(奉呈文) ホツマツタヱを述ぶ
「ホツマツタヱ」は、それまでに伝わっていた家伝書を整理編纂してヲヲタタネコがヤマトオシロワケ(景行天皇)へ奉呈したもの。大物主の家系として、宮に召されたタタネコの思いが述べられている。後半はヲヲカシマの賛辞で、こちらの方の分量が多い。
1 「東西」の名と穂虫去る綾
言葉の意味やワカ歌についてのいわれがワカ姫の出来事を中心として書かれている。また方位や太陽の公転周期のことなども書かれていて、なぜこんなに解りにくい内容から始まるのかと思うほど、理論としては分かりにくいが、この時代に既にこのようなことが考えられていたということも興味深い。日本書紀にはこの内容は書かれていない。
2 天七代、床御酒の綾
アメナナヨ、すなわち神代のクニトコタチからイサナギ・イサナミまでの七代について、「床御酒」についての質問に答える形で、ほぼ全文アマテルカミの話したこととして書かれている。〇〇という言葉の始まりというようなこともあるが、内容は、アマテルカミがこのように話したと理解していただきたい。
3 一姫と三皇子を産む殿の綾
「二尊の御子は姫一人と皇子三人で四人なのに、殿(産屋)が五つあるのはなぜか」というツワモノヌシの質問にカナサキが答えた内容が書かれている。日本書紀の「両神の国生み」の話と重なるが、この文では根底に二尊の為政者としての姿勢が描かれている。
4 日の神の誕生と御名前の綾
アマテルカミの諱がワカヒトと付けられた謂れについて、オオヤマスミが話した内容が書かれている。話の中に出てくる「トツギ」は、今では嫁ぐことだが、この時代は跡継ぎの男子を産むことであり、「名乗」も今日とはニュアンスが違う。アマテルが卵の形で生まれたという話も実際の出来事として意訳をした。
5 ワカ歌の枕詞の綾
大物主が質問した枕詞の由来について、アチヒコ命が説明した話が書かれている。言葉そのものの話から始まり、枕詞についての実質的な説明は最後の数行だけに書かれている。枕詞がこの時代からすでにあったということや、「あしひきの」という枕詞が、かの有名なイサナギ・イサナミの黄泉平坂とかかわりがあることなど、驚きの内容である。
6 アマテルカミの十二人の妃の綾
アマテルカミの妃選びが主題。アマテルカミがヒ(日)のカミで、妃は月の位というこの時代の考え方が述べられている。その後の皇子の誕生、トヨケ尊の死去、イサナギ尊の崩御と、目まぐるしく事態は進む。アマテルカミの治世の序章となっている。
7 残し文と正邪を裁つ綾
記紀の、いわゆる素戔嗚の乱行と天照大御神の岩戸隠れが書かれているが、ここでは人間の歴史として訳してあるので、初めて読む方には違和感があるかもしれない。そのほかの人物の罪や罰に関する記述も生き生きと描かれており、お読みいただけばホツマツタヱにはアマテルカミも含めた人間の歴史が書かれていると感じていただけるのではないだろうか。
8 魂返し ハタレ討つ綾
ハタレといわれる、無法者集団との戦いが書かれている。原文通りに解釈すると、ハタレは妖術を使う者や狐などの化身となるが、極力原文に沿いながら史実が書かれているという視点で訳した。ハタレの頭目が、アマテルカミと親しく会話している場面もあるので、彼らを人間として解釈して間違いないと思う。おとぎ話的な内容の中にも、人の命への敬虔な思いが感じられる文である。日本書紀にはこの内容は書かれていない。
9 八雲討ち、琴作る綾
流離いの身のソサノヲはヤマタカシラノオロチを退治し、イナタ姫と結婚するが、なお姉のワカ姫に己の未熟さを思い知らされる。甥のイフキドヌシと出会い、後悔の念に泣き、甥と共に功績をあげ許される。また、スクナヒコナが登場するが、一寸法師のような小人ではない。これらの話に絡めて琴の由来などが書かれているが、実像がつかみにくい。
10 鹿島立ち釣り鯛の綾
