ホツマ文字って?

 「なにこれ? 日本の文字のイメージとまるで違う!本物なの?」これが、初めてホツマ文字に触れた時の率直な感想でした。ネット上にもホツマツタヱを偽書だという理由に、文字について、
      ① 日本には、漢字以前に文字はなかった。
      ②「アワうた」は「あいうえお」の五十音表を並べ替えただけだ。
      ③ 日本書紀や万葉集には8母音の上代特殊仮名遣いがあった。5母音しかないホツマツタヱは偽書だ。
などということが書かれていました。でも、それには次のような反論もできるのではないかと思います。
① 本当に日本には、漢字以前に文字はなかったのだろうか?

 斎部広成が807年に撰述した「古語拾遺」という斎部氏の由緒を記した歴史書の冒頭に「蓋聞 上古之世 未有文字 貴賤老少 口口相傳(聞くところによると、上古の世には文字が無く すべての者が 口から口へと伝えていた)」とあることを根拠にしているのだと思います。「古語拾遺」は政治的な目的で書かれたもののようですが、広成は漢字以前に文字はなかったということをどのようにして知ったのでしょうか。今日のような、様々な情報を手に入れる手段のなかった時代に、「文字がなかった」という確かな情報を手に入れることができたとすれば、他にもこのようなことが書かれていてもよいはずではないでしょうか。しかも、「蓋聞」(聞くところによると)と、確証がないことを断っているのです。というわけで、「漢字以前に文字がなかった」と断言するのは正しいとは言い切れないように思います。
② 偽書だとしても、五十音表を並べ替えただけの見え見えの「アワうた」を作るだろうか?

 五十音表は、古くは平安時代からはじまり、現在の形になったのは17世紀ごろともいわれ、五十音の考え方が普及するまでは「いろは歌」や「あめつちの歌」などといういろいろな並べ方があったようです。そうすると、「アワうた」の「アカハナマ・・・」もその一つと考えることができるように思います。むしろ、日本書紀とは内容的に大きく違っていながら、筋道立っているこれだけ膨大な内容の「ホツマツタヱ」を書いた者が、現在の形の五十音表を見え見えの形で安易に作り変えるとは思えません。「ア」から始まり「ワ」で終わることには意味があり、それを唱えやすい形にした「アワうた」があったと考えてもおかしくはないように思います。
③ 上代特殊仮名遣が8母音だからといって、5母音のホツマツタヱを偽書と断定できるだろうか?

 人は文字より先に話し言葉を持っていた。それは当たり前のことです。そして話し言葉は、現代でも厳密に言えば実に多様です。例えば「ん」の発音は「m」と「n」や「ng」のように発音されている言葉も文字にすると「ん」と書かれることが多くあります。今日では「violin」は「ヴァイオリン」と書くことが多くなりましたが、辞書の見出しは「バイオリン」です。「Th-」と「Sh-」、「H-」と「F-」のような英単語も日本語化した場合は、表記はサ行、ハ行、で書き表されてきました。秋田のおばあさんが、「火を消す」を「フィを消す」と言い、「日が昇る」は「ヒが昇る」と言っていました。多分「フィを消す」を仮名書きすれば「ひをけす」と書いたのではないかと思います。このように我が国では微妙に違う発音の言葉も50音表にある仮名で書き表してきたように思います。
 上代特殊仮名遣は文字として残されたもので、録音されて残った音声がありませんから、どのように発音の区別があったかは分かりませんが、現代でも話し言葉には文字で表せないような微妙な発音の違いがあるように、上代にも微妙な発音の違いは当然あったと考えられます。それでも現在、私たちはそれらの言葉もすべて50音表にある仮名で書き表すことができます。それは、漢字が伝わる以前からホツマ文字という文化を持った我が国の人々が、すべての言葉をホツマ文字で書き表していた時期があったということと無関係ではないと私は考えています。
 上代(奈良時代)、記紀や万葉集が編纂された頃は、大陸の文物や人物が先端文化の中心となりました。記紀や万葉集が漢字で編まれているということは、そこに渡来人が大きく関与していたと考えられます。現代中国語は400超の発声に加えて四声という声調があるそうですが、そのような言葉を持つ渡来人は先に書いたような日本語の微妙な発音の違いを聞き分けることができたでしょう。
 先に例として挙げた秋田のおばあさんの発音の「日(ヒ)」と「火(フィ)」は、日本書紀も万葉集も「日」は甲類、「火」は乙類となっています。これにならって、例えば甲類の「秋(アキ)」と乙類の「月(ツキ)」の発音の違いを「アキ」、「ツクィ」と発音したと考えます。「上(カミ)」と「神(カミ)」は同じようですが、「神」は「神田」のように「カン」または「カム」と発音されることがあります。もしかしたら「上」が甲類の「ミ」で、「神」が乙類の「ン、またはム(ムィ)」と発音されていたのかもしれません。
 そこで、これはあくまでも仮説に過ぎませんが、イ段のキ・ヒ・ミ、エ段のケ・ヘ・メ、オ段のコ・ソ・ト・ノ・ヨ・ロの12字(古事記のみに「モ」がある)について、例えばイ段は「イ」と「ゥイ」、エ段は「エ」と「ゥエ」、オ段は「オ」と「ゥオ」となるような二種類の発音があったと考えてみました。そうすると、微妙な発音の違いを聞き分けることができた渡来人には、それぞれの発音は「キとクィ」、「ヒとフィ」、「ミとムイ」、「ケとクェ」、「ヘとフェ」、「メとミェ」、「コとクォ」、「ソとスォ」、「トとツォ」、「ノとヌォ」、「ヨとイォ」、「ロとラォ」などいうように音の違いが聞き分けられたのではないかと考えられます。そしてこれらの音の聞こえ方の違いをそれに当てはめる漢字の違いで表した結果が上代特殊仮名遣の8母音として今日に残ったと言えないでしょうか。
 上代特殊仮名遣は、古くは本居宣長から、橋本進吉、金田一京助、大野晋、森重敏、馬淵和夫等々目もくらむような碩学が膨大な史料と時間を費やして研究されており、論文や著書も数多くあります。ド素人の私に口をはさむ余地などないことは重々承知の上、ホツマ文字があったという観点から思いを巡らし、「キとクィ」のように聞き分けたと私は仮説をたてましたが、国語学者で5母音説の森重敏氏も「漢字の使い分けは渡来人が音声の違いを音韻として読み取ってしまったもの」と言っています。
 現代でも、日本語の旧来の言葉より英語の言葉の方が、時には新しい概念を表現出来たり、簡潔に表現出来たり、進んでいるようでカッコよかったりするという理由で、PTAやJR、コンセンサス等々英語の略称やカタカナ語が普通に使われるようになり、和語などのもともとあった言葉は影が薄くなったりするのと同じように、記紀が書かれた頃は、トレンドである(おっと、使ってしまった)渡来文化の波の中で、ホツマ文字は旧来の文化として押しやられていったのではないでしょうか。漢字文化の中で、難しい漢字を読みやすくするため、漢字の一部を取った文字でルビを振る試みがされても、恐らく漢字より下に見られ、いったん姿を消したホツマ文字がルビの文字としても再登場することはなかったことは想像に難くありません。
 このようにしてホツマ文字は歴史の陰に葬られていきましたが、これまで述べたように上代特殊仮名遣の8母音は渡来人の「耳」から生まれた漢字の書き分けによるもので、それまではホツマ文字による5母音の表記があったと考えることは、何の不自然もなく、このことをもってホツマツタヱを偽書だと断定することはできないと私は考えます。
・・・・・平成28年11月24日