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35-107 シロオコエ キミニモフサク
稲城の外へ出て、君に申し上げた。
35-108 アニガツミ ノガレンタメニ
「兄の罪を許してもらいたくて
35-109 ワレイレド トモニツミアル
中に入りましたが、私にも罪がある
35-110 コトオシル タトヒマカレド
ことを思い知りました。たとえ死んだとしても、
35-111 ミメクミオ ワスラデノチノ
君のご恩は決して忘れません。私が死んだ後に
35-112 サタメニハ タニハチウシノ
后をお決めになる時は、タニハチウシの
35-113 メオモナガ キミガユルシノ
娘をお迎えください」。君がそれを
35-114 アルトキニ ホノホオコリテ
聞きいれた時、炎が燃え上がり
35-115 シロクズル モロビトサレバ
稲城は焼け崩れた。人々が去ったあとには
35-116 サホヒコト キサキモマカル
サホヒコと后の遺骸だけが残った。
35-117 ヤツナダガ イサオシホメテ
君はヤツナダの功績を褒めて
35-118 タマフナハ タケヒムケヒコ
タケヒムケヒコという名を授けた。
35-119 ナホフヅキ ヒハコモヅミノ
七年七月一日、コモヅミの
35-120 コノツヅキ タルネガカバヰ
子のツヅキタルネの娘のカバヰ
35-121 ツキヒメオ タツキサキトノ
ツキ姫を后とし、妹の
35-122 カクヤヒメ ナルウチメヰカ
カクヤ姫をウチ妃とした。五日に
35-123 コトホギシ ハツタナバタノ
その祝いをし、初棚機の
35-124 カミマツリ アルトミキミニ
神祭りをした。ある臣が君に
35-125 モフサクハ タエマクエハヤ
申し上げた。「タエマクエハヤは
35-126 オオチカラ チカネオノバシ
怪力で、地金を伸ばしたり
35-127 ツノオサク カナユミツクリ
角を裂いたりします。鉄の弓を作って
トコカタリ コレオフミハル
いつも言っています。『これを引くことができる
【フミハル】 踏ん張る。
35-129 ワガチカラ ヨニクラベント
自分の力を、世の中の誰かと比べようと
35-130 モトムレト ナクテマカルヤ
相手を探しているが誰もいなくて、このまま死ぬのか』と
35-131 ヒタナゲク キミモロニトフ
大変嘆いています」。君は臣達に聞いた。
35-132 クエハヤニ クラフルチカラ
「クエハヤと力を比べることのできる者は
35-133 アランオヤ モフサクノミノ
いないのだろうか」。すると「ノミノ
35-134 スクネナリ ナガオイチシテ
スクネがいます」と言う声があったので、ナガオイチに
35-135 コレオメス ノミノスクネモ
連れてこさせた。ノミノスクネも
35-136 ヨロコビテ アスクラベント
喜び勇んで来た。君は「明日力比べをするように」と
35-137 ミコトノリ チカラクラフル
命じた。力比べをする時の
カミノノリ スマヰノサトニ
神事の作法に則り、スマヰの里に
【スマヰノサト】 「相撲」の語源。参考までに奈良県葛城市当麻町に葛城市相撲館「けはや座」という、相撲発祥の地にちなんで建てられた相撲博物館がある。当地の當麻寺に當麻蹶速塚がある。
35-139 ハニワナシ タエマハキヨリ
土輪(土俵)を作った。タエマクエハヤは東から、
35-140 ノミハツニ アイタチフメバ
ノミノスクネは西から対決すると、
35-141 ノミツヨク クエハヤガワキ
ノミノスクネは強くて、タエマクエハヤの脇を
35-142 フミテマタ コシフミコロス
踏みつけ、更に腰も踏み付けて殺してしまった。
35-143 トキニキミ ウチハオアゲテ
すると、君は団扇を掲げて
35-144 ドヨマセバ トミモヨロコビ
大歓声を上げ、臣達も喜んだ。
35-145 クエハヤガ カナユミオヨビ
君はタエマクエハヤの鉄の弓と
35-146 タエマクニ ノミニタマワリ
タエマの国をノミノスクネに授けた。
35-147 イエハツマ ツギナシノミハ
タエマクエハヤの家はその妻に継がせた。ノミノスクネは
ユミトリゾコレ      
弓取りと称えられた。
【ユミトリゾコレ】 今でも大相撲の結びの後に「弓取り式」があるのはこれが起源か。