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イフキカミ ヒキテカミトス
イフキドヌシ命が手を差し伸べてアマテルカミの許しが得られました。
【ヒキテカミトス】 9綾本文063からのソサノヲとイフキドヌシの出会いの話。
40-318 ニニギネハ コノココロモテ
ニニキネ尊はこの歌の教えをよく心得、
40-319 ホヅマヱテ アマキミトナル
ホツマの道の奥義を得て天君となりました。
ウラヤミテ カリノヲヤコゾ
それをソサノヲ尊が羨んで、父君と仮の親子となったのです。
【ウラヤミテ カリノヲヤコゾ】 ソサノヲがニニキネを羨み、自分もそのようになりたいと思い、父のタリヒコの子となって生まれた。すなわち夢の中のヤマトタケが、自分はソサノヲの生まれ変わりだと言っているのである。
40-321 ミコトウケ キツムケカエル
我は父君の詔を受けて、東西の国を鎮めて帰ってきました。
カミシヅカ マミエテホゾチ
神となった我は心安らかで、今お目にかかることができて満足です。
【ホゾチ】 「ホゾオチ(臍落ち)」と読み、「ヘその緒が落ちること、果実が熟して自然に落ちること」から「納得すること、腑に落ちること、機が熟すこと」などの意となり、ここでは「満足」とした。
アツサタス タラチノメグミ
深い愛情で育ててくださった父君母君の恵みは
【アツサタス】 暑さ(寒さ)から守ってくれた、すなわち大事に育ててくれたこと。
ウマザルヤ オリカゾエウタ
忘れることなどできるでしょうか」と、折り数え歌を詠った。
【オリカゾエウタ】 この歌は初めからの5音「ワガヒカル」が、終わりからの5音、(オレ)「ルカヒカワ」と折り合わせて重なる歌。亡くなったヤマトタケが作ったのではなく、著者のオオタタネコの創作だろうか。
ワガヒカル ハラミツニシキ
「吾は輝かしいハラミの錦を着た
【ハラミツニシキ】 「ハラミ」はアイチダの新ハラミ宮のこと。
アツタガミ モトツシマハニ
熱田神(ヤマトタケ)になっていますが、元々の縞の衣に
【モトツシマハ】 ソサノヲが流離ったとき着ていた衣裳と考えられ、「シマハ」は「縞衣」と読めるが、流離の時は「スガサアヲ」だったので、厳密な意味は分からない。
オレルカヒカワ      
戻って氷川神(ソサノオ)に返ります」。
【オレルカヒカワ】 「オレル」を「折れる」と読み、「縞に織った衣(を着たソサノヲ)」に戻ることと解釈した。
40-328 ミタビノベ シヅノスガタニ
ヤマトタケは三度述べると、賤しいソサノオの姿になり
40-329 クモガクレ キミサメイワク
雲の彼方に去って行った。君は目覚めて話された。
40-330 カミノツゲ ワレハイヤシキ
「コウスの告げがあった。『吾は賤しい
40-331 ヒカワガミ モトニカエルト
氷川神だ。元のソサノオに戻る』と
40-332 メグミコル マヨヒオサトス
親子の情愛に溺れている吾の迷いを諭す
40-333 シメシナリ ムカシイワクハ
教えであった。昔から言われているように、
ヒトハカミ カミハヒトナリ
人はカミであり、カミは人である。
【ヒトハカミ カミハヒトナリ…】 ホツマツタヱに書かれている「カミ」という考え方がこの言葉に現れている。
40-335 ナモホマレ ミチタツノリノ
カミという名も栄誉を称えられた人のことで、人の道理を教え諭した
40-336 カミハヒト ヒトスナホニテ
アマテルカミも人であった。人も真っ直ぐな生き方をして
40-337 ホヅマユク マコトカミナリ
ホツマの道を極めた者は、真の神となるのだ」。
