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34-202 ウカツクヌ ソエテササクル
ウカツクヌが二人で神宝を奉げた。
34-203 ノチフリネ カエテヰイリネ
後日フリネが帰って、そのことを知りヰイリネを
34-204 セメイワク イクカモマタデ
責めて言った。「我が帰るまでのいく日かも待てないとは
34-205 ナドオソル イヅモハカミノ
何を畏れていたのだ。出雲は神の
34-206 ミチノモト ヤモヨロフミオ
教えの大本で、その多くの文は
34-207 カクシオク ノチノサカエオ
門外不出なのだ。後の世に出雲が栄えることを
34-208 オモワンヤ タヤスクダスト
考えなかったのか。たやすく出すとは何事だ」と
34-209 ウラミシガ シノビコロスノ
恨み、秘かに弟を殺そうと
34-210 ココロアリ アニノフリネガ
心の内で思った。ある日、兄のフリネが
34-211 アザムキテ ヤミヤノタマモ
謀って「ヤミヤの淵に、玉藻の
34-212 ハナカヨミ ユキミントテゾ
花のカヨミを見に行こう」と
34-213 サソヒクル オトウナヅキテ
誘いに来た。弟のヰイリネは誘いに乗って
34-214 トモニユク アニハキダチオ
一緒に行った。兄は用意してきた木刀を
34-215 ヌキオキテ ミヅアビヨベバ
腰から取って地に置き、水浴びに誘うと
34-216 オトモママ アニマズアガリ
弟も同じように太刀を地に置き水辺に行った。兄が先に水から上がり
34-217 オトガタチ ハケバオドロキ
弟の太刀を腰に着けたので、驚いた
34-218 ヰイリネモ アガリテアニガ
ヰイリネも水から上がり、兄の
34-219 キダチハク アニタチヌキテ
木刀を腰に着けた。兄は太刀を抜いて
34-220 キリカクル ヌカレヌタチニ
斬りかかった。太刀が抜けず
34-221 ヰイリネハ ヤミヤミフチニ
ヰイリネはヤミヤの淵深く
34-222 キエウセヌ ヨニウタウウタ
消えていった。その後、誰ともなく歌う歌があった。
ヤクモタツ イヅモタケルガ
「八雲立つイヅモタケルが
【イヅモタケルガ ハケルタチ】 「タケル」は「猛る」で乱暴者。すなわちこの木刀は乱暴者のフリネが佩いてきたものということを暗示している。
34-224 ハケルタチ ツヅラサワマキ
佩いていた太刀に、葛の蔓が幾重にも巻きつき
アワレサビナシ      
哀れなことに錆びてもいない。」
【アワレサビナシ】 「哀れなことに、騙されて持たされたフリネの木刀なので錆びていない」が表の意味だが、「サビ」は、「悪い報い」の意味があり、「サビナシ」は「悪いことをした報いではないのに」ということになり、「ヰイリネに罪はないのに」という裏に隠された意味がある。
34-226 カラヒサハ オイウカツクヌ
ウマシカラヒサが甥のウカツクヌを
34-227 ツレノボリ キミニツグレバ
連れて宮に上って、君に事の顛末を申し上げると、
34-228 キビヒコト タケヌワケトニ
キビヒコとタケヌワケとに
34-229 ミコトノリ フリネウタレテ
フリネを成敗するよう命じた。フリネが殺されても
34-230 イツモオミ オソレテカミノ
出雲の臣達は君を恐れて、フリネの
34-231 マツリセズ アルヒヒカトベ
喪祀りもできなかった。ある日ヒカトベが
34-232 ワカミヤニ ツグルワガコノ
若宮のイクメイリヒコに、自分の子が
34-233 コノコロノウタ      
歌っているはやり歌を伝えた。
タマモシヅ イヅモマツラバ
「玉藻が静かに揺れているよ。(魂を鎮めてよ)出雲の神を祭れば
【タマモシヅ・・・・】 29綾本文038の「ノリクダセホツマヂ…」、33綾本文155の「ミヨミマキイリヒコアハヤ…」、この綾の本文223の「ヤクモタツ…」など表向きと違ったメッセージが込められた歌と同様、この歌にも裏の意味が隠されている。私はこの歌を、事の発端は君が神宝が見たいと言い出したことなのに、君はフリネまで殺し、出雲では喪祀りさえできないことを訴えていると解釈した。ちなみに、岩波文庫版日本書紀ではこれに該当する歌を次のように訳している。
