう』と詠いました。二尊は心を通わせ、君と民とを
【ヤワシテアワオ ヱナトシテ】 「ヤワシテ」の意味が今一つはっきり分からないが、「心を和らげる」と解釈し、「心を通わせる」とした。「ア」は君、「ワ」は民を表わすと考えた。ヱナは新しく生み出すことの比喩的表現と解釈し「国造りの基」とした。
03-049 ヱナトシテ ヤマトアキツス
国造りの基にしました。ヤマトアキツス(大和秋津州)
アハチシマ イヨアハフタナ
アワジシマ(淡路島)、イヨアワフタナ(伊予・阿波の二名)
【イヨアハフタナ】 伊予と阿波を合わせた四国のこと。
03-051 オキミツコ ツクシキヒノコ
隠岐三つ子、筑紫、吉備の子
サドウシマ ウミテウミカハ
佐渡大島の各地を建て直して、海や川や
【ウミテ】 神話では国生みだが、ここではオモダル・カシコネの時代に国が衰退したので、これらの地を建て直したこととした。
03-053 ヤマノサチ キヲヤククノチ
山の産物を豊かにし、木の神のククノチや
03-054 カヤノヒメ ノツチモナリテ
萱の神のカヤノ姫や野土の神を祭りました。
03-055 アワウタニ ヲサムハラミノ
二尊はアワ歌によって治めたハラミの宮に
ミヤニヰテ ステニヤシマノ
住みました。二尊は既に八州の国を
【ヤシマ】 八州は日本国の別名とされるが、「八」は本来多数の意で、多くの島のこと。
03-057 クニウミテ イカンゾキミオ
建て直したので、どうしても後継ぎの君を
ウマントテ ヒノカミオウム
産もうとお思いになり、日の神をお産みになりました。
【ヒノカミ】 後のアマテル。
ソノミナオ ウホヒルギトゾ
その御名をウホヒルギと名付けて
【ウホヒルギ】 ウホは大きいという意味。後にウヒルギとなる。
03-060 タタエマス クニウルハシク
称えました。国中が喜びに
03-061 テリトホル クシヒルノコハ
沸き返りました。二尊は、稀にみる高貴な皇子は
トトメズト アメニオクリテ
手元で育てるのは畏れ多いと、トヨケ尊の元に送り、
【アメニオクリテ】 アメ(天)は、普通はアマキミを指すが、二尊にとってのアメはヒタカミのトヨケを指す。
アメノギト ミハシラノミチ
トヨケ尊は皇子に人の上に立つ男君として、帝王学を
【ミハシラノミチ】 御柱は天界と地上を結ぶ柱。為政者が天の意を受ける象徴。その道として帝王学とした。
03-064 タテマツル カレニハラミオ
お教え申し上げました。ハラミ山でお生まれになったのでハラミ山を
03-065 オオヒヤマ トヨケカガヱテ
大日山と名付けました。トヨケ尊が考えて
03-066 ワカヒトト イミナオササグ
皇子にワカヒトと諱を奉げました。
03-067 フタカミハ ツクシニユキテ
その後、二尊は筑紫に御幸し、
03-068 ウムミコオ ツキヨミノカミ
そこでお産みになった皇子をツキヨミ尊と名付け、
03-069 ヒニツゲト アメニアゲマス
後々アマテルカミを補佐させようと、トヨケ尊の元に行かせました。
03-070 コレノサキ ヲエクマニスツ
以前、厄年の災いを受けないようにと捨てられた
03-071 ヒルコヒメ イマイツクシニ
ヒルコ姫は、今は十分に慈しみ
タリイタル アメノイロトト
育てられて、アマテルカミの妹として戻り、
【アメノイロト】 「イロト」は妹。ヒルコ姫はアマテルカミより先に生まれており本来は姉だが、アマテルカミが生まれた後に二尊のもとに戻ったので、妹とされた。
ワカヒルメ スサクニニウム
ワカヒル姫と名付けられました。ソサ国で生れた
【スサクニ】 ホツマツタヱでは他の箇所での表記はソサとなっているので、訳文では「ソサ」に統一した。ソサノヲも同じ。
03-074 スサノヲハ ツネニオダケビ
ソサノヲ尊は常に大声で叫び
03-075 ナキイザチ クニタミクジク
泣きわめき、国の民を困らせました。
03-076 イサナミハ ヨノクマナスモ
イサナミ尊は、ソサノヲが世の中に害を与えるのも
03-077 ワガヲヱト タミノヲヱクマ
自分の穢れのせいだと思われ、民の穢れや害を
03-078 ミニウケテ マモランタメノ
一身に受けて、民を守るために
クマノミヤ カクミココロオ
熊野宮を建てました。イサナミ尊はこのようにして
【クマノミヤ】 和歌山県熊野大社と言われている。「クマ」は「オヱクマ」の短縮と考える。「オヱ」は病気や汚れ。「クマ」は心の病や厄害。熊野宮は「クマ」を払う宮。5綾参照。
03-080 ツクシウム ヒヒメミヲカミ
お生みになった一姫と三皇子に御心を尽しました。
03-081 ウミテヨノ トミタミノミチ
また、世の中を建て直して、君や臣の守るべき道理や
03-082 トノヲシヱ サカリモトラバ
国を治める法に逆らったり、従わなかったりした者は
03-083 ホコロバス コノフタハシラ
矛によって罰しました。この二尊が
03-084 ウムトノハ アマノハラミト
皇子達を産んだ殿が、ハラミ山と
03-085 ツクバヤマ アハチツキスミ
筑波山、アワヂ、ツキスミ、
03-086 クマノナリケリ      
熊野の五つだったのです」。
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