【タマモシヅ・・・・】
29綾本文038の「ノリクダセホツマヂ…」、33綾本文155の「ミヨミマキイリヒコアハヤ…」、この綾の本文223の「ヤクモタツ…」など表向きと違ったメッセージが込められた歌と同様、この歌にも裏の意味が隠されている。私はこの歌を、事の発端は君が神宝が見たいと言い出したことなのに、君はフリネまで殺し、出雲では喪祀りさえできないことを訴えていると解釈した。ちなみに、岩波文庫版日本書紀ではこれに該当する歌を次のように訳している。
「玉のような水草の中に沈んでいる石。出雲の人の祈り祭る、本物の見事な鏡。力強く活力を振う立派な御神の鏡、水底の宝、宝の主。山河の水の洗う御魂。沈んで掛かっている立派な御神の鏡、水底の宝、宝の主。」
この訳に続いて、例えば「シヅシは下の方に沈んでいる石」などと語注があるが、この歌が一体何を言わんとしているのか浅学菲才の私にはさっぱり分からない。これに続いて「あるいは神がついて言うのであるかもしれない」という訳になっているが、「『☆〇◆※□△・・・』と言っているが、もしかしたら神が憑いて言っているのかもしれない」というのと大差ない、と言ったら言い過ぎだろうか。これは日本書紀の問題で、四人の大家の問題ではないが・・・。この歌にもこの前後の文にも、しっかりと因果関係があるのである。
【イヅモマツラバ】
「イヅモ」は死んだフリネとヰイリネ。