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22-048 ヲサマリテ カグツチカミト
世は治まります。カグツチ神と
22-049 ハニヤスメ チナミテヨロノ
ハニヤス神が結ばれて、たくさんの
22-050 オゴロウム タツナラザレバ
オゴロを産んだが、竜になれずに
22-051 ステラルオ オオクヌカミノ
捨てられたというオゴロの話を聞いたオオクヌカミの
22-052 ツゲニヨリ アメノミマコノ
告げにより、天の皇孫が
22-053 ミコトノリ オゴロノカミヨ
詔を下されました。『オゴロのカミよ
22-054 ハルハカマ コタソコニアレ
春は竈の九咫塞(ソコ)に在れ。
22-055 ナツハカド ミタソコニアレ
夏は門の三咫塞に在れ。
22-056 アキハヰノ ナタソコニアレ
秋は井戸の七咫塞に在れ。
22-057 フユハニハ ヒタソコニアレ
冬は厠の一咫塞に在れ。
22-058 ニヰミヤノ シキマスクニオ
新宮の建てられた地を
22-059 イカスリテ ヒトフルナセヨ
守って、末永く
22-060 スミヨロシ ヱオゴロモラバ
住みやすくせよ。兄オゴロが守れば
22-061 オトオゴロ カタミニカワリ
次に弟オゴロが代わって守り
22-062 ヒメモスニ ミヤノウテナノ
終日宮の高殿の
クロトコロ ナカツハシラノ
クロトコロの中柱の
【クロトコロ】 語義不詳。大辞林に「黒戸の御所」として「(煙ですすけて黒くなっていたところから)内裏の清涼殿の北廊で、滝口の戸の西にあった細長い部屋。くろど。」とある。平安時代の「天皇の常の居所」である清涼殿に近いものと考えた
22-064 ネニスミテ ヤマサノカミト
根元にいて、ヤマサの神と
22-065 モロトモニ ヨヨノカマドオ
諸共に代々の竈を
22-066 マモラシムベシ      
守るべし。
チカヒニハ ミハシラタテヨ
それを誓うには御柱を大事にせよ』
【チカヒニハ ミハシラタテヨ】 和仁估本も長弘本も一字下げになっている。「マモルベシ」と「タテヨ」と命令形になっているので皇孫のことばのまとめと考えたが、なぜ一字下げになっているのか、具体的にどんなことか、よく分からない。「ミハシラ」を高殿の中柱と考え、「タテヨ」はここでは「主とする。もっぱらにおこなう。」「損なわれないように保たせる」「一段高いものとして尊ぶ」というような意味にとらえて訳したが、もっとよい解釈はないものだろうか。
コノトキニ アマツミコトノ
これで、アマカミの祝詞の奉唱が
【コノトキニ アマツミコトノ サダマレバ】 「コノトキ」とは本文023のヒサカタノ アマテルカミノ…」から067の「チカヒニハ ミハシラタテヨ」までの「アマツミコト」すなわちアマテルカミと二尊とニニキネについての話が終わったとき。
22-069 サダマレバ カシキノユフノ
済んだので、オキツヒコが赤白黄の木綿の
22-070 ミテグラニ ヒミツオムスブ
幣で火・水・土の祓いを行った。
オキツヒコ ココモタカマノ
オキツヒコは、「ここもタカマノ
【ココモタカマノ ハラナレバ】 「ココ」はニニキネの新治の宮のこと。アマテルカミの伊勢とタカミムスビのヒタカミが政治の中心地として「タカマ」と呼ばれていた。次代を担うニニキネの新治の宮もそれと同じということ。
22-072 ハラナレバ ヨヨニチカフル
ハラなので末々までも祭る」という誓いの
22-073 ミコトノリ モシモクニユリ
祝詞をあげた。「もしも大地を揺するほどの
22-074 ナルカミノ サワルサワリノ
雷の被害が
22-075 アラントキ キネノヒトキオ
ありそうな時は、東北の一本の樹を
ヰヤシロニ ヱトノムソカニ
居社としてヱトの六十日毎の
【ヱトノムソカニ モリアマル】 21綾解釈ノート222参照。八・七・五の神の守る日は60日を1巡りとしてその6巡りの360日で、日の1巡りは5~6日が余る、と考え60日毎とした。
22-077 モリアマル ヤナヰカクロヒ
八・七・五の神の守りから漏れる
22-078 ウツロモル ウツロヰノカミ
空白の日を守るウツロイの神が
22-079 アラハレバ タトエナルカミ
現れて、例え雷がきても
22-080 クニユルモ イツワザナシテ
地が揺れ動いても、ウツロイの威力を以て
22-081 シヅムベシ モシモムラクモ
鎮められるだろう。もしも叢雲が
22-082 カオウバヒ ミチニサワリノ
光を奪い、道が分からなく
22-083 アラントキ シナトベノカミ
なりそうな時は、シナトベの神が
22-084 アラハレバ ミチノカウバフ
現れて、道の明かりを奪う
22-085 ヤヱクモオ シナトノカゼニ
八重雲をシナドの風で
22-086 オシハラヒ ヨモアケカタト
吹き払い、明るくなることを
シラスベシ モシモヒケガレ
知らせるだろう。もしも、竈の火が消えるようなことが
【ヒケガレ】 「火穢れ」か「火気枯れ」か、竈の火が悪い状態になること。
22-088 アラントキ カグツチノカミ
おきた時でも、カグツチの神が
アラハレバ タトエオダキノ
現れれば、例えわずかな残り火さえ
【オダキ】 「オ」は小さい。少ない。「ダキ」は「焚き」。この意味で訳はわずかな残り火とした。 
22-090 カクヤアレ サラニヒウチノ
無くなったとしても、また火打ち石で
アラタメテ キヨキアタゴト
改めて火を打ち、清い愛宕火とできる。
【キヨキアタゴト シキミヨリ】 「アタゴ」を辞書で引くと、防火の神を祭っている京都と東京の「愛宕神社」が出てくる。これからも「アタゴ」と火とは関連があると考えられ、「安全な火」というような意味の言葉とした。また、「アタゴ」と植物の「シキミ」の組み合わせから、「アタゴ」を愛宕苔と考え、「シダと愛宕苔を供える」と訳すことも考えられる。
22-092 シキミヨリ ミカマトキヨク
シキミを供えて、竈を清く
マモルベシ モシモホワザノ
守るのがよい。もしも、火災が
【ホワザ】 火の災い。
22-094 アラントキ タツタメノカミ
あった時は、タツタ姫の神が
22-095 アラハレバ タトヒホノホニ
現れて、例え炎に
ハタルトモ タツタニシヅメ
苦しめられても、タツタの火の鎮めで
【タツタニシヅメ】 21綾本文175に防火の神として書かれている。
22-097 ノゾクベシ モシモヰノミツ
苦しみを除いてくれるだろう。もしも、井戸の水が