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34-000 34ミマキノミヨミマナノアヤ
ミマキの御代、任那の綾
34-001 ミヅカキノ トホナノソナカ
ミヅカキの代の十年九月十七日に
34-002 コシノヲシ オオヒコカエリ
越の教え人のオオヒコが帰ってきて
34-003 モフサクハ ユクヤマシロノ
君に申し上げた。「山背に行く途中の
34-004 ナラサカニ オトメガウタニ
ナラサカで、乙女がこのような歌を歌っていました。
34-005 ミヨミマキ イリヒコアワヤ
『見よ、ミマキイリヒコ、あわや
34-006 オノガソヱ ヌスミシセント
己がソエ、盗みしせんと
34-007 シリツドオ イユキタガヒヌ
後つ戸をい行き違いぬ
34-008 マエツドヨ イユキタガヒテ
前つ戸をい行き違いて
34-009 ウカガワク シラジトミマキ
窺わく、知らじとミマキ
34-010 イリヒコアワヤ      
イリヒコあわや』
34-011 シルシカト キミコレハカル
これは何かの前触れではないでしょうか」。君はこの歌について話し合った。
モモソヒメ ウマレサトクテ
モモソ姫は、生まれついて賢く
【モモソヒメ】 33綾で湯立てをした姫。33綾解釈ノート065参照。
34-013 コレオシル キミニモフサク
この歌の意味することが分かり、君に申し上げた。
34-014 コレシルシ タケハニヤスノ
「これはタケハニヤスが
34-015 ソムクナリ ワレキクツマノ
叛くという前触れです。私は、タケハニヤスの妻の
34-016 アタヒメガ カグヤマハニオ
アタ姫が香久山の土を
34-017 ヒレニイレ イノリテクニノ
領布に入れて祈り、国を手に入れる
モノザネト コレニコトアリ
物実としていると聞いています。この歌がよい証拠です。
【モノザネ】 物のもととなるもの。材料(広辞苑)。香久山の土を、手に入れようとする国を象徴するものとしているのだろう。
34-019 ハヤハカレ モロハカルウチ
早く手を打った方がよいでしょう」諸臣が話し合っているうちに
34-020 ハヤスデニ タケハニヤスト
早くも既にタケハニヤスと
34-021 アタヒメト イクサオコシテ
アタ姫は軍を進めていた。
34-022 ヤマシロト ツマハオオサカ
タケハニヤスは山背から、妻はオオサカからと
34-023 ミチワケテ トモニオソフオ
二手に分かれて一斉に襲ってきたので
34-024 ミコトノリ イサセリミコオ
君は軍を出す詔を下した。イサセリ皇子を
34-025 オオサカエ ムカヒアタヒメ
オオサカへ向かわせ、アタ姫を
34-026 ウチヤフリ ツイニコロシツ
打ち破り、ついに殺した。
34-027 オオヒコト ヒコクニフクト
オオヒコとヒコクニフクとの
34-028 ムカワシム ヒコクニフクハ
軍を出発させた。ヒコクニフクは
ヤマシロノ ワニタケスキニ
山背のワニタケスキに
【ワニタケスキ】 奈良県天理市の地名と思われるが場所は特定できない。
34-030 インヘスエ ツハモノヒキテ
清めた器に御饌を供え、兵士を引き連れて
34-031 イクサタテ キカヤフミムケ
軍を進めた。木や萱を踏み分けるような戦いで相手を倒し
テガシワノ イクサマズカツ
めでたく戦いはまず
【テガシワ】 「カシワデ」と同義語と考え、手を打ち鳴らすことと解釈した。その行為は、「これから始めよう」とする時か、「勝った喜びを表す」時かのものと考え、後者として訳した。
34-033 ナラザカゾ マタオオヒコハ
奈良阪で勝った。また、オオヒコの軍は
シモミチニ ワカラアカラト
下道に行き、川の両岸より
【ワカラアカラ】 「ワ」と「ア」は「地」と「天」、すなわち二つの対極を表すものと解釈し、「両岸」と訳した。
34-035 アヒイドム ハニヤスヒコハ
互いに戦いを挑んだ。ハニヤスヒコ(タケハニヤス)は
34-036 カワキタニ ヒコクニフクオ
川の北側にいて、ヒコクニフクを
34-037 ミテイワク ナンヂナニユエ
見て言った。「汝は何故
34-038 コハムゾヤ クニフクイワク
我を拒むのか」。ヒコクニフクが言った。
34-039 コレナンヂ アメニサカフオ
「それは、汝が君に逆らうから
34-040 ウタシムト サキアラソヒテ
成敗するのだ」。二人が先を争って矢を放ったが
34-041 ハニヤスガ イルヤアタラズ
ハニヤスヒコの射た矢は当たらず
34-042 クニフクガ イルヤハアタル
ヒコクニフクの射た矢は当たり、
34-043 ハニヤスガ ムネウチコロス
ハニヤスヒコの胸を射ぬいて殺した。
34-044 ソノイクサ ヤフレニクルオ
ハニヤスヒコの兵士たちが敗れて逃げるのを
34-045 オイウテバ ワキミワキミト
追って退治しようとすると、「我が君、我が君」と言いながら
ナガレサル イクサオサメテ
川下へ君を追って去って行った。戦いを終えて
【ナガレサル】 兵士がみな川を流れていったというより、射ち殺されて川に落ちたハニヤスヒコを岸伝いに追いながら逃げて行ったと考える。
34-047 ミナカエル メツキハツヒニ
みな帰った。十月一日に
34-048 ミコトノリ ウチハムケレド
詔があった。「国の中は治まったが
トツアルル ヨミチノイクサ
遠国は荒れている。四道の軍は
【ヨミチノイクサ】 「ヨミチ」は、33綾本文147からの「コシ、ホツマ、ツサ、タニハ」。
34-050 タツベシト スエフカニタツ
出立せよ」と仰せられたので、二十二日に
34-051 ヨモノヲシヱド      
四人の教え人は出発した。