先頭の番号が青い行は、クリックすると解釈ノートが見られます。
対訳ページの使い方の詳細はこちらのページをご覧ください。
カミアガメ カミナフミナス
神を崇めて「神名簿」を作り
【カミナフミ】 927年にまとめられた延喜式巻九・十の神名帳と言われる神社一覧の原形か。崇神天皇は神を畏れ、全国に数多くの神社を作ったようである。
33-109 カンベシテ ヤモヨロカミオ
神部に八百万神を
33-110 マツラシム ヱヤミムケイエ
祭らせた。疫病が収まって直り
33-111 ソロミノリ タミユタカナリ
稲が実り民は豊かになった。
33-112 ヤホウヨカ タカハシイクヒ
八年四月四日にタカハシイクヒが
33-113 ミキツクリ ミワオオカミニ
神酒を造って、三輪大神に
33-114 タテマツル ソノアヂウマシ
奉った。その味は良くできていた。
33-115 シハスヤカ カミマツラセテ
十二月八日に大三輪の神を祭りに
33-116 ミユキナル イクヒガサケニ
君は行幸した。タカハシイクヒの酒で
33-117 ミアエナス キミノミウタニ
宴を開いた。君が歌を詠まれた。
33-118 コノミキハ ワガミキナラズ
「この神酒は吾のための酒ではない。
33-119 ヤマトナル オホモノヌシノ
大和におられる大物主の
カミノミキ イクヒサツクル
神の神酒である。末永く続くよき日を授けてくださった
【イクヒサヅクル】 タカハシイクヒの「イクヒ」と「イクヒサ」(幾久、ずっと末永く)と掛けてあり、「サヅクル」と「サ」が重なっている。
スギバイクヒサ      
大物主の真っ直ぐな心で幾久しくお守りください」。
【スギバイクヒサ】 「スギバ」は杉の葉。23綾の本文387にクシヒコが洞に入った後、「スグナルヌシオ ミワケント スグナシルシノ スギウユル」とある。
33-122 ミアエオエ トミラウタフテ
宴を終えて臣達が歌って
33-123 ウマサケヤ ミハミワノトノ
「三輪の殿で飲んだ酒のなんと旨かったことよ。
33-124 アサドニモ イデテユカナン
朝の戸を開けて、さあ出て行こう、
33-125 ミワノトノトオ      
三輪の殿の戸を」。
トキニキミ コレカエウタニ
すると君はこれの返歌に
【コレカエウタニ】 「カエウタ」は返歌と考えられるが、気分良く飲んだ翌朝、家臣が名残惜しそうに詠んだ歌に、座興で「いやまったく、帰りたくないものだ」と付けた歌は「返歌」と言えるかもしれないが、内容的に「替え歌」としてもよいのではないだろうか。
33-127 ウマサケニ ミハミワノトノ
「三輪の殿で飲んだ酒があまりにも旨かったので、
33-128 アサドニモ オシキラカネヨ
朝の戸も開きかねるよ。
33-129 ミワノトノトオ      
三輪の殿の戸を」と歌った。
33-130 トノトオシ ヒラキカエマス
みな殿の戸を押し開いて帰った。
33-131 コホヤヨヒ モチノヨユメニ
九年三月望の夜、夢に
33-132 カミノツケ カシキホコタテ
神の告げがあった。「赤白黄の幣を飾り、矛を立てて
カミマツレ ウタスミサカモ
神を祭れ。ウダスミサカも
【ウタスミサカ】 奈良県宇陀郡榛原に墨坂神社があるが、その辺りか。以下、オオサカ、カワセサカ、は場所を特定できない。「ミオ」は24綾本文135に出てくる滋賀県の「ミオ」か。
33-134 オオサカモ カワセサカミオ
オオサカもカワセサカもミオも
33-135 ノコリナク コレツミヒトノ
残すことなく祭れ。そこには罪人の
33-136 シイトトム ヱヤミナスユエ
シイが留まって疫病をはやらせているからである」。
ウスエフカ ヲトミカシマト
四月二十二日に、大臣のカシマと
【ヲトミ】 「ヲ」が重臣のような立場を指すのか、役名を表すのか、どんな役なのか不明だが、家系を見るとかつての鏡の臣(左の臣)と剣の臣(右の臣)のような立場ではないかと解釈できるので、ここでは「大臣」とする。
33-138 タタネコニ タマカエシノリ
オオタタネコとにタマガエシの法で
33-139 マツラシム カレニアカルキ
罪人のシイを祭らせた。それによって、世の中が明るくなった。
33-140 ソホネヤト フヅキスエヨカ
十年ネヤト、七月二十四日に
33-141 ミコトノリ タミタスヲシエ
詔があった。「民を治める教えに従って
33-142 カミマツリ ヤヤヲヱサレド
神を祭り、やっと厄災が去ったが、
33-143 トオツクニ アラヒトノリオ
遠方の国では無法者どもが規則を
33-144 マダムケズ カレヨモニヲシ
まだ守ろうとしないでいる。それ故それらの国へ勅使を
33-145 ツカハシテ ノリヲシエシム
遣わして規則を教えさせることとする」。
33-146 ナツキコカ オオヒコオシテ
九月九日、オオヒコを
コシノヲシ タケヌナガワケ
越の教え人に、タケヌナガワケを
【ヲシ】 ここでは「ヲシカド」(勅使)ではなく「ヲシエド」(教え人)
33-148 ホツマヲシ キビツヒコシテ
ホツマの教え人に、キビツヒコを
ツサノヲシ タニハチヌシオ
西南の教え人に、タニハチヌシを
【ツサノヲシ】 「ツサ」は西南。すぐ前の地名に対応させると、「山陽」であろう。
33-150 タニハヲシ ヲシエウケズバ
丹波の教え人にした。教えを受け入れなければ
33-151 ホコロバセ ヲシテタマハリ
成敗するようにと親書を賜り、
33-152 イクサダチ オノオノタテバ
兵を率いて、みな出発した。
33-153 モチノヒニ オオヒコイタル
望の日にオオヒコが
33-154 ナラサカニ オトメガウタニ
ナラサカを通りかかると、乙女が歌を歌っていた。
33-155 ミヨミマキ イリヒコアハヤ
「気を付けて、ミマキイリヒコが危ない。
オノガソヱ ヌスミシセント
身内の者が御位を狙っている。
【オノガソエ】 ミマキイリヒコを狙っているのは、父親の異母兄弟である伯父のハニヤス。このことを前提とすると「ソエ」は、華道の「主な枝に添えて挿す枝」のような人物。すなわち傍系の人物となる。ここでは漠然と「身内」と歌ったとした。
【ヌスミシセント】 「シ」は上の語を強める間投助詞。
33-157 シリツドオ イユキタガヒヌ
裏の戸を行きつ戻りつ、
33-158 マエツドヨ イユキタガヒテ
前の戸も行きつ戻りつ