オホナムチが出雲にアマテルカミのそれに匹敵する宮を造り、奢ったということで、出雲を追われる話が中心になっている。オホナムチは糾しに行った者も虜になるほど人間的に魅力ある人物で、その力量はタカミムスビも認めている。この中で語られる「カシマダチ」「返し矢」「スワという時」「茅の輪くぐり」など、後世に残る言葉がおもしろい。「鳥葬」や相聞歌などの話も興味深い。
11 三種の神宝を譲り、受ける綾
ヲシホミミの幼少から遷都、結婚、そして即位までの話。その勅使のカスガマロと伯父の出会いに関して、後世に残る地名「勿来」について書かれているが解釈しにくく、多様な訳が考えられる。みなさんはどのように訳されるだろうか。勅使のカスガマロがヲシホミミにアマテルカミの詔を伝える場面で、ヲシホミミが九重の敷物を六重にして受けるなどするしきたりの様子が興味深い。
12 アキツ姫 アマガツの綾
婚礼に際しての風習として、婚礼の祝い酒の時「サッサツ」と声をかけることや、「アマガツ」という魔除けの人形が作られたいわれについて、カスガマロが話したこととして書かれている。「天児(あまがつ)」や「這子」として今も残っているものと関わりがあるのだろうか。日本書紀にはこの内容は書かれていない。
13 ワカヒコ、イセ、スズカを話す綾
イセの道とスズカの教えの話。「イセの道」の話と「スズカの教え」の話が錯綜している。財を蓄えることについて、かつて出雲で財を成したカルキミ(オホナムチ)がその是非について食い下がる場面は、いかにもオホナムチらしく面白い。この話の中に出でくる妾の話は現代では受け入れることのできないものだが、子を産み、子孫をつなげていくことが切実な課題だったこの時代の考え方として受けて止めてほしい。日本書紀にはこの内容は書かれていない。
14 世継ぎを祈る祝詞の綾
アマテルカミによる、人の誕生までの話が中心となっている。自然信仰と受胎や胎児の成長過程の想像が結びついて分かりにくいが、それがこの時代の科学だったのだろう。この時代は男子を産むことが子孫を残す上でも極めて重要なことであった。「アグリの教え」は、そういう時代では大切なことだったのだろう。なるべく意味が通る訳を心掛けたが、訳者の想像力・理解力の限界もあり意味不明な個所や誤訳も多いことではないかと危惧している。日本書紀にはこの内容は書かれていない。
15 諸々の食べ物の始まりの綾
この綾はほぼアマテルカミの話の内容。その中で、物を構成しているのは、ウツホ、カゼ、ホ、ミズ、ハニの五つの元素であるという独特の考え方が述べられている。特に「ウツホ」については後の綾にも出てくるので、その概念を頭に入れて読み進めていただきたい。食べ物や食事についての考え方などはこの時代の科学として読むと面白く、アマテルカミの君として民を思う心に為政者としてのあるべき姿を感じる。また、コロビンキミ(シナギミ)という人物にも注目してほしい。
16 妊娠中に慎むことと、イワタ帯の綾
妊娠についてのこの時代の科学が語られている。理論や数値については理解しがたいものもあり、なるべく意味の通じる分かりやすい訳を心掛けたが、まだまだ不十分と思っている。母体や胎児を大事にする考え方は素晴らしく、こんな昔にこのような考え方をしていたのかと驚くばかりである。日本書紀にはこの内容は書かれていない。
17 神鏡、八咫の名の綾
質問へのアマテルカミの教え。八咫の鏡の名前の由来の説明と鏡に映して人の心を見ること、子供の育て方、話の盗人の罰のこと、ハルナへの心の話等々、道徳的なこと、子育て論、心の働きと体との関係など、アマテルカミの論理が次々と展開される。現代の感覚では理解しがたいところもあるが、子育て論などは今でも十分通じる。これらはこの時代の先端にして最高の論理・科学だったのだろう。また、アマテルカミの包容力・人間性の高さを知ることができる。日本書紀にはこの内容は書かれていない。
18 「オノコロ」の由来とまじないの言葉の綾
