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30-108 インヘトミ ツギハルソヒカ
インベ臣が行った。次の年の一月十一日に
30-109 ミコトノリ オモエハマメハ
君は詔を下された。「吾は決めた。忠義を尽くした
30-110 ウマシマチ ヨヨモノヘツゲ
ウマシマチは代々物部を継ぐこと。
30-111 ミチヲミハ ノゾミノママニ
ミチヲミは望みのままに、
30-112 ツキサカト クメノトコロオ
ツキサカと久米の土地を
30-113 タマフナリ ウツヒコガコト
授けよう。ウツヒコには
30-114 フネトハニ ヤマトクニツコ
船での先導と香久山の土を採ってきた功績により、ヤマトの国造とする。
オトウケシ タケタアガタシ
弟ウケシはタケタの県主とする。
【オトウケシ 】 29綾では「オトウガシ」「ウガシ」となっている。
クロハヤハ シギノアガタシ
クロハヤはシギの県主とする。
【クロハヤ】 シギの県主となった「クロハヤ」は元々シギにいた「オトシギ」であろう。
アメヒワケ イセノクニツコ
アメヒワケは伊勢の国造とする。
【アメヒワケ】 29綾本文049で、タケヒトの家臣として船に乗っていたアヒワケと思われる。
30-118 アタネカミ カモノアガタシ
アタネは賀茂の県主とする。
30-119 カツテマコ ツルギネカツギ
カツテの孫のツルギネは葛城の
30-120 クニツコゾ ヤタカラスマゴ
国造とする。八咫の烏の孫は
30-121 カドノヌシ ミホノサミタレ
カドノの県主とする」三年目に五月雨が
30-122 ヨソカフリ ヱヤミハヤリテ
四十日間降り続いた。民の間に病気がはやり、
イネミモチ キミニツクレバ
稲もミモチ病になった。君に申し上げると
【イネミモチ】 稲の「いもち病」のことであろう。
30-124 アメタネコ クシミカタマト
アメタネコとクシミカタマとを
30-125 ヤスガワノ カリヤニイノリ
安川に遣わして、仮宮で祈らせた。
30-126 トキヱヤミ ナオルトイネノ
すると、民の病気が治り、稲の
30-127 イタミサル ナオリノハラヒ
病害もなくなった。直りの祓をすると
30-128 オコナエハ ヱヤミモナオリ
疫病も治り
30-129 イネナオル ユエミコトノリ
稲の病害も治ったので、君の詔があった。
30-130 ワニヒコガ ミヲヤクシヒコ
「ワニヒコ(クシミカタマ)の祖先のクシヒコが
30-131 イサメイル ナオキニタマフ
君を諌める直ぐなる心を持っていたので
ヤマトカミ ミヨワノナオキ
ヤマトカミと名を賜った。今、わが民や稲の病を直した
【ヤマトカミ】 ヤマトヲヲコノミタマカミ。23綾本文352でクシヒコはアマテルカミより「ヤマトヲヲコノミタマカミ」という誉め名を賜っている。
30-133 イザオシニ ナオリモノヌシ
功績により直り物主の
30-134 カミタマフ タネコモミヲヤ
カミの名を授ける。アメタネコも先祖の
30-135 ワカヒコガ ナオキカガミノ
ワカヒコの誠実な鏡の臣の
30-136 コトツゲバ ナオリナカトミ
役目を継いでいるので、直り中臣の
30-137 カミタマフ トモニツグヘシ
カミの名を授ける。共にその名を末永く継いでいくがよい」
30-138 ヨホキサラ ネウヱノキナエ
四年二月、ネウエ、キナエの月に
ミコトノリ ミヲヤノカミノ
君が詔を下された。「ミヲヤの神が残された
【ミヲヤノカミノ ミヤコトリ】 タケヒトの父親のウガヤフキアワセズは、27綾で「ミヲヤカミ」(御親神)となっている。「ミヤコトリの文」はアマテルカミ、オシホミミ、ニニキネ、ホオデミ、ウガヤフキアワセズと、即位に際して伝えられたものと思うが、オシホミミとホオデミは記述がない。
30-140 ミヤコトリ ワガミオテラシ
都鳥の教えが我が身を助け
30-141 アタムケテ ミナヲサムユエ
敵を倒し、国々が治まったので
アメトミニ カモオウツサセ
アメトミに下賀茂の社を遷させ
【カモオウツサセ ミヲヤカミ マツルハリハラ トリミヤマ】 奈良県桜井市の鳥見山西麓の「等彌(トミ)神社」の祭神は、上社(上津尾社)に天照皇大神(大日孁貴尊)下社(下津尾社)の八幡社に磐余明神(神武天皇)と品陀和気命(応神天皇)、春日社に高皇産霊神と天児屋根命がまつられている。別資料では、上ツ尾神社に大日孁貴命(オオヒルメムチ)、下ツ尾神社に誉田別命(ホムタワケ・八幡大神)・春日神が祭られていると伝えられている。また、日本書紀には鳥見山に神武天皇が皇祖神(イサナギ、天照大神、アメノオシホミミ、ニニギ、ホオリ、ウガヤフキアエズ)を祀った場所と伝えられている 。これを元に考えると、27綾解釈ノート377でふれたように、カモ(賀茂御祖、ウガヤフキアワセズ)は祭られていた下賀茂神社より鳥見山の等彌神社に遷されたと考えられる。そうすると「賀茂御祖神社」にウガヤフキアワセズがいないことも納得できる。憶測の域を出ないが、等彌神社は後に天照大神をはじめとする皇祖神と言われる神々を祭り、その代表格の「大日孁貴命」(天照大神)が主祭神となったのではないかとも考えられる。
30-143 ミヲヤカミ マツルハリハラ
ミヲヤ神を榛原の
30-144 トリミヤマ アタネオカモノ
鳥見山に祭る。アタネに
30-145 タケスミノ マツリツカセテ
カモタケツミの政を継がせて
30-146 クニツコゾ ムツキソヒカハ
国造とする」一月十一日に
30-147 アガタメシ ミキオタマハル
県主を召して、御酒を振る舞う
30-148 ハシメナルカナ      
慣わしがここに始まった。