イサナミ尊は千人も絞め殺さない!

 5綾の、黄泉平坂(ヨモツヒラサカ)でイサナミ尊とイサナギ尊が交わした
イサナミイワク「ウルワシヤ カクナサザラバ チカフベオ ヒビニクビラン」
イサナキモ「ウルワシヤワレ ソノチイモ ウミテアヤマチ ナキコトオ マモル」
という言葉を私は次のように訳しました。
イサナミ尊は言われました。「愛しい君よ、私がこのようにしなければあなたは千人の民の命を日々奪うことになるでしょう」。
イサナギ尊も「麗しい人よ、吾は千五百人の民を増やして、民の命を奪うような過ちは絶対にしないように誓います」と言われました。

 日本書紀の原文は次の通りです。
時伊弉冉尊曰、愛也吾夫君、言如此者、吾當縊殺汝所治國民日將千頭。
伊弉諾尊、乃報之曰、愛也吾妹、言如此者、吾則當産日將千五百頭。
 岩波文庫日本書紀の読み下し分は次の通りです。
時に、伊弉冉尊の曰はく、「愛しき吾が夫(なせ)の君(みこと)し、如此(かく)言(のた)はば、吾は当(まさ)に汝(いまし)が治す国民(ひとくさ)、日(ひとひ)に千頭(ちかうべ)縊(くびり)殺さむ」とのたまふ。
伊弉諾尊、乃(すなは)ち報(こた)へて曰はく、「愛(うるは)しき吾が妹(なにものみこと)し、如此言はば、吾は当に日に千五百頭(チ神戸あまり以降邊) 産ましめむ。
 また、全現代語訳日本書紀(宇治谷孟著、講談社学術文庫)での現代語訳は次の通りです。
その時伊弉冉尊がいわれるのに、「あなたがそのようにおっしゃるならば、私はあなたが治める国の民を、一日に千人ずつ絞め殺そう」と。
伊弉諾尊が答えていわれる。「愛するわが妻が、そのようにいうなら、一日に千五百人ずつ生ませよう」と。
日本書紀原文の「吾當縊殺汝所治國民」を元に考えれば、確かに伊弉冉尊が千人の首を絞めて殺すと読めます。

 ちなみに書籍やインターネットで公開されているホツマツタヱの同箇所の訳も知り得る限りではすべて、イサナミ尊が千人の首を絞めて殺すことになっています。実に私は孤立無援の状態なのです。
 では、もう一度 「ウルワシヤ カクナサザラバ チカフベオ ヒビニクビラン」を見てみましょう。この中の「カクナサザラバ」に当たる日本書紀の同箇所は「言如此者」、その読み下し文「如此(かく)言(のた)はば」、現代語訳「あなたがそのようにおっしゃるならば」となっており、ホツマツタヱの「カクナサザラバ」と明らかに肯定と否定の違いがあります。私は、が「一日に千人ずつ絞め殺す」と言ったとすれば、民のために互いに艱難辛苦を越えて尽くしてきた夫にこの言い方はあまりにも過酷で、不自然に思えます。しかも伊弉冉尊は「愛するわが夫よ」と言っているのです。
 私は「カクナサザラバ」を「このようにしなければ」と訳しました。すると主語は私(イサナミ)となり、「このようにする」ということは、醜女(シコメ)に追い返させたこととなります。すると、「(追い返さずに)イサナギ尊までもが死んでしまえば多くの民の命が危ない」ということになり、「愛しい君よ、私がこのようにしなければあなたは千人の民の命を日々奪うことになるでしょう」という訳にしたのです。そして「イサナギ尊までもが死んでしまえば多くの民の命が危ない」というイサナミ尊の思いをイサナギ尊が夢の中で気づいたというようにわたしは解釈したのです。そして、この方が二尊の生き方にふさわしいと私は思うのです。

 浅学菲才で、古文とりわけ漢文に弱い私がこんなことまで言うとどうかとも思いますが、やはり原典はホツマツタヱで、日本書紀に書かれた時点で「カクナサザラバ」が「言如此者」と、逆の意味にすり替わったのではないかと考えます。千葉富三先生も著書でホツマツタヱから日本書紀に書き写される時、区切りを間違える「ギナタ読み」などにも具体的に触れています。日本書紀の揚げ足取りをするつもりは毛頭ありませんが、今後も違いの大きい所は取り上げていきたいと思います。
・・・・・平成28年2月24日