【タケツツクサノ マツリツグ タケダノヲヤゾ】
「タケツツクサ」とは何であろう。新潟市にある弥彦神社の摂社である今山神社の祭神が建筒草命であることから、「タケツツクサ」を人名とする説が多いようである。「タケツツクサノマツリ」と言われるような人だとすると、どこかに書かれていてもおかしくないはずだし、「タケツツクサノマツリ」とはどんなものかも書かれていてもいいのではないか。そしてそれがどうして「タケダ」となるのか、不明なことが多すぎるように思う。それを解明するヒントとして私は「新撰姓氏録」の神別の403番目にある「湯母竹田連」に注目したい。そこに次のようなことが書かれている。
「火明命五世孫建刀米命之後也。男武田折命、景行天皇御世、擬湯殖賜田。夜宿之間、菌生其田。天皇聞食而賜姓菌田連、後改為湯母竹田連。」
要約すると、「(湯母竹田連という姓は) ホノアカリ命の五世孫タケトメ命の後裔のタケダヲリ命が、景行天皇より農作を広めさせるように田を賜ったところ、一夜にしてその田に茸が生えた。 天皇がそれをお聞きになり、菌田連(タケダノムラジ)という姓を賜った。それを後に改めて「湯母竹田連」とした。」となり、ここから「ニニキネ―ホノアカリ―タケテル―( )―タケヒテル―タケトメ・・・・・タケダヲリ」という家系が見えてくる。このタケダヲリ命が、「タケツツグサノマツリ(茸をその地の特産物として農業を進める)」を行い、その功績で「タケダ」という姓を天皇より賜ったということではないか。すなわち「タケツツグサ」とは「茸」のことであり、「タケダ」は「タケツツグサの田=菌田」を意味していたと考える。