2 ホツマツタヱから推測した古代史年表

未魁の新説異説

2 ホツマツタヱから推測した古代史年表

西暦 干支 ホツマツタヱに書かれた事項
  (※ カッコ内はキアヱ歴)
参考
前1000 この頃北部九州より水稲稲作が始まる(国立歴史民俗博物館)
660辛酉 神武即位(日本書紀を元に算出)
509壬辰 ローマ帝国王政廃止, 共和制に
334丁亥 アレキサンダー, 東方遠征
221庚辰 始皇帝, 中国を統一
219壬午 この頃イサナギ・イサナミの時代 徐福, 一回目渡来(始皇本紀)
210辛卯 徐福, 二回目渡来(始皇本紀)
207甲午 アマテルウヒルキ)生まれる(キシヱ)
180辛酉 アマテル, ハラミ宮を造営(サナト)
165丙戊 ニニキネ, ミヅホ宮を造る(ツウヱ)これ以前にニハリ宮を造り, ハラミの裾野やツクシを開墾, 各地に農地(堤・井堰)を作る
140辛丑 この頃ニニキネ崩御, タカチホの峰に入り崩御(サアト)
118癸亥 ホオデミ崩御, 遺骸はイササワケ宮, ケイのカミとなる(ネウト)
117甲子 イツセ生まれる(キアヱ)
116乙丑 ウガヤフキアワセズ即位, アマテル崩御(92歳)(キアト) 最期はトヨケ洞のアサヒ宮
108癸酉 前漢の武帝, 衛氏朝鮮を滅ぼす
98癸未 ウガヤ, タケヒトに譲位, ウガヤ崩御(ネシト)
97甲申 スズ暦よりアスス暦に変わる(キナヱ)
85丙申 アマノコヤネ没(ツナヱ)
68癸丑 ツミハヤヱコトシロヌシ(イスズ姫の父)没, 姫15歳(ネアト)
67甲寅 タケヒト、ヒムカからヤマトへ向かう。(キミヱ)
63戊午 イツセ、ナガスネヒコの軍に矢を射られ没す。(ヲシヱ)
60辛酉 カンヤマトイハワレヒコ(諱タケヒト)即位(サナト, 以降キアヱ暦は省略) 漢風諡号「神武」
45丙子 シーザー, ユリウス暦を制定
44丁丑 カンヤマトイハワレヒコ崩御, 在位17年 これより殉死の習わしが起こる
43戊寅 これより4年, タギシミミが政を執る この間はスベラギ, 空位
40辛巳 タギシミミ, カヌカワミミに誅せられ, 没
39壬午 カヌカワミミ即位, 大物主クシヒコ・フキネ・ワニヒコをミワの神とし, 代々のスヘラギの守りとして祭る 漢風諡号「綏靖」
27甲午 帝政ローマ開始
17甲辰 カヌカワミミ崩御, 在位23年
16乙巳 タマデミ(諱シギヒト)即位
後12壬申 タマデミ崩御, 在位28年
13癸酉 オオヤマトヒコスキトモ(諱ヨシヒト)即位, 漢風諡号「懿徳」
36丙申 オオヤマトヒコスキトモ崩御, 在位24年 光武帝, 中国を統一
37丁酉 カヱシネ(諱ミルヒト)即位 漢風諡号「孝昭」
61辛酉 カヱシネ崩御, 在位25年
62壬戌 ヤマトタリヒコクニ(諱オシヒト)即位 漢風諡号「孝安」
93癸巳 ヤマトタリヒコクニ崩御, 在位32年
94甲午 オオヤマトフトニ(諱ネコヒコ)即位, 三つ子の間引き禁止, 香久 山(富士山)に行幸, タマガワの神宝文を出雲に納める 漢風諡号「孝霊」
112壬子 オオヤマトフトニ崩御, 在位19年
113癸丑 ヤマトネコヒコクニクル (諱モトギネ)即位 漢風諡号「孝元」
116丙辰 ローマ帝国隆盛
133癸酉 ヤマトネコヒコクニクル崩御, 在位21年
134甲戌 ワカヤマトネコヒコ(諱フトヒヒ)即位, 父親の妃イカシコメを妃とし, オオミケヌシに諫言されるも無視, 皇子ミマキイリヒコはこの出自を恐れる 漢風諡号「開化」
154甲午 ワカヤマトネコヒコ崩御, 在位21年
155乙未 ミマキイリヒコ(諱イソニヱ)即位, 三種宝の剣と鏡を作り替える
カンナフミ(神名帳)を作る
漢風諡号「崇神」
この頃, 荒神谷に鉄剣を祭る
174甲寅 ミマキイリヒコ崩御, 在位20年
175乙卯 イクメイリヒコ(諱イソサチ)即位, 殉死を廃止, 埴輪の初め 漢風諡号「垂仁」
194甲戌 イクメイリヒコ崩御, 在位20年