「オノコロとは」と、天地開闢から説き起こしている。最後のまじないの話は、二尊が国の悪い状態をよくしたことにちなんで言ったのか。この時代における想像の産物であることを、また想像しなくてはならないので極めてわかりにくい内容であるが、アマテルの言葉を通して、この世の成り立ちや為政者のなすべきことなどが語られている。日本書紀にはこの内容は書かれていない。
19(上) 馬の乗り方、ヒトヌキマの綾
19(下) 馬の乗り方の文、照妙の綾
唯一、二部に分かれている。和仁估本では「上・下」となっているが、長弘本では「イ・ロ」となっている。本稿は和仁估本にならい「上・下」とする。「上」では乗馬の方法の説明が主たる内容になっている。馬の足取りと乗り手の呼吸を合わせることなどの乗馬の基礎が多く書かれている。「ヒトヌキマ」という、手綱は乗り手と馬と大地とつなげているのだという乗馬の心得は今日にはどのように伝わっているのだろうか。日本書紀にはこの内容は書かれていない。
20 皇孫、十種宝を得る綾
クシタマホノアカリの遷宮の様子。その際、民に負担がかからないように一行を船旅にさせたアマテルカミの民への思いやりは、君のあるべき姿なのだろう。また、遷宮後すぐに遷宮を言い出したホノアカリとその同調者への大物主クシヒコの剛直な行動はこの家系の気質であり、大変魅力的に感じる。日本書紀にはこの内容は書かれていない。
21 新冶の宮造営の則を定める綾
新治の宮を建てる計画から始まり、建設計画が細かに書かれているが、技術的なことや信仰的なことが入り混じって、多様な解釈ができてしまう。なるべく理屈に合うように解釈しようと努めたが、不明なところも多く、みなさんのお知恵を拝借したい。大物主はヲコヌシという誉め名をもらってからはヲコヌシと呼ばれた。これが大国主、はては大黒様などと変容してしまったのではないか。日本書紀にはこの内容は書かれていない。
22 オキツヒコの火・水・土の祓い
この綾は、和仁估本ではホツマ文字で書かれていないので、千葉富三先生がホツマ文字に直された。13綾でいったんは煮捨竈と言われたが竈神の称号を授かったオキツヒコが、竈の神を祭る祝詞をあげている。竈の神と暦の神とは密接な関係があり、災いも防ぐなど、竈は単に煮炊きする道具ではなく、その家の生活・家運を表すものだったのだろう。日本書紀にはこの内容は書かれていない。
23 御衣定めと剣の名の綾
大物主の質問にアマテルカミが答える形で書かれている。剣を作る話は科学的とは言えないが、正邪の見極めをして、なおかつ人を罰することの重さについてのアマテルカミの思いが伝わってくる。また、機織りの仕組みと政治の仕組みを重ね合わせた話もなるほどと思わされる。記紀ではアマテルカミは神話の女神であり、人間愛に満ちたこの綾の話は全く書かれていない。
24 コエ国ハラミ山の綾
ニニキネが各地を巡り、富士の裾野の開墾をしたことや、ニニキネ以外の人たちも各地に農地を拓いていることが書かれている。このころ稲作が盛んになったことがうかがわれる。ニニキネとコノハナサクヤ姫との愛憎の話は偉人ニニキネの人間的な面がうかがえて面白い。後半、オシホミミが最期を迎える時皇子たちに話す「君の心得」は感動的で、今に通じる為政者の姿勢そのものである。アマテルカミも度々語っており、ホツマツタヱ全編を通しての基本理念なのだろう。
25 ヒコホオデミ尊鉤を得るの綾
前半はニニキネ、後半はウツキネの民を思い心血を注いで新田開発をする様子が書かれている。その間に、兄スセリと弟ウツキネとの確執が「海幸彦と山幸彦」の話として書かれている。前後の、為政者として民を心から思うニニキネとウツキネの話と、いわゆる海幸彦山幸彦の話とのギャップがあまりにも大きく、表面的な表現の通りには訳さず、家臣が皇子を諌めたという出来事を、古くから伝わる昔話に置き換えたのではないかと考え、思い切った訳を試みた。
26 卯萱、葵桂の綾
言葉の意味が分からず、想像を働かせて訳したところが多くある。解釈ノートになるべく意味が通じるように書いたつもりだが、分かりにくいのではないか。ホオデミとトヨタマ姫の情愛や、義父のニニキネが嫁であるトヨタマ姫への愛情あふれる説得の場面は心打たれるものがある。人それぞれの感性や価値観は違うので、私の感じ方を押しつけるつもりはないが、ためしに日本書紀(神代下、第十段)の豊玉姫が八尋の大鰐になって子を産む場面のあたりを読み比べていただきたい。
