9 謎深き「高良玉垂命」をホツマツタヱから探る

未魁の新説異説

9 謎深き「高良玉垂命」をホツマツタヱから探る

謎の高良玉垂命

 突然ですが、「高良玉垂命(コウラタマダレノミコト)」をご存知ですか。「高良玉垂命」とはどんな神様なのでしょうか。記紀にも書かれていない「隠された神」と言われるこの神は、福岡県久留米市の高良山に鎮座する筑後国一宮の高良大社の主祭神です。朝廷から正一位を授かった神なのに正体が不明で、武内宿禰、藤大臣、彦火火出見尊、水沼祖神等々たくさんの説があり、さらに日本中の神々が出雲に集うという神無月にも高良玉垂命は出雲に行かず、当地では10月を「神在り月」と言うというような謎に満ちた神だそうです。この謎の神の正体をホツマツタヱから探ってみます。

そもそもの始まりは・・・

 まず、謎解きは紀元前のヤマトの出来事から始まります。  ホツマツタヱによると、紀元前170年頃、世の中はアマテルカミの皇子オシホミミが政を執る時代になっていました。その頃は7代目タカミムスビであるタカギがオシホミミの後見役をしていました。その時代に事件が起きたのです。香具の木の枝が萎れたのでフトマニで占うと、「シチリガヤモリ ハゲシクテ」(オホナムチのおごりが激しくなって危険だ)と出ました。調べると占いのとおりだったので、タカギは出雲のオホナムチを糾す使者を差し向けました。
 はじめアマテルの皇子ホヒを遣わしましたが帰ってこなかったので、次にその子のオオセイイミクマノを遣わしましたが、これも帰ってきませんでした。3人目にアマクニタマの子のアメワカヒコを遣わすことになりました。タカギが特にカコ弓とハハ矢を授けて差し向けたにもかかわらず、アメワカヒコもまた帰ってこないどころか、オホナムチの娘のタカテル姫を娶り、8年間もアシハラナカクニに住み着き、偵察に来た使者をハハ矢で殺してしまったのです。その様子を知ったタカギにアメワカヒコはそのハハ矢で殺されます。(この話は10綾に書かれています)ここで頭に留めておいていただきたいのは、7代目タカミムスビのタカギとアマクニタマの子のアメワカヒコです。特に「朝倉未魁の新説異説」の「徐福は我が国の古代史に欠かせない人物」で「金山彦の息子のアマクニタマ、その娘のシタテルオグラ姫と息子のアメワカヒコなどもヤマト朝の中枢に近い所にいた。金山彦は徐福と思える。」と書いたように、アマクニタマとアメワカヒコが九州倭国の徐福系の人物だということです。このアマクニタマとアメワカヒコは日本書紀にも天津国玉と天稚彦として書かれています。
 この結果、よく知られているカシマ断ちにより、オホナムチは津軽に国移しされます。オホナムチの処分は当然のことながら、私が不思議に思ったことはハハ矢まで授けられた信義を裏切ったアメワカヒコの父親アマクニタマに対する事後の処分のことです。なんらかの処分はなかったのでしょうか。そのことについてはホツマツタヱには直接的には書かれていないのです。

高良山の麓に降りたタカギ神

 話は九州筑後に飛びます。
 謎の神、高良玉垂命を祭る高良大社が鎮座する高良山の麓に「高樹神社」という神社があります。この神社の祭神は高皇産霊神(タカミムスビノカミ)で、「高木の神」とも言います。そしてこの神社にかかわる次のような興味深い伝説があります。

(高木神は)地主神として山上に鎮座していたが、高良の神に一夜の宿を貸したところ、神籠石を築かれて結界の地とされたために山上に戻れず、ここに鎮座するに到った、と社伝は説く。何らかの支配者の交代が起こったことを暗示するようだ。

ー 綾杉るな「神功皇后伝承を歩く」上巻(不知火書房)

 もうお気づきのことと思いますが、この祭神の名前の「タカミムスビ」と「タカギ」という名前は、そもそもの始まりの話の中でオシホミミの後見役として出てきて、アメワカヒコを成敗した人物の名前です。なぜこんなところに出てきたのでしょう。そして、綾杉るなさんの言う「何らかの支配者の交代」があったとすると、タカミムスビに代わった高良玉垂命とは誰なのでしょうか。そういえば、タカミムスビに成敗されたアメワカヒコの父親アマクニタマは九州倭国の徐福系の人物でした。ここに何か謎を解くカギがありそうです。

アマクニタマのペナルティーが解けた?

