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【カフリミハ】
「ミハ」の「
」は着物を表すので「御衣」とした。この後にも「ミハ」があるが、それぞれ特別な役を持っている者が着ていることから、そのような役の者が着る特別な衣裳ではないかと考える。
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臣が八人付いた。オシヤマスクネは
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冠と御衣を着け、世掃花を持ち
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臣が六人付いた。キビタケヒコも
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同じように世掃花を持った。オオタンヤワケも
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冠と御衣を着けて剣を奉げ
【ミコシアオホヒ】
「ア」は「天」、「オホヒ」は「覆い」すなわち、上にかぶせる覆い。
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長となった臣が、下僕三十人に御輿を運ばせた。
【ミヲズエ】
「御緒末」。御輿に付けた紐をつかんで歩いたのだろう。昭和になっても、神輿に綱をつけて、大勢の子どもがそれをつかんで歩くしきたりも残っていた。
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四丈八咫の長さがあり、御子達はその御緒末を
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持って歩く。これはアマテル神の時から
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続いているしきたりである。斎主の勅使は
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臣を十二人従え、その次に御幸を守る
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諸々の従者が続き、みなで送って
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夜中まで歩いた。そのようにして六夜かけて
【オホマノトノ】
31綾069に「ホホマノオカ」という似た言葉が出てくるが、そこは奈良県。この「オホマ」は愛知県なので別。ヤマトタケのために建てた宮なのは間違いないだろうが、どういう意味を持っているのかは不明。
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御輿が着いた。ヤマトタケ君が生きているかのごとく、
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ミヤズ姫は切火で火を起こし炊いた粥を
【ヒラベ】
「ベ」は甕(カメ)。平たい甕ということは、平鉢か平椀のようなものか。
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オホマの殿に入って待った。ヤマトタケ君の霊の前に供え
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話された。「この御饌は以前
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伊吹山から帰られたら差し上げようとしたものです。
【ヒルメシ】
昔は1日2食だったという説が多いようなので「昼飯」でいいのだろうか。本文161でミヤズ姫がヤマトタケを「タカヒカル アマノヒノミコ」と呼んでいるので、私は「ヒ (ノミコ) 」の「ル(霊)」に奉げる御飯と解釈した。すでに亡くなっているヤマトタケへの御飯なので、君への最高の敬意を以て飯に「ヒル」を付けたのではないか。
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お待ちしましたが、君は私のもとに寄らないで行ってしまわれました。
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とても残念でしたが、今また
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君は神となって来てくださいました。是非お召しあがりください。
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まだ御存命の時のアイチ田でお待ちしていた
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君のために心を込めた御饌なのです」と
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三度申し上げると、十六夜の月が
【シライトリキテ…】
原文に合わせて訳したが、白い大きな鳥が米の飯を食べ、ツヅ歌が聞こえてくるというのは実際にはあり得ないことなので、私は「白い鳥の羽をヤマトタケの変身の証しと考え、儀式の中でこのような場面を演じた」と解釈した。ツヅ歌もヤマトタケの気持ちを詠んだ歌と考えた。
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御饌を食べると、白い雲の彼方に消えていった。
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そしてヤマトタケ君のツヅ歌が聞こえてきた。
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「この世にいた時にハラ宮(オホマの殿)で食べたかった
【チリオヒルメシ】
ここでの「ヒル」は「箕で穀物をふるって、風でくずを取り去ること」とし、ミヤズ姫が米の汚れを取り去り炊ぐまでしたことと、姫の純粋な気持ちを掛けて表していると考えた。
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霊妙な儀式に、みなはまことに畏れ多く思い
【オホマノトノヨリ ミヤウツシ】
オホマの殿は、ヤマトタケがミヤズ姫と住みたいと願った宮であり、ヤマトタケの死後に建てられたので、建てたときに御霊を祀る祭殿も造ってあったのではないか。
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祭殿へヤマトタケの御霊を遷し、勅使が幣と
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皇の言葉を申し上げた。この時勅使の
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タタネコとオハリムラジが、
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ヤマトタケ君に「新ハラ宮のオホマの神」と
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名付けた。亡くなった人を葬送するとき
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供える御饌は「世を辞むチリヒルメシ」と
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して伝えられた。伊勢に連れて行った
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蝦夷の五人は、アマテルカミを敬わなかったので
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ヤマト姫はそれを咎めてミカドの所に
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行かせた。その五人を三諸山に居させると
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間もなく木を伐って、民を
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困らせた。君は
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「蝦夷達はヤマトの人と考え方が違うので
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ここには置いておけないから、それぞれ分けて置く」と言われた。
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これが播磨、安芸、阿波、伊予、讃岐の