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君も心安らかであった。妃達も御子を産んだ。
【キサキモオエテ】 「オエテ」が意味不詳。「生えて」くらいしか読めず、ここでは、この後の記述に合わせて「妃の御子も生まれて」と解釈、訳は妃を主語とした。
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スケ妃のヤサカ姫がトイチに行ったとき
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産んだ皇女はトチニイリ姫である。
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二十六年十一月一日に
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ミマキ姫が磯城で産んだ皇子は
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トヨキヒコ、諱シギヒトである。
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二十九年一月一日、ヲウトに
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后がまた産んだ皇子はイクメ
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イリヒコ、諱ヰソサチである。
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三十八年秋、八月五日に
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后の妹でウチ妃のクニカタ姫が
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産んだ皇女はチチツクワ姫である。
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四十年一月二十八日に産んだ皇子は
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イカツル、諱チヨギネである。
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四十八年一月十日、ヲアエに
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君がトヨ君(トヨギヒコ)、イクメ君(イクメイリヒコ)とに
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言われた。「汝たちへの愛情は
変わらないので、後を継いだらどのようにするのか
【ツギシルコトノ ユメスベシ】 夢と言っても、「将来の夢」すなわちビジョンを考えろということであろう。
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夢を見よ」。二人とも身を清めて
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夢を見た。トヨギヒコが言った。
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「三諸山の上で東を向いて八度
矛を突く夢を見ました」。イクメイリヒコも言った。
【ホコユケシ】 この場面の他に「ホコユケシ」の解釈のヒントになる記述がなく、広辞苑に「ホコユケ」として「矛をあやつって突きやること」とあるのみだが、出典は崇神紀。「ヤタビ」と続いているので、この解釈で間違いないだろう。
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「三諸山の上で四方に縄を張り
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雀を追う夢を見ました」。君は二人の夢を
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比べて考え、「兄の夢はただ
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東を向いているだけなので、東国のホツマを治めさせることにする。
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弟の夢は四方に向かっているので民を治める
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世継ぎとする」と言われた。四月十九日ツミエに
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詔を下し、ヰソサチを
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世継ぎ皇子とした。トヨギイリヒコは
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ホツマ司とした。
任那の綾
【ミマナノアヤ】 なぜ、わざわざ「任那の綾」と章立てして挿入されているのだろうか。外国の話だということだからだろうか。何かその他に理由があるのだろうか。「コレノサキ」以降の挿話も前後とどのようなつながりがあるのか分からない。面白い話があったので区切りの所へ挿入したのだろうか。
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ミヅカキの五十八年八月に
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ミマキイリヒコは行幸して食飯大神に
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参拝された。諸臣が神を祝っている時
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角が一つの被り物を被った人が海岸に
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船で漂着した。言葉が何を言っているのか分からなかった。
ハラミの宮の臣のソロリヨシタケが
【ソロリヨシタケ ヨクシレバ】 みなが分からない、漂着したカラ国の言葉を知っているということは、ソロリヨシタケは渡来人であろう。
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その言葉をよく知っているので、ソロリヨシタケに聞かせた。
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その人は「我はカラ国の
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君の王子で、ツノガアラシトといいます。
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父の名はウシキアリシトです。
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伝え聞いている聖の君に
従おうと、穴門に来ました。
【アナト】 関門海峡の古称、または長門の国の古称。
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ヰツツヒコが我に言うには、
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『この国の君は我である。
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ここにいなさい』ということでしたが、その人の様子を見ると
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君のようではありませんでした。いったん帰って、改めて
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都へ行こうと、浦や島を訪ねて
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出雲を経てやっとここに着きました。
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神祭りがおこなわれていて、ここにおられるのが君だと分かりました」。
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そこで、ツノガアラシトを召して使うと
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忠実に働いたので五年目に
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「ミマナ」という名を授けた。たくさん積み上げた錦を