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36-053 ホヅマシル アヤマリタタシ
真の人の道をわきまえていた。誤りがあればそれを正し
36-054 ヘリクタリ カミオアカメテ
謙虚で、神を崇めて
36-055 ミオコラス カレソロアツク
世のために一心に尽くした。そのため収穫も増え
36-056 タミユタカ イマワガヨニモ
民も豊かになった。今、吾が世も
36-057 オコタラズ カミマツラント
怠ることなく神を祭ることにする」
36-058 ヤヨヒヤカ アマテルカミオ
三月八日、アマテル神の御杖代の
36-059 トヨスキハ ハナチテツケル
トヨスキイリ姫を解任して
36-060 ヤマトヒメ ムカシトヨスキ
ヤマト姫を御杖代にすることにした。かつてトヨスキイリ姫は
36-061 カミノツゲ ミタマゲカヅキ
アマテル神の告げに従い、御霊笥(ミタマゲ)を奉げ持ち
36-062 ヨザニユク コノハシタテハ
ヨザに行った。そこにある天橋立の上には
カサヌイノ ヱヨリミヤズノ
笠縫の方から宮津の
【カサヌイノ ヱヨリミヤヅノ】 天橋立をキーワードにしてみると、「ヨザ」は現在の「与謝郡」。そこからは宮津湾にかかる天橋立が一望できる。ところが近くには「カサヌイ」に比定できる所が見つからないので「カサヌイ」は京都の笠縫と考える。「ヨザ」から見た天橋立の上に、右は遥か京都笠縫の方から左方の宮津まで雲が棚引いていたという情景。
36-064 マツニクモ タナビキワタス
松にまで雲が棚引いてかかっていた。
36-065 ミヅカキノ ミソコヤヨミカ
瑞籬三十九年三月三日、
36-066 ミコトノリ ケクニノオトト
ミマキイリヒコアマツキミは詔を下し、ケクニのオトトの
36-067 タケミクラ イワヒヌシトシ
タケミクラを祝主とし、
36-068 イマスノコ タニハミチウシ
ヒコイマスの子のタニハミチウシを
36-069 ミケノモリ アメノヒオキハ
御神饌守とし、アメノヒオキは
36-070 カンヌシニ フリタマハネギ
神主とし、フリタマは禰宜にして
36-071 トヨケガミ アマテルカミオ
トヨケ神とアマテル神を
36-072 マツラシム ミチウシミケノ
祭らせたのだった。タニハミチウシは御神饌守となったので
カンメクミ ヨキミコヱタリ
神の恵みで良い御子を授かったのだ。
【ヨキミコヱタリ】 タニハミチウシの娘の4人が后や妃になったことを指す。ここまでがかつての話。
トヨスキハ ササハタミヤニ
トヨスキイリ姫はササハタ宮に
【ササハタミヤ】 奈良県宇陀郡に篠畑神社がある。その辺りか。
36-075 カエリマス マタカミノツゲ
帰られた。ところがまた神の告げがあり
ヲヲカミノ カタミイタダキ
姫はアマテル神の御霊笥を大事にお持ちして
【カタミイタダキ】 「カタミ」は「筐(カタミ)」目の細かい竹籠(広辞苑)。この後、トヨスキイリ姫の跡を継いだヤマト姫がイイノから御霊笥を磯部に遷していることから「カタミ」は御霊笥。
36-077 アフミヨリ ミノオメクリテ
淡海から美濃を回って
36-078 イセイイノ タカヒオガワニ
伊勢のイイノに行き、タカヒ小川で
スズトトム タカミヤツクリ
巡行を終え、高宮を造って
【スズトトム】 「スズ」は「鈴(鐸)」と読み、釣鐘型の中に舌(ゼツ)を吊るした鳴物と考える。アマテルカミの御霊の宿っているものとするか、道中鳴らして歩いた鈴のこととするか、他の意味があるのかよくわからない。ここでは磯部に遷した時、「スズ」という言葉が出てこないので、「道中鳴らした鈴」とし、鈴を止める、すなわち巡行を終えるとした。
36-080 シヅメマス フソフホシハス