195乙亥 ヤマトオシロワケ(諱タリヒコ)即位, 熊襲征伐
ヤマトタケ, クマソタケルを討つ, 蝦夷を平定
ヤマトタケ, 伊吹山の難で没
漢風諡号「景行」
220庚子 ヤマトオシロワケ崩御, 在位26年 (ホツマツタヱは途中までなので, 年数は日本書紀を参考にした, 以降は日本書紀の記述をもとに在位期間を算出した)
221辛丑 稚足彦(ワカタラシヒコ)(成務)天皇即位
230庚戌 稚足彦(成務)天皇崩御, 在位10年
232壬子 足仲彦(タラシナカツヒコ)(仲哀) 天皇即位
237丁巳 卑弥呼, 難升米を魏へ送る(魏志倭人伝)
240庚申 足仲彦(仲哀) 天皇崩御, 在位9年
241辛酉 気長足姫(オキナガタラシヒメ)(神功皇后)摂政となる
245乙丑 卑弥呼, 狗奴国と交戦(魏志倭人伝)
246丙寅 卑弥呼没す(魏志倭人伝)
253癸酉 誉田別(ホムタワケ)皇子13歳
259己卯 誉田別皇子没, 19歳 20歳の加算で39歳とされる,  誉田別皇子の子1~3歳位か
260庚辰 神功摂政20年 加算により40年とされる
264甲申 倭の女王, 西晋に使者を送り朝見(神功記66年)
270頃 誉田別皇子の子(後の応神天皇)が親の名「誉田別」を名乗る
289己酉 気長足姫(神功皇后)没, 摂政在位49年
290庚戌 誉田(ホムタ)(応神)天皇即位
330庚寅 誉田(応神)天皇崩御, 在位41年
333癸未 大鷦鷯(オオサザキ)(仁徳)天皇即位
342壬寅 難波の堀江を開削
346丙午 百済, 近肖古王立つ
356丙辰 新羅, 奈勿王立つ
367丁卯 倭国, 新羅を討つ, (神功記49年)
369己巳 大鷦鷯(仁徳)天皇崩御, 在位37年
370庚午 去来穂別(イザホワケ)(履中)天皇即位 肖古王より七枝刀, (神功記52年)
375乙亥 去来穂別(履中)天皇崩御, 在位6年
376丙子 瑞歯別(ミツハワケ)(反正)天皇即位
380庚辰 瑞歯別(ミツハワケ)(反正)天皇崩御, 在位5年
381辛巳 皇子, 皇位継承を拒否したため, この年空位
382壬午 雄朝津間稚子宿禰(ヲアサヅマワクゴノスクネ)(允恭)天皇即位
402壬寅 倭, 高句麗に撃退される(広開土王碑文)
419己未 倭王讃, 宋に朝貢(宋書倭国伝)
423癸亥 雄朝津間稚子宿禰(允恭)天皇崩御, 在位42年
424甲子 穴穂(アナホ)(安康)天皇即位 倭王讃, 司馬曹達をして宋に朝貢(宋書倭国伝)
426丙寅 穴穂(アナホ)(安康)天皇崩御, 在位3年
427丁卯 大泊瀬幼武(オオハツセノワカタケ)(雄略)天皇即位
436丙子 倭王讃没, 弟珍立つ(宋書倭国伝)
441辛巳 倭王済, 宋に朝貢, 安東将軍倭国王の称を授かる(宋書倭国伝)
449己丑 大泊瀬幼武(雄略)天皇崩御, 在位23年
450庚寅 白髪武広国押稚日本根子(シラカノタケヒロクニオシワカヤマトネコ)(清寧)天皇即位
454甲午 白髪武広国押稚日本根子(清寧)天皇崩御, 在位5年
455乙未 弘計(ヲケ)(顕宗)天皇即位
457丁酉 弘計天皇崩御, 在位3年
458戊戌 億計(オケ)(仁賢)天皇即位
460庚子 宋, 倭王興を安東将軍倭国王とする(宋書孝武帝紀)
468戊申 億計(仁賢)天皇崩御, 在位11年
469己酉 小泊瀬稚鷦鷯(オハツセノワカサザキ) (武烈)天皇即位
475乙卯 倭国王興没し, 弟武立つ, 武自ら 倭国王と称す(宋書倭国伝)
477丁巳 南斉, 倭王武を鎮東将軍にする(南斉書, 倭国伝)
500庚辰 梁武帝, 倭王武を征東将軍とする(梁書武帝紀)
506丙戌 小泊瀬稚鷦鷯 (武烈)天皇崩御, 在位39年
507丁亥 男大迹(オオドノ)(継体)天皇即位

2016年5月26日訂正。
231年以降の天皇在位年に1年の誤りがありましたので、それぞれ1年ずつ繰り下げました。506年の小泊瀬稚鷦鷯 (武烈)天皇崩御と507年の男大迹(オオドノ)(継体)天皇即位は変わっていません。