27 ミヲヤカミ、船魂の綾
ホオデミからタケヒトまでの数多くの人物が登場し、その関係が複雑に入りくんでいる。ニギハヤヒ、ナガスネヒコは後にタケヒトと皇位争いをする重要人物。タマヨリ姫が身籠る場面の「白羽の矢」と「矢を指して『父』と言う」という比喩的表現や、オオナムチがうぬぼれているとき、先祖神の言葉となって自覚する場面など、表面的な意味の裏に隠されていることとして意訳した。ウガヤフキアワセズが遺した言葉は、しみじみした中に、時代が進んできたことを感じさせる。原文を読み味わっていただきたい。
28 君・臣、残し宣の綾
この綾までがホツマツタヱの前半にあたり、大物主クシミカタマが書いている。前半はカスガが話したウガヤフキアワセズからアマテルカミまでの君のこと、植え継ぐマサカキの話やアスス暦の話が続く。後半は一転してモチコ姫、ハヤコ姫と三姫が神として祭られたいきさつが書かれている。青森の「善知鳥(ウトウ)神社の説話や戸隠神社の九頭龍権現などと関係ありそうで興味深い。また、ナガスネヒコの事件は後のタケヒトとニギハヤヒの対立につながっていく。日本書紀にはこの内容は書かれていない。
29 タケヒト、ヤマト討ちの綾
神武天皇(カンヤマトシハワレヒコ、タケヒト)のヤマト平定の話。この争いの元は、アマテルカミよりニニキネが三種の神宝を受け、アスカホノアカリがアマテルカミの皇子オシホミミより十種の宝を受け、二人が同時期に皇位を継いだ形になってしまったことによる。これはおそらくニニキネには九州地方を、オシホミミにはヤマト地方を治めさせる意図だったのだろう。タケヒトとニギハヤヒの対峙の場面は、日本書紀では金色のトビが弓に止まって輝いたことになっているが、本書では史実として解釈した。
30 天君、都鳥の綾
タケヒト(カンヤマトイハワレヒコ、漢風諡号神武)の即位の様子が主な内容。先代のウガヤフキアワセズがすでに崩御しているので、その代理が儀式を執り行っている。ニニキネがアマテルカミから引き継いだときの「都鳥」という歌によって心構えが伝えられる場面では、タケヒトも左右の臣も褥を降りるなど、臨場感を持って描かれている。
31 直り神、三輪神の綾
カンヤマトイハワレヒコからオシヒトまで、すなわち神武天皇から孝安天皇までの6人について書かれている。いわゆる神武天皇の「カタチアキツノトナメセル」という言葉は通説と全く違う解釈をした。自分の治めるヤマトの国を、君たる者がトンボの交尾する様子に例えるだろうか。悪役タギシ皇子にかかわる場面も臨場感にあふれ、面白い。この後の天皇は、欠史八代と言われているが、八人もの「架空」の人物の系図が矛盾なくあり、記述が短いというだけで「架空」だ「欠史八代」だと断定してもよいのだろうか。
32 富士と淡湖、瑞の綾
オオヤマトフトニ(孝霊天皇)からワカヤマトネコヒコ(開化天皇)までの三人について書かれている。ここまでがいわゆる「欠史八代」だが、欠史とは考えられない内容もある。ワカヤマトネコヒコ(開化)が、父の妃だった姫を后にした出来事は、それを強く諌めたオホミケヌシに、かつてクシタマホノアカリを強く諌めたクシヒコの血が感じられ、その後、皇子が君(ミマキイリヒコイソニエ・崇神)になってから、アマテルカミとクシヒコの威力を恐れるもとになった出来事として重要なところである。
33 神崇め、疫病を治す綾
ミマキイリヒコ(崇神天皇)の代に、飢饉で多くの農民が死に逃散が起こったという出来事が書かれている。アマテルカミとオオクニタマを恐れ、親しく祭らなかったことが原因とされ、それが前の綾の父親の行いに起因しており、ミマキイリヒコは多くの神を祭ることになる。国も治まり、君と臣が酒を飲んだ時の歌が、ホツマツタヱと日本書紀では少々違っている。歌のリズムや語句の違いを読み比べて、どのように思われるだろうか。この綾の終わりの歌は、まるで「続き」を期待させる連続ドラマのようである。
