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05-048 ハナトホノ トキニマツリテ
春の花の頃と秋の稲穂の実る頃にお祭りをするようになりました。
ココリヒメ ヤカラニツクル
ココリ姫はイサナミ尊が亡くなったことを親族に告げました。
【ココリヒメ】 イサナギの姉(妹)。4綾117の解釈ノートを参照。
05-050 イサナギハ オヒユキミマク
イサナギ尊はイサナミ尊を追って行き、会いたいと思われました。
05-051 ココリヒメ キミコレナミソ
ココリ姫は『君はイサナミ尊の屍を見てはいけません』と言いました。
05-052 ナオキカズ カナシムユエニ
イサナギ尊はそれでも言うことを聞かずに、『悲しいから
キタルトテ ユヅノツケクシ
来たのだ』と言われ、真新しい黄楊櫛の
【ユヅノツケクシ】 「ユヅ」は「柚子」以外に訳せる語がなく、ホツマ文字の「ヅ」の濁点は後に付けられた可能性があるので「ユツ」と読む。「ユツ」は神聖な、清浄なの意となるが「黄楊の櫛」に何か神聖な意味があるのか不明。この時代、櫛は一度使えばかなり汚れてしまうのではないかと考えると、「清浄な黄楊櫛」すなわち「真新しい黄楊櫛」のことではないかと考える。
オトリハオ タヒトシミレバ
オトリ歯に火を点し、松明(タイマツ)にして見に行かれると
【オトリハ】 櫛の端の太い部分。
05-055 ウヂタカル イナヤシコメキ
イサナミ尊の屍には蛆がたかっていました。『さてもさても醜く
05-056 キタナキト アシヒキカエル
穢い』と、イサナギ尊は足を引きずりながら帰られました。
ソノヨマタ カミユキミレハ
その夜(夢の中で)再びイサナギ尊が行かれてみると、
【ソノヨマタ】 神話として扱うならば、「その夜再び行った」と訳すところだが、歴史の中のこととして解釈するので、夢での出来事とした。
05-058 カナマコト イレズハチミス
『誠に愛しい人よ、入ってはいけません。私の恥ずかしい姿を見せたことを
05-059 ワガウラミ シコメヤタリニ
私は恨めしく思います』と、八人の醜女(シコメ)に
05-060 オワシムル ツルギフリニゲ
追い返させました。イサナギ尊は剣を振り振り逃げながら
05-061 エビナグル シコメトリハミ
ブドウの実を投げつけると、醜女はそれを取って食べ、
05-062 サラニオフ タケクシナグル
更に追ってきました。竹の櫛を投げると
05-063 ケレモカミ マタオイクレバ
これも噛み砕き、なおまた追ってきたので、
05-064 モモノキニ カクレテモモノ
桃の木の陰に隠れて、桃の
05-065 ミオナグル テレバシリゾク
実を投げつけました。そこでやっと醜女は退散しました。
エビユルク クシハツケヨシ
ブドウは柔らかくて役に立たず、櫛は黄楊櫛が役に立ちました。
【エビ】 ブドウ。今でもえび茶色(茶色みを帯びたブドウ色)などと使われる。
【クシハツケヨシ】 「エビ」と「モモ」の間に「クシ」がある理由が分からない。「櫛は黄楊櫛が役に立ちました」と訳してはみたが、醜女に追われた話の流れとしてはどうもしっくりこない。どう考えたらよいのだろうか。
モモノナオ オホカンツミト
桃の実は役に立ったので、桃の名をオホカンツミと名付けられました。
【オホカンツミ】 大神津実。大変役に立った立派な実のこと。
05-068 イサナミト ヨモツヒラサカ
イサナギ尊はイサナミ尊と黄泉平坂(ヨモツヒラサカ)で
05-069 コトタチス イサナミイワク
誓い合われました。イサナミ尊は言われました。
ウルワシヤ カクナサザラバ
「愛しい君よ、私がこのようにしなければ
【ウルワシヤ~クビラン】 日本書紀では「そのように言われるのなら私はあなたの国民を一日に千人絞め殺そう」というようになっている。民のために互いに艱難辛苦を越えて尽くしてきた夫にこの言い方はあまりにも過酷ではないだろうか。二尊が民を大事にしていたということを考えると、「イサナギ尊までもが死んでしまえば多くの民の命が危ない」というイサナミ尊の思いをイサナギ尊が夢の中で気づいたというようにわたしは解釈した。この方が二尊の生き方にふさわしいのではないだろうか。
05-071 チカフベオ ヒビニクビラン
あなたは千人の民の命を日々奪うことになるでしょう」。
05-072 イサナギモ ウルワシヤワレ