 またホツマツタヱの話に戻ります。
 アメワカヒコが処罰された後、父親のアマクニタマは子どもの不始末の処分として、九州倭国に帰ることも許されず美濃の国に蟄居させられたのではないかと考えられます。美濃の国、今の岐阜県真桑村(現本巣市)はその名の通りマクワウリのよい産地として知られています。
 時代はオシホミミに継いでニニキネが政を執るようになりました。私の年表では紀元前165年頃のことです。稲作の改良の成果が認められ、ニニキネはその普及に各地を巡るようアマテルカミから君の位を授かり、各地を巡る旅に出ます。その旅の途中、北陸の白山の峰を越えるとき、山道でも傾かない「峰輿」に乗り喜びます。それはココリ姫(シラヤマ姫、アマテルカミに産湯を遣わした姫、イサナギの姉妹)の義妹ウケステ姫の作ったものでした。ウケステ姫は徐福の妻、アマクニタマの母親です。娘のウリウ姫がアマテルカミの13番目の妃となるなどウケステ姫は才女で、ニニキネに会ったのは孫アメワカヒコの不実の許しを得るためだったのではないかと考えます。そこでニニキネから与えられた「ミチミノモモ」というのは、美濃の国に蟄居しているアマクニタマに美濃の国とモモキネという称号を与えるということだと私は解釈しました。(詳しくは24綾096解釈ノートをご覧ください。)それだから、その後ニニキネが美濃に行ったときアマクニタマは大喜びして、一行にマクワウリを一籠ずつ贈ったのでしょう。これはとりもなおさず7代目タカミムスビ、タカギによるアマクニタマへのペナルティーが解けたということを暗示しているのではないでしょうか。

高良山に帰ったアマクニタマ

 ペナルティーが解けたアマクニタマは、その後九州へ帰ります。その場所が高良山だったと私は推察します。タカミムスビ・タカギはもしもの事態に備え、アマクニタマが治めていた統治の地の本拠を押さえていたのではないでしょうか。そう考えると、「高木神は地主神として山上に鎮座していたが、高良の神に一夜の宿を貸したところ、神籠石を築かれて結界の地とされたために山上に戻れず、ここに鎮座するに到った」というのは、「タカミムスビ・タカギが、元はアマクニタマの宮だった高良山を押さえていたが、アマクニタマが帰ってきたので占領を解き、麓の宮に移った。」と解釈することができます。伝説の文から受け止められる「高木神が親切にしたにもかかわらず、宮を乗っ取られた」という印象とはまるで反対の、元の主のペナルティーが解けたので復権させただけのことだったということです。すなわち、高良山の御神体、高良玉垂命は徐福の子のアマクニタマと私は考えています。
 その後、ヤマトヲシロワケ(景行天皇)が九州を行幸した時にミヌサルオウミという人が案内する話が出てきますが、この人がアマクニタマの子孫ではないかと想像します。それは、この地でアマクニタマは「美濃を去る大君」と呼ばれていたが、年月とともに「ミヌサルオウミ」と変化していったのではないかと考えられるからです。そうすると、水沼祖神説はあながちハズレとは言えないかもしれません。

大善寺玉垂宮の神は女神

 高良大社の主祭神の高良玉垂命がアマクニタマだと推理したので、話はこれでおしまいでいいのですが、余談を少しばかり付け足します。
 高良大社から10km程の所にある大善寺玉垂宮。主祭神は玉垂命(藤大臣、高良大明神)といいます。神社のホームページにも「大善寺玉垂宮の創建については、謎が多く明らかではない」と書かれていますが、二つの神社は神様の名前と神社名が交錯していて、さらには、筑後国神名帳に「玉垂媛神」との記載があるそうで、綾杉るなさんも著書やホームページで、「大善寺玉垂宮の神様はもともと女の神様だったと、地元の寄合ではみんなそう言っている。」「日本書紀には『日神が生んだ三女神は水沼の君の斎(イツキ)祀る神である』とあるので、当宮の本来の祭神は三女神と考えられる。氏子の伝える女の神様とはこのことであろう。」と書かれているように、確かに謎めいています。
 前段で「金山彦の息子がアマクニタマ、その娘がシタテルオグラ姫、息子がアメワカヒコ」と徐福の家系に触れました。このうちのシタテルオグラ姫の夫はアチスキタカヒコネといいます。アチスキタカヒコネは大物主クシキネの子で、前出9綾のアメワカヒコの葬儀で、死んだアメワカヒコに間違えられて怒ったが、なだめたオグラ姫と結ばれた人物です。そのタカヒコネの母親がオキツシマ姫タケコです。そうするとオキツシマ姫はアマクニタマの子孫にとっては先祖神のひとりということになります。
 また、先に「ウケステ姫は徐福の妻、アマクニタマの母親」と書きました。アマクニタマがこの辺りを治めていたと考えると、ウケステ姫は三瀦(水沼)・八女など今の久留米市・八女市の辺りに居を構えていたのではないかと考えられます。同じ玉垂命を祭る高良大社と大善寺玉垂宮ですが、大善寺玉垂宮の方が古く高良大社の本宮だと言われているそうです。ということは、大善寺玉垂宮の方に親がいた、すなわちウケステ姫もいたと考えられます。すなわち、大善寺玉垂宮の女の神とはウケステ姫ではないかとも私は考えます。なお、現在ウケステ姫は八女津媛として八女市の八女津媛神社に祭られています。