【ソノコトノリハ オオヒナルカナ】
「オオヒナルカナ」と讃えているが、この功績は祟りを恐れた結果なのである。日本書紀の垂仁25年の一書に、倭大国魂神が大水口宿禰に乗り移って、次のようなことを言っている。
「先皇の崇神天皇は神祀をお祭りなさったが、詳しくその根源を探らないで、枝葉に走っておられた。それで天皇は命が短かった。」(宇治谷孟氏の全現代語訳日本書紀より引用)
ここで注目したいのは、「崇神天皇は命が短かった」ということである。岩波文庫版日本書紀の注にも「崇神68年12月条に『崩。時年百二十歳』とあり、ここに短命というのにあわない」と書かれている。その謎を解くカギは次のようである。「新説異説」等でも述べたが、私は、天皇やその関係者には、特別なことがあったりした節目に年齢を加算する習わしがあったと考えている。崇神天皇は、倭大国魂神の告げのような状態が続いていたので、その時点では年齢の加算がされていなかったのではないかと考える。後年、これらの記録が書かれたときに加算されて「120歳」とされたのではないか。