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カフリミハ ミハシラモチテ
冠と御衣を着け、御柱を持って
【カフリミハ】 「ミハ」の「ハ」は着物を表すので「御衣」とした。この後にも「ミハ」があるが、それぞれ特別な役を持っている者が着ていることから、そのような役の者が着る特別な衣裳ではないかと考える。
40-211 トミヤタリ オシヤマスクネ
臣が八人付いた。オシヤマスクネは
40-212 カフリミハ ヨハキシモチテ
冠と御衣を着け、世掃花を持ち
40-213 トミムタリ キビタケヒコモ
臣が六人付いた。キビタケヒコも
40-214 オナジマエ オオタンヤワケ
同じように世掃花を持った。オオタンヤワケも
40-215 カフリミハ ツルギササゲテ
冠と御衣を着けて剣を奉げ
トミソタリ ミコシアオホヒ
臣が十人付いた。御輿に覆いをかけ
【ミコシアオホヒ】 「ア」は「天」、「オホヒ」は「覆い」すなわち、上にかぶせる覆い。
40-217 ヲサノトミ イエバトミソリ
長となった臣が、下僕三十人に御輿を運ばせた。
ミヲズエハ キヌフタナガレ
御緒末は絹の布が二本で
【ミヲズエ】 「御緒末」。御輿に付けた紐をつかんで歩いたのだろう。昭和になっても、神輿に綱をつけて、大勢の子どもがそれをつかんで歩くしきたりも残っていた。
40-219 ヨタケヤタ ミコミヲスエニ
四丈八咫の長さがあり、御子達はその御緒末を
40-220 スカリユク アマテルカミノ
持って歩く。これはアマテル神の時から
40-221 ノコルノリ イワイサヲシカ
続いているしきたりである。斎主の勅使は
40-222 トミソフリ ツギミユキモリ
臣を十二人従え、その次に御幸を守る
40-223 モロヅカイ ミナオクリユク
諸々の従者が続き、みなで送って
40-224 ヨナカマデ カクムヨイタリ
夜中まで歩いた。そのようにして六夜かけて
ハラミヤノ オホマノトノニ
ハラ宮を模したオホマの殿に
【オホマノトノ】 31綾069に「ホホマノオカ」という似た言葉が出てくるが、そこは奈良県。この「オホマ」は愛知県なので別。ヤマトタケのために建てた宮なのは間違いないだろうが、どういう意味を持っているのかは不明。
40-226 ミコシマス ヨニマスゴトク
御輿が着いた。ヤマトタケ君が生きているかのごとく、
40-227 ミヤズヒメ キリヒノカヰオ
ミヤズ姫は切火で火を起こし炊いた粥を
モルヒラベ イタタキサキニ
平甕に盛って、差し頂いて先に
【ヒラベ】 「ベ」は甕(カメ)。平たい甕ということは、平鉢か平椀のようなものか。
40-229 イリマチテ ミマエニソナエ
オホマの殿に入って待った。ヤマトタケ君の霊の前に供え
40-230 モウサクハ コノミケムカシ
話された。「この御饌は以前
40-231 イブキヨリ カエサニササグ
伊吹山から帰られたら差し上げようとしたものです。
ヒルメシオ ミヅカラカシギ
私は君のために心を込めて御飯を炊き、
【ヒルメシ】 昔は1日2食だったという説が多いようなので「昼飯」でいいのだろうか。本文161でミヤズ姫がヤマトタケを「タカヒカル アマノヒノミコ」と呼んでいるので、私は「ヒ (ノミコ) 」の「ル(霊)」に奉げる御飯と解釈した。すでに亡くなっているヤマトタケへの御飯なので、君への最高の敬意を以て飯に「ヒル」を付けたのではないか。
40-233 マチオレド ヨラデユキマス
お待ちしましたが、君は私のもとに寄らないで行ってしまわれました。
40-234 チチクヤミ イママタキマス
とても残念でしたが、今また
40-235 キミノカミ ムベウケタマエ
君は神となって来てくださいました。是非お召しあがりください。
40-236 アリツヨノ アイチダニマツ
まだ御存命の時のアイチ田でお待ちしていた
40-237 キミガヒルメシ      
君のために心を込めた御饌なのです」と
40-238 ミタビノリ イザヨフツキノ
三度申し上げると、十六夜の月が
ホガラカニ シライトリキテ
明るく照らす中、白イトリが飛んできて
【シライトリキテ…】 原文に合わせて訳したが、白い大きな鳥が米の飯を食べ、ツヅ歌が聞こえてくるというのは実際にはあり得ないことなので、私は「白い鳥の羽をヤマトタケの変身の証しと考え、儀式の中でこのような場面を演じた」と解釈した。ツヅ歌もヤマトタケの気持ちを詠んだ歌と考えた。
40-240 コレオハミ ナルシラクモニ
御饌を食べると、白い雲の彼方に消えていった。
40-241 カミノコエ コタフツヅウタ
そしてヤマトタケ君のツヅ歌が聞こえてきた。
40-242 アリツヨノ ハラミツホシキ
「この世にいた時にハラ宮(オホマの殿)で食べたかった
チリオヒルメシ      
汚れのない姫の飯よ」。
【チリオヒルメシ】 ここでの「ヒル」は「箕で穀物をふるって、風でくずを取り去ること」とし、ミヤズ姫が米の汚れを取り去り炊ぐまでしたことと、姫の純粋な気持ちを掛けて表していると考えた。
40-244 クシヒルオ マコトニオソレ
霊妙な儀式に、みなはまことに畏れ多く思い
オガミサル オホマトノヨリ
拝んで去った。オホマの殿より
【オホマノトノヨリ ミヤウツシ】 オホマの殿は、ヤマトタケがミヤズ姫と住みたいと願った宮であり、ヤマトタケの死後に建てられたので、建てたときに御霊を祀る祭殿も造ってあったのではないか。
40-246 ミヤウツシ サヲシカニギテ
祭殿へヤマトタケの御霊を遷し、勅使が幣と
40-247 ミコトアゲ コノトキヲシカ
皇の言葉を申し上げた。この時勅使の
40-248 タタネコト オハリムラジト
タタネコとオハリムラジが、
40-249 ニイハラノ オホマノカミト
ヤマトタケ君に「新ハラ宮のオホマの神」と
40-250 ナヅクナリ カミオクルトキ
名付けた。亡くなった人を葬送するとき
40-251 ヨオイナム チリヒルメシト
供える御饌は「世を辞むチリヒルメシ」と
40-252 ノコルナリ イセニソエイル
して伝えられた。伊勢に連れて行った
40-253 ヱゾヰタリ イヤマイアラズ
蝦夷の五人は、アマテルカミを敬わなかったので
40-254 ヤマトヒメ トガメミカドエ
ヤマト姫はそれを咎めてミカドの所に
40-255 ススメヤル ミモロニオケバ
行かせた。その五人を三諸山に居させると
40-256 ホドモナク キオキリタミオ
間もなく木を伐って、民を
40-257 サマタゲル キミノタマワク
困らせた。君は
40-258 ヱミシラハ ヒトココロナク
「蝦夷達はヤマトの人と考え方が違うので
40-259 オキガタシ ママニワケオク
ここには置いておけないから、それぞれ分けて置く」と言われた。
40-260 ハリマアキ アハイヨサヌキ
これが播磨、安芸、阿波、伊予、讃岐の