40-338 ツゲニヨリ ナモアツタガミ
氷川神の告げによって、ヤマトタケを熱田神として祭った。
ミヤズヒメ イツキニクラベ
ミヤズ姫は伊勢の斎宮と同じ位とし、
【イツキニクラベ】 「イツキ」は斎宮。特にアマテルカミの御杖代を指す。「クラベ」は同等にするということ。
40-340 カンヌシモ ミヤヅカサナミ
神主も宮司と同じ位とした。
40-341 アヅマヂエ ユケバサガムニ
君は東路を行って相模に着き
40-342 ミアエナス マシテシオガミ
そこで宴が催された。サクラネマシとホヅミテシが君に会い
40-343 ナキイワク ヒメホロボシテ
泣きながら言った。「オトタチバナ姫は身を投げて亡くなったので
40-344 マミエヱズ キミモナンダニ
もう会うことができません」。その言葉に君も涙を流された。
40-345 トラガシハ サカキミスガタ
トラガシハが榊で飾ったヤマトタケの像を
40-346 タテマツル キミミタマエバ
奉った。君がそれをご覧になって
40-347 ヤマトダケ イケルスガタニ
「生きているヤマトタケに
40-348 アフゴトク ヒトタビアイテ
会っているようだ。一目見ただけでも
ヨクニタル カレハメグロト
とてもよく似ている。ヤマトタケが生きているようだ」と
【カレハメグロト】 「メグロ」は目が黒い、すなわち生きていること。そのことから「目黒」という名を付けた。
40-350 ソノサトオ ナヅケタマワル
その里を目黒と名付けられた。
カミスガタ オホヤマミネニ
その神の姿を大山の峰に
【オホヤマミネニ ヤシロナス】 多くは神奈川県の大山阿夫利神社としているが、そこにはヤマトタケの言い伝えはない。私は「オホヤマミネノヤシロ」は酒折の宮と考える。6綾7節に「ヒノヤマノナモ オオヤマゾ」とあり「オオヤマ」は富士山を表すことがある。酒折の宮は富士の裾野を開拓したニニキネのいた所で、ヤマトタケが蝦夷征伐の帰りに寄った所でもある。また本文009で、ヤマトタケが生前「サカオリノ ミヤハムカシノ ハラノミヤ ナオナガラエリ ワガネガイ ウツシテヒメト タノシマン」と望んでいたことを考えると、酒折の宮と考えるのが妥当ではないか。酒折の宮の祭神はヤマトタケである。
40-352 ヤシロナス ミフネカヅサエ
社を建てて祭った。御船は上総に向かい
40-353 アホノハマ ミサゴヱハムオ
安房の浜に着いた。そこでミサゴが餌を食べているのを見て、
40-354 タミニトフ アレハウムギト
民に、何を食べているのか聞かれた。民は「あれは蛤といって
40-355 シヅガハム ナマスモヨシト
民が食べるものです。なますにするとおいしいです」と答えた。
ムツカリガ ガマタスキシテ
ムツカリが蒲の襷をして
【ムツカリ】 人名かと思われるが、このあとに「オホヒコノマゴ イワカナリ」とあるので、「ムツカリ」と「イワカ」の二つの名前があることになってしまう。「イワカ」は幼名か。
【ガマタスキ】 調べたら蒲の茎で草履など作ることができる。とすると蒲の茎で作った縄を襷としたと考えられる。
40-357 トルウムギ ナマスニナシテ
蛤を取り、なますにして
40-358 ススムレバ カシハトモベト
君に勧めたので、君はムツカリに膳伴部の
40-359 ナオタマフ オホヒコノマゴ
名を授けた。この者はオホヒコの孫の
40-360 イワカナリ カシマカグラノ
イワカである。君が鹿島神楽の
40-361 シシマイオ トエバトキヒコ
獅子舞のいわれを聞かれると、トキヒコが申し上げた。
40-362 コレムカシ イヨニワタリテ
「昔、ツチギミ(サルタヒコ)が伊予に行った時