日本書紀では、スサノヲが訪ねていって自分の心が清いか否かの誓約をした相手の「姉」がアマテルカミとなっていますが、そのような約束をした後で、そのアマテルカミが岩戸に隠れてしまうような乱暴狼藉をスサノヲが働くというのは、話の順序が変だと思いませんか。
ホツマツタヱでは、スサノヲ(ホツマツタヱではソサノヲ)は乱暴狼藉の後、刑罰を科せられて、流浪の旅に出る前に姉のワカ姫(日本書紀にはワカ姫がいません)へ別れを告げに行きます。この話の順序の方が筋が通っているように思います。すなわち、日本書紀はアマテルとワカ姫を混同して、一人にし「姉」としたのでアマテルは女神となったのではないかと思います。
ホツマツタヱではアマテルカミは日のカミと言われ、12人の妃を12か月になぞらえ、そのうちの一人が后となり、13人目の妃もいるように書かれています。そして、その子孫も系譜がきちんとわかるように書かれ、神武以降の天皇に続いています。
このようなことから、ホツマツタヱを読み進めているうちに、私は「アマテルカミは人間の男性である」とすることに何の抵抗もなくなったどころか、日本書紀の記述や読み方に問題があるのではないかとさえ思うようになりました。
男性の姿をしたアマテルカミで、私が直接目にしたのは名古屋市竜泉寺の円空作の一体だけですが、郡上市神明神社の天照大神像は円空の初期の作としてよく知られているようです。「伊勢神宮に奉納する天照大神の装束一式が男性用の衣装である」という記事も目にしたことがあります。アマテルカミが男神だということも一部では信じられてきていたようです。
日本書紀の記述を頼りに広められたと思われる女神論と、男神とされる具体的な事物もあることと、上記のホツマツタヱの記述を合わせて考えると、どちらに分があるように思いますか。
私は、みなさんもきっとホツマツタヱを読み終わったとき、アマテルカミを「男性」だと信じられるのではないかと思います。
・・・・・平成27年12月13日