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32-055 ノタマフハ ワレムカシコノ
話された。「吾は昔、このハラミ山の
ヱオミレド タテナデタカク
絵を見たけれど、優雅でなく高いだけだったので
【アテナデタカク】 「アテ」は「貴くみやびやかなこと。上品なこと」(広辞苑)また、「当てること」「あてがうもの」ともとると、「対比するもの、調和するもの」というようにもとれ、本文083の「ナカミネノ アテハアワウミ」は「調和するもの」とした。
コレオスツ イマヤマサワノ
父君はその絵を捨ててしまった。この度の山と湖の
【ヤマサワノ】 「サワ」は沢。低くて水がたまり、蘆・荻などの茂った地。(広辞苑)この場合は淡湖。
32-058 ヱアワセハ ワリフダアワス
絵を合わせると、割り札が合うようで
32-059 ヨキシルシ ハラミノヤマノ
良い兆しである。ハラミの山の
32-060 ヨキクサモ ヰモトセマエニ
良い薬草も五百年前に
32-061 ヤケウセシ タネモフタタビ
焼けて無くなってしまったが、種から再び
ナルシルシ ニオウミヤマオ
生えてくるよい兆しである。淡海の水がハラミ山を
【ニオウミ】 淡海。琵琶湖の別称に、近江の海、鳰(ニオ)の海がある。
32-063 ウルホセバ チヨミルクサモ
潤せば千代見草も
32-064 ハユルゾト タノシミタマヒ
生えるだろう」と、楽しまれた。
32-065 ミソムトシ ハツハルソカニ
三十六年一月十日、
32-066 モトキネオ ヨツギトナシテ
モトキネを世嗣として
32-067 ミテツカラ ミハタオリトメ
君自ら御機織留(政の決まりの文)を
32-068 サツケマシ コレアマカミノ
授けられ、「これはアマカミに代々伝わる
32-069 オシテナリ アサユフナガメ
御文書である。朝に夕にこれを読んで
32-070 カンガミテ タミオヲサメヨ
よく思いをめぐらして民を治めるように」と仰せられた。
32-071 ヨソオヒオ タミニオガマセ
君は即位の正装を民に拝謁させた。
32-072 ヤヨイナカ ハラミヤマエト
三月中頃、オオヤマトフトニ君はハラミ山へ
32-073 ミユキナル ソノミチナリテ
御幸された。その行程が決まり
32-074 クロダヨリ カグヤマカモヤ
黒田より香久山、賀茂の宮、
32-075 タガノミヤ スワサカオリノ
多賀の宮、諏訪へ行き、酒折の宮では
32-076 タケヒテル ミアエシテマツ
タケヒテルが宴の支度をして待っていた。
32-077 ヤマノボリ クダルスハシリ
その後ハラミ山に登って、須走りを下り
スソメグリ ムメオオミヤニ
山裾を巡り、ムメ大宮に
【ムメオオミヤ】 かつてムメヒトが政を執っていた宮。現在の富士宮市の浅間大社。
32-079 イリヰマス カスガモフサク
着いて、滞在された。カスガが話した。
32-080 ミネニヱル ミハノアヤクサ
「ハラミ山の峰で採れた、御衣裳に描かれている草は
32-081 チヨミカヤ モロクワントテ
千代見草だろうか」。みなが食べようとしたが、
32-082 ニテニガシ タレモヱクワズ
煮ても苦くて誰も食べられなかった。
32-083 ナカミネノ アテハアワウミ
「中峰に調和するものは淡海で
32-084 ヤツミネハ スソノヤツウミ
八つ峰に調和するものは裾野の八湖である。
ミツウマリ ヤクレドナカハ
今は三つ埋まってしまった。噴火はしたが、中峰の美しさは
【ヤクレト】 本文059に「ハラミノヤマノ ヨキクサモ ヰモトセマエニ ヤケウセシ」とあるので、この噴火は紀元前500年から300年ごろに起こったといわれる噴火のことではないかと思われる。私の計算では、オオヤマトフトニが富士に行幸したのは110年頃のこと。ニニキネが富士のすそ野を開拓したのは紀元前150年頃で、そのころにはまだ3つの湖は農耕ができるくらいには残っていたのではないか。
32-086 カワラジト ミツクリノウタ
変わることはない」と君は話され、歌を詠まれた。
ナカハフリ ナカバワキツツ
「中峰は時が経ても、静かに噴煙を上げつつ、変わることがない。
【ナカバワキツツ】 「ナカバ」は「半ば」の意であろう。訳に「半ば」の類語を充てたいところだが、ふさわしい語がなく、そのような状態としての意訳をした。
32-088 コノヤマト トモシヅマリノ
この山と、ヤマトは共に今は穏やかである。
32-089 コノヤマヨコレ      
この山のなんと素晴らしいことよ」
32-090 カクヨミテ ヤマノサラナト
このように詠まれて、山の新しい名前を付けたいと
32-091 オボストキ タコノウラビト
思われた。その時田子の浦の者が
32-092 フヂノハナ ササクルユカリ
藤の花を献上したのに因んで
32-093 ハラミヱテ ナオウムミウタ
ハラミ山の新しい名前を思いついた。名前を付ける御歌は
32-094 ハラミヤマ ヒトフルサケヨ
「ハラミ山がいつまでも栄えるように、花もいつまでも咲けよ。
32-095 フジツルノ ナオモユカリノ
藤蔓の花の名に因んで藤(富士)とつけよう。
32-096 コノヤマヨコレ      
この山のなんと素晴らしいことよ」
32-097 コレヨリゾ ナモフジノヤマ
これにより名前を「藤の山」とした。
32-098 ミナミヂオ ミヤコニカエリ
オオヤマトフトニ君は南路で都に帰った。
32-099 ムメミヤノ ハフリホツミノ
梅宮の祝主であるホツミの
32-100 オシウドニ イヅアサマミコ
オシウドに、稜威(ニニキネ)、朝間(コノハナサクヤ姫)、皇子(ホオデミ)
32-101 ヤマヅミノ ヨカミウツシテ
ヤマヅミ(オオヤマヅミ)の四神を
ヤスガワラ トキタケヒテル
ヤス河原に祭らせた。その時、タケヒテルは
【ヤスガワラ】 「ヤス」は近江の野洲。ニニキネとホオデミは野洲の瑞穂の宮にいたと思われる。26綾の本文027に「ミツホマデ ミカエリアレバ」と、ホオデミがニニキネのいる瑞穂の宮に帰ったことが書かれている。また、瑞穂の宮は、24綾135以降に三上山等の地名と、仮宮を瑞穂と名付けたということが書かれていることから、三上山のある近江八幡市の野洲町にあったと言えるのではないか。
タマガワノ カンタカラフミ
玉川の神宝の文を
【タマガワノ カンタカラフミ】 14綾「ヨツギノルノトゴトノアヤ」に書かれている文。
32-104 タテマツル コレアメミマコ
献上した。この文によって天御孫の
32-105 ハラヲキミ ソノコカミヨノ
ハラ御君(ニニキネ)の子孫が、神代から伝えられている