アマテル神の御霊を鎮めた。二十二年十二月
36-081 スエヤカニ ヤマトメヨシコ
二十八日にヤマト姫ヨシコが
36-082 コトシソヒ カミニミツギノ
十一歳でアマテル神に仕える
36-083 ミツエシロ ワカゴヲヤコガ
御杖代になった。ワカゴ親子が
トモナフテ ウスメガミグシ
ヤマト姫と一緒に伊勢の高宮に向かった。ウスメが御櫛で
【ウスメ】 語義不明。お付の女性か。「ウス(うず)」に、「古代、木の枝・葉・花や造花を、冠や髪にさして飾りとしたもの」(広辞苑)という意味があり、「ミグシアグル」と符合するので、主に姫の髪の世話が役目だったのだろうか。
【ミグシ アグルトテ オトスクシタニ】 「倭姫命世記」では倭姫が櫛を落とした地を「櫛田」と名付けたことになっているが、そのように訳すにはあまりにも意味不明なので、私の解釈で訳してある。「ミグシアグル」は「『御髪上げ』貴人の髪を結うこと。また、結う人。」(大辞林)とある。ヤマト姫がいよいよ御杖代になるので、お付の女に髪を結い直してもらい、新しい年を迎えたのだろう。「オトス」は結ってあった髪をほどくこと。「クシタニ」は「御髪」の「クシ」と「櫛田」という場所の名前と掛けたのだろう。三重県松阪市櫛田町に「櫛田神社」がある。祭神に「大若子命、櫛玉姫命」などとあり、「ワカゴオヤコ」とも一致し、斎宮跡もあるのでこの辺りと思われる。
36-085 アグルトテ オトスクシタニ
ヤマト姫の髪を結おうと髪を解き、櫛田で
36-086 トシコエテ イデタツハツヒ
年を越した。一月一日に出発して
アケノハラ イセタカミヤニ
アケノ原を経て伊勢高宮に
【アケノハラ】 地名としたが場所は不明。新しい年が明けて「ハラ」というところを出発したとも取れるが、やはり「ハラ」がどこなのか分からない。
36-088 イリマセバ オバトツカエテ
入ったヤマト姫は、叔母のトヨスキイリ姫と一緒に神に仕えた。
36-089 ナツキヒメ カヰモテアニノ
九月、ヤマト姫は粥占で兄ホンツワケのことを
36-090 コトイノル カレイヰノミヤ
祈り、イヰノ宮で
36-091 ミトセノチ トヨスキヨハヒ
三年過ごした。トヨスキイリ姫は齢が
36-092 モモミツデ ミツエナラスト
百三歳になり、御杖代を続けられないと言って
36-093 ミナラワセ カネテネカエバ
ヤマト姫に作法を見習わせて、予て願い出たように
コノタビハ ヨシコオウチノ
この度ヤマト姫をアマテル神の
【ウチノヲミコ】 「ウチ」は「宮の内」、この場合はアマテル神。「ヲミコ」は斎宮(御杖代)。
36-095 ヲミコトシ ミタマゲカツギ
御杖代とした。ヤマト姫はアマテル神の御霊笥を奉げて
イヰノヨリ イソヘニウツシ
イヰノから磯部に遷して、
【イソヘニウツシ】 このあとに、南の方に五十鈴川があると読める文があるので、宮川の近くの磯神社のある磯町か。
36-097 シツメマス ヨキミヤトコロ
鎮座させた。宮を建てる良い場所が
36-098 サニアリト ワカゴオヤレバ
南の方にあるというので、ワカゴを遣わすと
ヰスズガワ フモヤヨロホノ
五十鈴川にほど近いところにサルタヒコの
【ヰスズガワ】 本文119の「ヰソスズ(ハラ)」も、133の「ヰソスズガワ」も伊勢神宮の神域を流れ、伊勢湾にそそぐ五十鈴川。
【フモヤヨロホノ サルタヒコ】 そのまま訳せば208万歳のサルタヒコということだが、末裔、子孫のこと。
36-100 サルタヒコ ワカゴニイワク
子孫がいて、ワカゴに言った。
36-101 ワレムカシ カミノタマモノ
「我は、昔アマテル神からの預かり物を
36-102 サコクシロ ウヂミヤニイレ
この世のサコクシロの宇治の宮に入れて