【トコタチノ ヤモオメクリテ ニシノクニ】
「トコタチ」はクニトコタチ。クニトコタチと呼ばれる時代は長く続いた。ここの「トコタチ」は2綾の話にあるクニトコタチより何代も時代が下って、その一部がカの国を拓いたのではないかと考える。この後にコロビンキミ・シナギミという名が出てくるので、この人物を「コロビンキミ」と考えた。それは名前から考えても大陸から来た渡来人であろう。
その都度触れ、新説異説でも詳しく述べるが、そのコロビンキミ・シナギミという人物を私は「徐福」ではないかと考える。とするとアカガタノトヨクンヌは徐福だということになる。徐福は仙薬を探す口実で始皇帝の元を逃れ、我が国にやってきた。この国に永住する覚悟であったからこそ、伝えられているように、子ども(若者)や技術者、学者、弓の名手などあらゆる層の人を連れ、数多くの文物も持ち込んできたのではないか。各地に徐福伝説が残っているのは、徐福一行は船団を組んでやってきたが、航海中にバラバラになってしまったのか、あるいは意図的にいくつもの集団に別れて、国中の良い場所を探したということなのだろうか。そして、徐福は九州の佐賀から筑紫平野一帯に定住することを狙い、政治の中枢とも近づいている。新しい文化を得たいヤマトの為政者と徐福の願いとが一致して、徐福は九州に「平原広沢」を得たのだろう。私はその時期をイサナギ・イサナミの頃と考えているが、そのようにして、徐福は西の国に定住することになったのだと考える。