イサナギ尊も『麗しい人よ、吾は
05-073 ソノチヰモ ウミテアヤマチ
千五百人の民を増やして、民の命を奪うような過ちは
05-074 ナキコトオ マモルヨモツノ
絶対にしないように誓います』と言われました。夢の中で二人が誓い合われた
ヒラサカハ イキタユルマノ
黄泉平坂には、生と死を隔てる
【イキタユルマノ カキリイワ】 息絶える前と後との境目、すなわち生死の境目にある岩。この岩を越えると死の世界に入ると考えていたので、その岩を「道返しの神」と呼んだのだろう。
05-076 カキリイワ コレチカエシノ
限り岩があり、これは道返しの
05-077 カミナリト クヤミテカエル
神に違いないと、自分のしたことを後悔して
モトツミヤ イナシコメオキ
元の宮に帰られました。(夢から覚めて)ひどい穢れを
【イナシコメキオ】 「イナ」の語義不明。「異な」とすると分かりやすいが「異」は漢語なので当てられない。驚いたときに発する感動詞「いや」の類だろうか。
ソソガント オトナシカワニ
清めようと音無川で
【オトナシカワ】 和歌山県田辺市の熊野本宮大社付近で熊野川と合流する川。かつては熊野本宮大社に参詣する人は音無川の流れに入って着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりだったという話である。
ミソキシテ ヤソマカツヒノ
禊ぎをされ、ヤソマカツヒの
【ヤソマカツヒノ カミウミテ】 「ヤソマカツヒ」は、日本書紀では「八十枉津日」。岩波文庫版の注に「ヤソは、多数の意。マガは、汚穢。ツは助詞。ヒは霊力。禍の多いことをいう」とある。なおカンナオヒは神直日、オオナオヒは大直日とある。「カミウミテ」は本文040~046と同様、心で念じること。
05-081 カミウミテ マガリナオサン
神を念じて過ちを正そうとされました。
05-082 カンナオヒ オオナオヒカミ
カンナオヒとオオナオヒの神も
05-083 ウミテミオ イサキヨクシテ
念じて自分の身を清められました。
05-084 ノチイタル ツクシアワキノ
その後行った筑紫のアワキでの
05-085 ミソキニハ ナカカワニウム
禊ぎでは、ナカ川で
ソコツツヲ ツギナカツツヲ
ソコツツヲ、ナカツツヲ、
【ソコツツノヲからカミワダツミの六神】 日本書紀では底筒男命、中筒男命、表筒男命(ウワツツオノミコト)と底津少童命、中津少童命、表津少童命(ウワツワタツミノミコト)が、海での禊で同時に生まれ、古事記では底筒之男、中筒之男、表筒之男と底綿津見神、中綿津見神、表綿津見神が水での禊で同時に生まれた、すなわち同じ場所の底・中・表で二神ずつ生まれたと書かれている。ホツマツタヱでは二つの川で別々に念じている。この方が自然な感じはしないだろうか。また、日本書紀では3筒男が「是即ち住吉大神なり」と書かれているが、3筒男と住吉の関係が分からない。ホツマツタヱにはカナサキ(住吉・墨江の別名)が3筒男を祭るという関係がはっきり書かれている。
05-087 ウワツツヲ コレカナサキニ
ウワツツヲの神を念じられ、これをカナサキ命に
05-088 マツラシム マタアツカワニ
祭らせました。またアツ川で
05-089 ソコトナカ カミワダツミノ
ソコワダツミ、ナカワダツミ、カミワダツミの
05-090 ミカミウム コレムナカタニ
三神を念じられ、これをムナカタ命に
マツラシム マタシガウミニ
祭らせました。またシガ海に
【マタシガウミニ シマツヒコ ツギオキツヒコ シガノカミ】 「シガウミ」は「志賀海」と読み、福岡県の志賀島にある「志賀海神社」と思われる。ここの宮司は近年まで阿曇(安曇)氏の子孫が務めていた。ここに出てくる「アツミ」の子孫であろう。(2009年、安曇宮司は亡くなられた由) シマツヒコ→オキツヒコ→シガと続く家系にカナサキ、そしてアツミがいて、近年まで続いていたのであろう。現在祭神は「表津綿津見神、仲津綿津見神、底津綿津見神」となっているが、この歴史を考えると、もともとの祭神は本文にあるように「シマツヒコ、オキツヒコ、シガ」であったのではないだろうか。
05-092 シマツヒコ ツギオキツヒコ
シマツヒコ、オキツヒコ
05-093 シガノカミ コレハアツミニ
シガを神としてアツミ命に
05-094 マツラシム ノチアワミヤニ
祭らせました。その後イサナギ尊に