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34-150 クニヅトニ カエルアラシト
土産に、ツノガアラシトは
34-151 ミマナクニ コレタチソメゾ
任那の国へ帰った。これが任那の国の呼び名の初めである。
コレノサキ アメウシニモノ
以前ツノガアラシトがカラ国にいたときの話である。アメ牛に物を
【アメウシ】 「黄牛」と書く。飴色の牛。上等な牛として尊ばれた。(広辞苑)
34-153 オホセヤリ アラシトユケバ
背負わせておいて、ツノガアラシトが行くと
34-154 ウシミエズ ヲキナノイワク
牛がいなくなっていた。見知らぬ老人が言った。
34-155 コレオスニ サキニモフケテ
「我が想像するには、もう誰かが盗んで
34-156 コレクワン ヌシキタリナバ
食べようとしているだろう。もし、盗んだ者に出会ったら
34-157 アタヒセン スデニコロシツ
代償を求めるがよい。既に殺してしまっているだろうから。
34-158 モシサキデ アタイオトハバ
もし、相手が値打ちを聞いてきたら
34-159 マツルカミ ヱントコタエヨ
祭っている神が欲しいと答えるがよい」
34-160 タツヌレバ ムラキミウシノ
牛を盗った村長の所へ行くと、村長が牛の
34-161 アタヒトフ コタエテマツル
値段を聞いた。「祭っている神が欲しい」と
34-162 カミヱント カミノシライシ
答え、神として祭っていた白い石を
34-163 モチカエリ ネヤニオクイシ
持ち帰った。寝室に置いておくと、白い石は
34-164 ナルオトメ アラシトコレト
乙女に姿を変えた。ツノガアラシトはこの乙女を
34-165 トツガント オモヒユクマニ
妻にしようと思ったが、出かけている間に
34-166 ヒメウセヌ カエリオドロキ
乙女は消えてしまった。帰ったツノガアラシトは驚き
34-167 ツマニトフ イワクオトメハ
妻に聞くと、「乙女は
34-168 キサニサル アトオタヅネテ
東南の方に行った」と答えた。乙女の行方を尋ね
34-169 オヒイタリ フネオウカメテ
追いかけて、船に乗り
34-170 ツイニイル ヤマトナミハノ
やっとヤマトの国の浪速にある
ヒメコソノ ミヤヨリイデテ
ヒメコソの宮に着いたが、
【ヒメコソノミヤ】 大阪市に「比売許曽神社」、大分県国東郡に「比売語曽神社」がある。大分県の方にこの話に近い言い伝えが残っている。
34-172 トヨクニノ ヒメコソミヤニ
乙女は豊国のヒメコソ宮に行き
34-173 カミトナル トキニアラシト
既に亡くなっていた。さて、ツノガアラシトが
34-174 モトクニニ カエサニミヤゲ
自分の国へ帰る時、土産を
34-175 ウバワレテ シラキノクニト
奪われたため、新羅の国と
34-176 アダオコリ ミマナノツカヒ
争いがおこった。任那からの使いが
34-177 ツゲイワク ワガクニキネニ
報告した。「わが国の東北地方には
ミハエナリ カミナカシモノ
三か所の栄えた土地があり、上中下と分かれた
【ミハエ】 「ハエ」の語義不明。文脈から、上中下の3か所の土地であり、広く肥沃な土地であることが分かる。それから推して「ハエ」を「栄え」と読み、「栄える」と解釈した。
クニヒロク ヨモミモノリノ
土地は広く、三百ノリ四方の
【ミモノリ】 300ノリという広さ。「ノリ」に当たる距離を表す語がないが、「里」とする説もある。
34-180 ツチコエテ タミユタカナリ
農地は肥沃で、民の生活も豊かでした。
34-181 イマスデニ シラキノアダニ
ところが、今は既に新羅の侵略で
ヲサメヱズ ホコオタヅネテ
国を治めることもできず、矛を手に入れるために
【ホコオタヅネテ タミイキズ】 「タヅネテ」にあたる言葉としては「尋ねる」の「所在の明らかでないものを探し求める」(広辞苑)の意をあてて、「矛を探し求めていること」と考えた。「イキズ」は生きることも大変な様子とした。
34-183 タミイキズ トミネガワクハ
民は生活するのも大変です。我がお願いしたいのは、
クニムケノ ヲシオコフノミ
我が国を平和にするために、勅使を遣わして下さることです」。
【ヲシオコフノミ】 「ヲシ」は勅使と訳したが、真意は軍隊の派遣要請であろう。
34-185 キミトミト ハカレバイワク
君は臣にこの件について諮ると、臣達が言った。
34-186 クニフクノ マゴシホノリツ
「クニフクの孫のシホノリツが
34-187 コレヨシゾ カフベノミコフ
適任です。頭に三つ瘤があり
34-188 マツノキミ セイヒタケヰタ
松の君と言われ、背の高さは一丈五尺もあり、
34-189 ヤソチカラ イサミハゲシク
八十人力の力持ちで、非常に勇気がある者です」
34-190 ミコトノリ シホノリヒコオ
そこで君は詔を下した。「シホノリヒコを
34-191 ミマナヲシ ユキトクニムク
任那の勅使とし、外国へ行って争いを鎮める
ミチツカサ カエレバヨシト
ミチツカサとする」(うまく収めて)帰ってきたので「ヨシ」という
【ミチツカサ】 「道司」と読み、単なる軍隊ではなく、和平の道筋をつけることを任務としたのであろう。
34-193 カバネタマヒキ      
姓を賜った。
34-194 ムソフツキ ソヨミコトノリ
六十年七月十四日、君が話された。
タケヒテル ムカシササゲシ
「タケヒテルが、昔奉げた
【タケヒテル ムカシササゲシ カンタカラ】 この事は32綾本文102にある。
34-196 カンタカラ イツモニアルオ
神宝が出雲にあるが、
34-197 ミマクホシ タケモロズミオ
是非とも見たい」。そこで、タケモロズミを
34-198 ツカワセバ カンヌシフリネ
出雲に遣わしたが、あいにく神主のフリネは
34-199 カンホギニ ツクシニユキテ
祭りの祝いで筑紫に行って留守であった。
34-200 トヰイリネ ミヤヨリイダシ
弟のヰイリネが宮の中から神宝を出し、
34-201 オトウマシ カラヒサトコノ
弟のウマシカラヒサと、ヰイリネの子の