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27-259 ツヅネニゾナセ      
続く徴(シルシ)とせよ」
27-260 コレノサキ ハラノオシクモ
これ以前に君は、ハラ朝間宮のオシクモを
27-261 メシノボス オトトヒタチハ
宮に呼び寄せた。弟のヒタチは
27-262 ワカキユエ アハノコトシロ
若いのでアワの国の事代主が
ハヘルミヤ ハラカラナレバ
ヒタチの補佐をした。ハラ朝間宮からの依頼により
【ハラカラナレバ ニシヒカシ】 「ハラカラ」は「ハラから」すなわち「ハラ朝間宮から(の依頼)」。兄弟という意味ではない。
27-264 ニシヒカシ カヨヒツトメテ
西のアワ宮と東のハラ朝間宮を行き来して仕事をし、
27-265 カナメシム ナモツミハヤヱ
重要な役割を果たした。それ故ツミハ八重事代主と称えられた。
27-266 コトシロガ ミシマニイタリ
事代主は三島を経て
27-267 ハラニユキ マタミシマヨリ
ハラ朝間宮に行ったり、三島から
27-268 イヨニユク ツイニチナミテ
伊予に行ったりしている間に
27-269 ミゾクヰノ タマクシヒメモ
ミシマミゾクヰの娘のタマクシ姫と結ばれた。
27-270 ハラムユエ ワニノリアハエ
タマクシ姫が身籠り、鰐船に乗ってアワの国へ
27-271 カエルウチ ウムコノイミナ
帰る途中で生まれた子は
27-272 ワニヒコハ クシミカタマゾ
諱ワニヒコ、クシミカタマである。
27-273 ツギノコハ イミナナカヒコ
次に生れた子は諱ナカヒコ、
クシナシゾ アオカキトノニ
クシナシである。後にオオナムチがクシミカタマを青垣殿に
【アオカキトノニ スマシムル】 二人の子のうちクシミカタマを住まわせたとしたのは、この文に続く「サキニ」からの回想の本文301以降で、オオナムチがクシミカタマを養子にして三諸山のそばに住まわせたということによる。奈良盆地の東部の丘陵地帯は古くから「青垣山」と呼ばれ、その中に三諸山(現在は三輪山)があるので、三諸山は青垣山と同一のものとした。
27-275 スマシムル サキニツクシノ
住まわせた。以前筑紫を治めていた
カンダチハ ソヲノフナツノ
カンダチはソヲの船津の
【カンダチ】 4代目大物主。
27-277 フトミミオ ヤスニメドリテ
フトミミ姫とヤスで結婚して
27-278 フキネウム ノチモロトモニ
フキネが産まれた。その後夫婦は二人とも
27-279 カミトナル オオモノヌシハ
亡くなった。そこで次の大物主に
27-280 フキネナリ トヨツミヒコト
フキネがなり、トヨツミヒコと二人で
27-281 ヲサメシム ノワザヲシエテ
筑紫を治め、農作業の仕方を教えたので
タミオウム ヒトリオサムル
民も増えた。その後一人で筑紫を治めていた
【ヒトリオサムル オオナムチ】 フキネが「オオナムチ」と名乗るのは、9綾本文137で、代々「ヤシマシノミノオホナムチ」と名乗ることが認められているから。トヨツミヒコと二人で治めていたが、ここには「ヒトリ」と書いてある。トヨツミヒコはソヲを治めに帰ったのだろうか。
27-283 オオナムチ ミツカラホメテ
オオナムチ(フキネ)は自惚れて
27-284 アシノネサ モトヨリアラビ
「葦原の北から南まで、初めは荒れ放題だったが
27-285 イワネコモ ミナフシナビケ
岩のような木の根もみんな伐り倒し
27-286 ヲサムルハ ヤヨロニタレカ
農地を拓いた我のような者はこれからずっと先までも
マタアラン ウナバラヒカリ
誰も現れないだろう」と言うと、海原が光って
【ウナバラヒカリ アラハレテ】 これから先の「先御魂」との会話は5代目オオナムチ、フキネの自問自答としてとらえた。青垣山に住もうと思ったことから、頭に浮かんだ先祖はクシヒコか。
27-288 アラハレテ ワレアラバコゾ
現れた者が「我がいたからこそ
27-289 ナンチソノ オオヨソニナス
汝は殆どの
27-290 イタハリゾ オオナムチトフ
功績を立てることができたのだ」と言った。オオナムチが聞いた。
27-291 ナンチタソ ワレハナンヂノ
「汝は誰だ」「我は汝の
27-292 サキミタマ クシヰワザタマ
先御魂である。霊妙なる業魂である」
27-293 サテシリヌ マツルサキタマ
「さて、承知しました。先御魂を祭ろうと思うが
27-294 トコニスム イヤカミスマズ
どこに祭りましょうか」「いや、神は祭らなくともよい。
27-295 ナンチオバ アオカキヤマニ
汝を青垣山に
27-296 スマセント ミヤツクリシテ
住まわせようと思う。宮を造って
27-297 ソコニオレ コナキガユエニ
そこに住め。世継ぎの子どもがいないと
27-298 ミダルルゾ コトシロヌシガ
世の中が乱れるぞ。事代主の
27-299 ヱトノコノ クシミカタマオ
子の兄弟のうちクシミカタマを
27-300 コイウケテ ツギトナスベシ
願い迎えて、世継ぎとせよ」
27-301 ミヲシヱニ ミモロノソバニ
その教えにより、三諸山のそばに
27-302 トノナシテ コエバタマハル
殿を造り、コトシロヌシに願い
27-303 モフケノコ クシミカタマト
クシミカタマを養子に迎えた。クシミカタマと
27-304 ワガツマノ サシクニワカメ
自分の妻のサシクニワカ姫を
27-305 モロトモニ スマセテヌシハ
一緒に住まわせて、大物主は
27-306 ツクシタス ヒタルノトキニ
筑紫を治めた。亡くなる前に
27-307 コレオツグ ハハコイタレバ
自分の最期が近いことを知らせると妻と子が来たので
27-308 ノコシコト コノムラクモハ
遺言を告げた。「この叢雲の剣は
27-309 アレマセル ミコノイハヒニ
お生まれになった皇子に、お祝いとして
27-310 ササケヨト イイテイモヲセ
差し上げよ」と言い残して、フキネとサシクニワカ姫の夫妻は
27-311 カミトナル ヤスニオサメテ
亡くなった。ヤスに二人の遺骸を納めて
マツルノチ ツクシヲシカノ
祀った後に、クシミカタマに筑紫の勅使をするように
【ツクシヲシカ】 「勅使」と訳したが、君の命によって筑紫を治める役人のこと。