「玉のような水草の中に沈んでいる石。出雲の人の祈り祭る、本物の見事な鏡。力強く活力を振う立派な御神の鏡、水底の宝、宝の主。山河の水の洗う御魂。沈んで掛かっている立派な御神の鏡、水底の宝、宝の主。」 この訳に続いて、例えば「シヅシは下の方に沈んでいる石」などと語注があるが、この歌が一体何を言わんとしているのか浅学菲才の私にはさっぱり分からない。これに続いて「あるいは神がついて言うのであるかもしれない」という訳になっているが、「『☆〇◆※□△・・・』と言っているが、もしかしたら神が憑いて言っているのかもしれない」というのと大差ない、と言ったら言い過ぎだろうか。これは日本書紀の問題で、四人の大家の問題ではないが・・・。この歌にもこの前後の文にも、しっかりと因果関係があるのである。
【イヅモマツラバ】 「イヅモ」は死んだフリネとヰイリネ。
マグサマジ カヨミオシフリ
崇りはないよ。カヨミの花を押し分けると(フリ
【マグサマジ】 「マグ」は「クマ」を逆さにしたもの。「クマ」は「ヲヱクマ」(心身の病)の「クマ」で、心の病。ここでは君の苦しみ・悩みなど、君にしてみると「祟り」と感じられること。「クマ」を逆さにしたのは直接的表現を避けたのか。39綾本文275から284の「キミトナドサケルドメ」のように「メトル」を逆さにして「ルドメ」にしたのと同様に、それは変えられない、すなわち「絶対に祟りはない」ということなのか。
【カヨミオシフリ ネミカガミ】 訳文にわざわざ「フリネ」を2行に分けて書いたのは、私もはじめ「カヨミオシフリ」「ネミカガミ」と読んでいたが、ここに「フリネ」の名前が隠されていることに気付いた時思わず鳥肌が立ち、この歌の恐ろしさを感じたからである。「ネミカガミ」は水面にフリネの睨む顔が写っているようだということ。
34-236 ネミカガミ ミソコタカラノ
ネの)睨んでいる水鏡があるよ。深い水底に神宝のために(水底に沈められた)
34-237 ミカラヌシ タニミククリミ
命を落とした主(ヰイリネ)がいるよ。谷の水に潜って見ると
34-238 タマシヅカ ウマシミカミハ
玉藻が静かに揺れているよ。(魂が静かに眠っている)よい神は
34-239 ミカラヌシヤモ      
水底に沈んでいる方かも知れないよ」。
34-240 ウタノアヤ カミノツゲカト
歌の言葉は神のお告げかも知れないと、若宮が
キミニツゲ イヅモマツレト
君に伝えると、君は「出雲を祭れ」と
【イヅモマツレ】 フリネがヰイリネに木刀をつかませてこの悲劇は始まった。その悲劇はミマキイリヒコが神宝を観たいと言ったことにさかのぼる。ミマキイリヒコは自分の出自による神の祟りの二の舞を踏まないように、イヅモを手厚く祭るように詔を出した。イヅモの二人を祭るに際して刀を奉げようと、出雲の臣たちに献上させたのではないか。それが、何のために誰が358本もの銅剣を埋めたのか謎とされる出雲地方にある荒神谷遺跡なのではないか。相見英咲氏が著書「倭国の謎」で、2世紀半ばには出雲に358の神社があったと述べているのは興味深い一致である。崇神天皇の在位期間は私の計算では、155年から174年と考えられ、これも一致する。この近くには刀の鋳造場所とされる遺構もあると言われている。
34-242 ミコトノリ ムソフキナトノ
詔を下した。六十二年キナト
34-243 アフミヅキ キミトハツヤエ
七月キミト、一日ツヤエに
34-244 ミコトノリ タミワサハモト
詔があった。「民の仕事は国の基で、
タノムトコ カウチサヤマハ
吾等が頼りにしているものである。河内の狭山は
【カウチサヤマ】 大阪府狭山市に狭山池という大きな池がある。日本書紀にも狭山という地名は出てくるが、池としては書かれていない。この池はその後造られたもので、古事記には垂仁天皇の時代に「狭山池」が掘られたと書かれており、土地の伝承もそのころのこととして伝わっている。森浩一氏によれば、6世紀後半から7世紀初頭のものという。
34-246 ミヅタラズ ワザオコタレバ
水が足りず農作業ができないので
34-247 ナリハヒノ タメニヨサミト
田畑の仕事ができるようにするため、ヨサミと
34-248 カリサカト カエオリノヰケ
カリサカとカエオリの池を
34-249 ホラントテ クワマノミヤニ
掘ろう」とクワマの宮に
34-250 ミユキナス ムソヰホフヅキ
御幸された。六十五年七月
34-251 ミマナクニ ソナカシチシテ
ミマナ国がソナカシチに
34-252 ミツギナス ソノミチノリハ
貢物を届けさせた。その距離は
34-253 ツクシヨリ キタエフチノリ
筑紫から北へ二千ノリで
34-254 ウミヘダテ シラギノツサゾ
ミマナは海を隔てた新羅の西南にある。