ホツマの時代の民はこんなに大切にされていた

 新しい綾を更新した時、Twitterで簡単にその綾の見どころを呟いてきました。振り返ってみると、君や臣の世界が書かれているホツマツタヱに、こんなにも民のことが書かれており、特にアマテルカミの民への愛情に心打たれるものがありました。直接民の生活を描写する場面はありませんが、ホツマの時代―私はそれを弥生時代と考えています―の民はこんなにも大切にされていたのだと感じました。

臣も民もいっしょに話を聞いていた。(14綾002~)
 年越しの夜、アマテルカミの話を聞きに、皇子や臣だけでなく、民も集まります。そこでアマテルカミは、皇子も臣も民もみな「クニトコタチノ コスエ」、すなわち祖先を同じくしていると言っています。話の最後には「タミカナラズモ コレナワスレソ」と、民へ声をかけています。為政者と民衆の距離がこんなにも近く、臣も民も話を一緒に聞いていたのです。

民が豊かにと願うアマテルカミ。(15綾025~)
 アマテルカミは正しい食生活について述べる中で、「アメノウムタミ」を「コノゴトク」思い、長生きしているのを見たく、食べ物の中で良いものと悪いものを分けた」と言っています。話の中には現代からすると、理解しがたい所もありますが、アマテルカミは民を我が子のように思って長生きしてほしいと願い、日常の食事に世の中にある苦菜より百倍も苦い千代見草を食べて、自らも長生きして「タミユタカニ」と願って国を治めました。まさに為政者の鑑だと私は思います。

役人も民のために頑張っていた(16綾173~)
 身籠ったヒトリ姫がコモリに、「民には子どもがたくさんいるのに、宮人には子どもがいないのはどうしてですか」と聞きました。コモリが次のように答えます。「国守などは、『タミノタメ ココロツクシテ』いるので活力が衰えて、子種が少なくなってしまうのです」。当時の役人は人々のために精力を使い果たして、子宝にも恵まれにくかったということでしょうか。25綾で取り上げますが、君であるホオデミも同じでした。民の様子は語られていませんが、民が大事にされていたことは想像に難くありません。

アマテルカミの教え(17綾037~、051~)
 ホツマツタヱの魅力の一つはアマテルカミの教えです。「神鏡、八咫の名の綾」というタイトルからアマテルカミの難しい理論が並べられているように感じますが、実は民への思いが強く語られているのです。「親が子を身籠れば、母親は乳が出る。父母は、まさしく垂乳根である。治める人も教える人も、垂乳根ではないが、親なのである。それを考えると、吾が治めている民は我が子のようなものなので、民こそが国の主体なのである」と言っています。特に「タスクルタミハ コノゴトク ヤタハオオヤケ」という言葉はアマテルカミが民を政治の中心に考えていた証しのように思えます。
 また次のようにも説いています。「臣達は一日中気をゆるめることなく、民に教えることを常に仕事とせよ。臣は我が子、民は孫と思い、分け隔てせず慈しんで恵みを与えようと吾は思っている」。そしてこれに続く「ヲシヱヌモノハ トミナラズ ヲシヱウケヌハ タミナラズ」(民に教えることができない者は臣の資格がない。また、教えを受けようとしない者は民でない)という言葉の凛とした響きにアマテルカミの強く、偏らない愛情が感じられます。そして、これらの考えは平安時代の貴族社会や江戸時代の封建社会とは全く違う、現代にも十分に通用する素晴らしい理念だとは思いませんか。

アマテルカミの厳しい目(17綾066~、095~、101~)
 アマテルカミは「人の心の中はおよそ十中九人は、表向きはまじめに働いているように見せ陰では怠けている。(アラハニツトメ ウラヤスム)」また、「人の心の中には人が二人いる。(ヒトノナカゴハ ヒトフタリ)」と、人の本性を見抜いています。ム、ム! 2千年以上昔から、私のサガが見抜かれていたとは・・・。
だからと言って、切り捨てたりはしません。民の中には「ニブ、ナレ、トキ」すなわち鈍い者・並みの者・賢い者がいるが、「例えば、たくさんある器も、屑のようなものも捨てないでできの悪い物もよい物も、まんべんなく使うのが二尊の御心であった。吾は、良い者も悪い者も慈しんで楽しみとして見守っている」と言っています。・・・救われました。

民は固定された階級ではなかった?(17綾372~)
 「ツチカフハ ミノアシハラモ ミツホナル タミトナセトミ トミトナレタミ」という二尊(イサナギ・イサナミ)の「カミノミウタ」の「タミトナセトミ」は「臣は民と一緒に働け」、「トミトナレタミ」は「臣になりなさい民よ」。この言葉から、私はこの時代は「民」は固定された被差別階級ではなかったのではないかと考えます。

江戸時代の参勤交代では考えられない民との関わり(20綾010~、076~)
 君のオシホミミがアシハラクニを治めようと旅立つ支度をしていると、「タミ アツマリテ ヒタトトムユエ」クシタマホノアカリを代わりに行かせることにしました。このことだけでも、民を大事にする政治が行われていたことが想像できます。そして、ホノアカリの行幸の道中、民が出迎えに出て農作業に支障が出ていると聞くと、民に負担がかからないように「イワフネ ススムベシ」と一行を船旅にさせたアマテルカミの民への思いやり。いつの時代でも君のあるべき姿と言えるでしょう。

わずか19行に「民」が5回!(21綾119~)
ニニキネが新治に新宮を造ったときの話です。「カドノタカヤニ ヤマサカミ マツルハタミノ カラフシマ」、「民ノカラガレ アラジナト」と、ニニキネは民の困窮がないように、この門に願いをこめています。そして「ヲサガオゴレバ タミツカル」、「タミココロ アメニトドキテ」と、目配りをして「タミオミダラバ ソノツカサ アラタメカエテ カレオトク」と、民を苦しめる村長を更迭するとしています。都を遷すに当たり、とても民に配慮していることが、19行に「タミ」という言葉が5回も出てくることからよくわかります。

ホオデミの「ツクシノタミオ オモウバカリゾ」に感激(25綾234~)
 ホオデミ(ウツキネ)は九州で農業の振興に力を入れ、次第にそれらの土地も豊かに肥えて民は安心して暮らせるようになりました。「ミススノアイタ シバラクモ ヤスマデタミオ タスユエニ キサキツボネモ ミコウマス」と、ホオデミは働きづめで皇子をもうけることもできませんでした。そして、やっとトヨタマ姫と静かに過ごせるようになっても、ホオデミは「ツクシノタミオ オモウバカリゾ」(我は筑紫の民のことが ただ思われるのだ)とウツキネは話されたというのです。これが君と言われる人の生活だったということはホツマツタヱでなければ知りえないのではないでしょうか。
・・・・・平成28年5月25日