34 ミマキの御代、任那の綾
崇神天皇の時代に、多くの神社が創られたといわれているが、それは君の祟りへの恐れからだった。自分の出自と世の中の異常、身内の謀反、出雲の出来事と、生涯ミマキイリヒコはおびえて生きていたようにも思える。それだから熱心に神を祭ったのであろう。「ヤクモタツ・・・」や「タマモシヅ」など歌が大変重要な意味を持っている。日本書紀などの該当する歌と読み比べれば、これだけでもホツマツタヱが優れていることが分かっていただけるのではないか。箸墓古墳の謎、フリネとヰイリネ兄弟の事件の「太刀」と荒神谷遺跡の銅剣、また任那という国にまつわる伝説や神社など、歴史的疑問や論争に一石を投じる面白くも重要な綾である。
35 ヒボコ来る、相撲の綾
主にアメノヒボコが渡来して住み着くまでのこと、サホ姫が兄のたくらみに苦しんだこと、ノミノスクネが相撲で勝ったことの三つの話が並列的に書かれている。その中では、兄への情と君への操との間で苦しむサホ姫の切々たる心情が読む者の心を打つのではないか。
36 ヤマト姫、神鎮める綾
イクメイリヒコ(垂仁天皇)の時代の出来事が書かれているが、その大半がアマテルカミを祭る話となっている。本稿で「アマテルカミ」とただ一人「人間」に「カミ」という尊称を使っているのは、生前から没後まで、かくも偉大な特別な存在として崇敬の的であったことを表現したいがためである。ヤマト姫が聞くアマテルカミの告げはヤマト姫の思いそのものだが、味わい深い言葉である。 この時代の為政者の姿勢を表しているという伊勢神宮の鰹木や千木にまつわる話も興味深い。
37 鶏合わせ、橘の綾
カンヤマトイハワレヒコ(神武天皇)の時から続いた殉死の習慣を、「フルノリモ ヨカラヌミチハ ヤムベシゾ」と廃止し、埴輪を供えることにした話や、出石小刀を取り返すキヨヒコの策略にまんまと引っかかる話など、イクメイリヒコ(垂仁天皇)の人間的な側面が面白い。短い綾だが、三家から娘を求められたサラズの問題解決は、なんと君の妃にすることだという話や、使命を果たして帰ったときは君が亡くなっていたことを知ったタジマモリの悲嘆の話なども、味わい深い。
38 日代の代、熊襲討つ綾
前半はヲシロワケ(景行天皇)の何人もの妃とあきれるほどたくさんの皇子の話だが、中盤より一転して熊襲討伐の生々しい話になる。その行程はほぼ地図の上でたどることができるが、佐賀県に当たる地域には踏み込んでいない。これは、「新説異説」で述べる徐福の末の存在が関係していると私は睨んでいる。後半は有名なヤマトタケの熊襲討伐の話となる。ヤマト朝廷が地方の討伐をする発端となるのは、多くは地方が貢を納めないことによるもののようである。
39 ホツマ討伐とツヅ歌の綾
熊襲討伐に続き蝦夷討伐をするヤマトタケの様子が描かれ、大筋は日本書紀と同じだが、ヲトタチバナ姫の船からの投身や、マチカ、テチカが形見を祭る話、そしてヤマトタケが碓氷峠で姫を忍ぶ場面など、文章の情感はホツマツタヱの方にあるように感じる。またヒトボシヨスナの「カガナエテ・・・」の歌に続く「ツヅ歌」の説明は記紀にはなく、考え方やルールは現代の連歌の源ではないかと思われるほど詳しく書かれている。
40 熱田神 世を辞む綾
ヤマトタケを失い嘆き悲しむヤマトヲシロワケへオオタタネコが奏上した「ホツマツタヱ」の結びの綾。熊襲と蝦夷を討伐し、ミヤヅ姫と静かな日々を過ごしたいとの願いもむなしく、ヤマトタケはこの世を去ってしまう。ヤマトタケが遺した歌や、ヤマトタケの足跡をたどる父のヤマトヲシロワケやミヤヅ姫の嘆き悲しむ様子、また尾張の宮で久しぶりに会った二人の優しさあふれる歌のやりとりなど、心打たれるものがある。なお、通常地の文では尊称は省略したが、この綾では「ヤマトタケキミ」と敬意を込めているので、尊称「君」をつけてある。