7 「一百七十九万二千四百七十余歳」が意味すること
「最古の日本古代史の証」
新説異説の、6「神武東征」の記述から見える「高地性遺跡」と「古大阪湾」で、日本書紀を引用した中に神日本磐余彦天皇が「天孫が降臨されてから、百七十九万二千四百七十余年になる(原文は「自天祖降跡以逮、于今一百七十九萬二千四百七十餘歳)」という文言があります。ホツマツタヱ29綾033~034にも「百七十九万二千四百七十穂過ぎるまでも(原文は「モモナソコヨロ フチヨモモ ナソホヘルマデ」と同じ数が出てきます。岩波文庫の日本書紀も私の訳もこの数字については特段触れませんでしたが、ここで改めてこの数について考えてみたいと思います。
このサイトは千葉富三氏の「甦る古代 日本の誕生」に使われているホツマ文字を使わせて頂いていることで成り立っています。更に、その内容にも多くのことを学んでいます。表題の数字についても千葉富三氏は著書二冊で触れ、さらに検証ホツマツタヱ75号でも詳しく考察され、大方がスルーしているこの数をホツマツタヱが「最古の日本古代史の証」と書かれています。私もまったく同感ですが、ここでは朝倉未魁流の視点で「一百七十九万二千四百七十余年」が意味することについて考えてみます。
ホツマツタヱの大きな数
ホツマツタヱには実にたくさん「大きな数」が出てきます。ためしに「10,000」を表す「ヨロ」を検索してみてください。29綾までで「ヨロコビ」など数とは関係ない言葉を除いて120回ほど出てきます。そのほとんどが「ヒトハフソヨロ イマノヨハ タダフヨロトシ」というように年齢や「「ヤヨロトシヘテ」など年数、また「ヨロマスタミ」など人数を表わしています。わたしはこれらを、期間や数量の多いことを表す表現として「長い年月、長寿、大勢」などという意味の言葉に訳してきました。現代でも「万」は「万国博、万華鏡、万年筆、万病、万年、万感胸に迫る」などと、数が多いことを意味する語として使われています。ただし会話文ではその時代にその人が話した言葉として、書かれた数をそのままの数で訳しました。地の文でもその「数」に特別な意味があると思われる場合は、例外としてその数で訳しました。
ホツマツタヱの「百七十九万二千四百七十穂」はタケヒトの話の中なので、そのままの数で表しましたが、振り返るとこれはたいへん重要な意味を持った数なのです。この「百七十九万二千四百七十」という数は、上記のとおり日本書紀とホツマツタヱの両方に出てきますが、日本書紀は唐突にこの数が出てきて、なぜこの数なのか全くわかりません。ところが、ホツマツタヱにはこの数が出てくる根拠が書かれているのです。
大きな数の元をたどる
「百七十九万二千四百七十」の単位は、日本書紀では「歳」、ホツマツタヱでは「穂」となっています。「歳」は通常「年」と読み替えてもよいと思われますので、1792470年となり、天孫が現れたのは今より179万年以上前、すなわちアフリカに原人(ホモエレクトス)が現れた頃ということになります。
ホツマツタヱの「穂」は叙述の中では「年」と同じ意味で使われることもありますが、この大きな数は「スズキ暦」という考え方から出てきたもので、マサカキの木の枝の生長や数を元に数えるという特殊なもので、即「年」とはできない数字です。28綾009から、カスガの話として、およそ次のように書いてあります。
- ● マサカキを植えて、1年目に出た穂が10年で5寸となり、60年で3咫伸び、その1枝でヱトの一巡りとなる。
- ● 1枝が60年、10枝で600年、100枝で6千年、千枝では6万年となる。
- ● 枝が千枝になると、そのマサカキは枯れる。これで1スズ。
- ● 千枝の年にマサカキの種を植え、次の年に芽が出るようにする。
植物の成長は天候や病害虫によって左右され、このように都合よく進むわけありません。アマテルカミの最後のマサカキは20年で枯れたと書いてあります。ですから、これらを元にした年数は実際の年数とはかけ離れたものと考えます。これらの数がどのような意味を持ち、どのように使われたかはよく分かりませんが、信仰的なものや儀式的なもの、または権威と関係ある数として使われたのかもしれません。
では、ホツマツタヱでは大きな数はどのように書かれているのでしょうか。(説明のため訳文を簡略にしています)
- ● 4綾024 21スズの1207520年(スズ暦に換算、20スズ108枝)にトヨケ尊が八千回の契りで二尊の世継ぎを願う。
- ● 4綾095 28綾040 アマテルカミ(ワカヒト)、21スズ125枝、ミソヒ(年数に換算、1207531年)キシヱの若日(初日)に誕生。
- ● 27綾161 49スズ911枝初穂~数年、(年数に換算、2994660年から数年)ウガヤフキアワセズがヤセ姫を娶りイツセ皇子誕生。乳母タマヨリ姫を娶りタケヒト誕生
- ● 28綾131 植えなかったのにマサカキの50本目が生え、アマテルカミは死期を悟る。
- ● 28綾142 アマテルカミが1732500歳で崩御。
- ● 28綾245 マサカキは20年で枯れ、暦をアスス暦にかえる。その時タケヒトは15歳。
- ● 29綾033「1792470穂過ぎるまでも優れた君がいた」と言った時、タケヒトは45歳。ここで言う「優れた君」はアマテルカミから父親のウガヤフキアワセズまで。すなわち30年前のタケヒト15歳以前のこと言っている。
以上のように、大きな数が何度も出てきて、計算上もつじつまが合っています。そして、問題の「1792470」という数は、次のように導き出されます。
植物のマサカキは、みな同じ年数で枯れるものではありません。それでもみな1本で6万年としているので、このマサカキは20年で枯れましたが、次のマサカキが生えるまでを6万年とカウントすると考えます。まだマサカキが生えない現在を6万年として、「優れた君」のいた30年前まで遡る、すなわち6万年から30年を引くと59970年となります。そして、アマテルカミ崩御の歳の1732500年に59970年を加えると1792470年になります。
「大きな数」は語る
「1792470」への導き方はいささか強引かも知れませんが、考えられない筋道ではないと思います。兎にも角にも日本書紀ではこのような大きな数はおよそないのですから、多くの日本書紀研究者や学者もこの数には「?」のままです。日本書紀を論ずるとき多くの方が参考にしている岩波文庫「日本書紀」校注の坂本太郎、家永三郎、井上光貞、大野晋の諸権威も、補注で飯島忠夫など先人の説を紹介するに留まり、解釈には至っていません。何の手がかりもつかめない日本書紀のこの数は、もしかしたらホツマツタヱの数に由来しているのかもしれません。この事実を知ってもなお、本当にホツマツタヱは江戸時代に作られた偽書だと切り捨ててもよいのでしょうか。眉に唾を付けながらでも、古代史を研究している方々にもホツマツタヱに向き合ってほしいものです。