先頭の番号が青い行は、クリックすると解釈ノートが見られます。
対訳ページの使い方の詳細はこちらのページをご覧ください。
20-056 ヰキシニホ オモヒガネノコ
ヰキシニホはオモイガネの子、
20-057 イクダマハ タカギノヰツコ
イクダマはタカギの第五子、
20-058 サノヒコネ ヒコナノコナリ
サノヒコネはヒコナの子、
20-059 コトユヒコ ハラキネノオコ
コトユヒコはハラキネの御子、
ウワハルハ ヤツココロノコ
ウワハルはヤツココロの子、
【ヤツココロ】 この人物が誰かわからない。多くの研究者は4行前に出てくるオモイガネと同一人物としている。これは長野県の阿智神社の御祭神が「天八意思兼命(アメノヤココロオモイカネノミコト)」であることを根拠にしているのではないか。しかし、ここに書かれている一連の名前は、同一人物は同じ名前で書かれている。この他、ホツマツタヱの中でヤツゴコロとオモイガネが同一人物だと思わせる記述はない。したがって私はこの二人は別人であると考える。
20-061 シタハルハ ウワハルノオト
シタハルはウワハルの弟、
20-062 アヨミタマ タカキノナナコ
アヨミタマはタカギの第七子、
20-063 スベミソフ ミナノリムマデ
全部で三十二人。みな馬に乗って
20-064 マモリユク ミコハヤフサノ
クシタマホノアカリを守って行った。皇子は八房飾りの
イテクルマ フソヰノハトオ
イトリの輦に乗り、二十五人の下僕が引き、
【ハト】 正確な意味は不明。文脈から「下僕」とした。10綾本文051に「ハトハモノマサ」とあり、この場合は「弔問を受ける役」という広辞苑の説に従ったが、ここの状況では輦を引く者、すなわち「下僕」としか考えられない。40綾本文217にも「イエバト」とあり、それも「下僕」と訳せる。
ヰツトモノ マモルミヤツコ
五人の警護のミヤツコが守った。
【ミヤツコ】 辞書では「造」、古代の姓のひとつで、渡来系技術者集団の統率者をはじめとする伴造系の氏族に与えられたとある。書かれている五人の家系からは渡来系かどうか判然としないが、君の警護や船の操作を任されたところを見ると、技術を持つ重要な家臣だったのだろう。
20-067 アマツマラ カンミノヤサコ
アマツマラはカンミムスビの玄孫、
20-068 アカマロハ ツクバソソノコ
アカマロはツクバソソの子、
20-069 アカウラハ シホモリノフコ
アカウラはシホモリの第二子、
20-070 マウラトハ ヤマスミノヰコ
マウラはヤマスミの第五子、
20-071 アカホシハ カツテノオトト
アカホシはカツテの弟、
20-072 コノヰタリ オオモノヌシハ
この五人である。大物主は
20-073 ヰツクミノ モノヘフソヰオ
五組の物部二十五人を
20-074 ヒキソフテ トモヒトスベテ
引き連れていった。供の者は全部で
20-075 ヤモムソヨ ヒタカミオデテ
八百六十四人である。一行はヒタカミを出て
20-076 カシマミヤ ソノミチタミノ
カシマの宮に向かった。その道で民が
20-077 イデムカヒ タガヤシカクト
出迎えに出て農作業に支障が出ていると、
20-078 キコシメシ イセニハンベル
聞かれたアマテルカミが、伊勢で仕えている
20-079 ミコノオト キヨヒトニカミ
皇子ホノアカリの弟のキヨヒト(ニニキネ)に
20-080 ミコトノリ ナレトチカラト
命じた。「汝とタチカラヲと二人で
20-081 ハヤフネニ ユキテイワフネ
早船で行き、ホノアカリにイワ船で行くように
20-082 ススムベシ ヨリテミマコト
勧めよ」。その指示に従ってニニキネと
20-083 タチカラヲ ワニフネニノリ
タチカラヲはワニ船に乗り
20-084 カンフサノ ツクモニツキテ
上総の九十九里浜に着き、
20-085 カトリミヤ カンコトノレハ
そこから香取の宮に行った。アマテルカミの詔を伝えると
20-086 ホノアカリ マウラオメシテ
ホノアカリはマウラを呼んで
20-087 ウラトエハ マウラフトマニ
占いをさせた。マウラがフトマニで占うと
アキニトル コチニヒモトケ
「アキニ」と現れた。マウラが「『東風に氷も解けて
【コチニヒモトケ ツミノガル】 フトマニで現れた「アキニ」は、「神敕基兆傳太占書紀」によれば次の歌が当てられている。「アキニトハ コチニヒモトケ ツミノガル ツグミココロノ ハルゾキニケル」。この前半をマウラが解釈し、「罪」を「民を疲れさせること」として進言したのだろう。
20-089 ツミノカル イマハルナレハ
罪を逃れる』と出ました。今は春なので
ニシノソラ タミツカレナシ
西の空を行けば、民は疲れないだろうということです」と言うと
【ニシノソラ】 空を飛ぶのではなく西へ向かって船で航海すること。水平線の彼方には空しかない、そんな船旅の様子を言い表したのだろう。
20-091 ヨシヨシト ミコトサタマル
「このやり方でよい」と言い、方針が決まった。
20-092 ニニキネト タチカラトユク
ニニキネとタチカラヲが
20-093 ヒタカミノ キミオヲカミテ
日高見のオシホミミに会って
20-094 ヨシオツゲ ノチニミマコト
この様子を伝えた。その後ニニキネと
20-095 タチカラト イサワニカエリ
タチカラヲはイサワの宮に帰って
20-096 カエコトス トキニスメミコ
アマテルカミに報告した。そこで、ホノアカリは
20-097 イワクスノ フネオモフケテ
イワクス船を仕立てて
20-098 マラガオヂ アマツハバラオ
アマツマラの伯父のアマツハバラを
20-099 フナオサニ マラハカヂトリ
船長にした。アマツマラには舵を取らせ、
アカウラオ フナコツカサニ
アカウラを水夫長に、
【フナコツカサ】 「フナコ」を「フナカコ」の短縮と考え、船全体の「カコ」(水夫)(次項102参照)の長(ツカサ)とした。
20-101 アカマロト アカホシモノオ
アカマロとアカホシの物部を
ソエカコニ マウラハカゼミ
副水夫長に、マウラを風見とした。
【ソエカコ】 広辞苑に「かこ(水夫・水手)」の見出しで、「か」は楫(カジ)、「こ」は人の意)舟をこぐ者、ふなのり、すいふ、とある。
20-103 ツクモヨリ イツノミサキニ
九十九里浜より出て、伊豆の岬の沖を
20-104 ホオアゲテ オキハシルメハ
帆を上げて進む船上の者の目には
20-105 オホソラオ ハルカニカケリ
大空を遥かに駆けているようであった。
20-106 ミクマノノ ミヤヰオガミテ
熊野の三つの宮に詣でて
ナニハヨリ カモニテイタル
浪速よりカモ船で
【ナミハヨリ カモニテイタル】 浪速から斑鳩へは川を溯ることになる。櫓をこいで上がれたのか、川岸から綱で船を引いて上ったのか、どのようにして溯ったのだろうか。