超訳、意訳、みんな違ってみんないい?

 8綾は、シムミチ、ハルナハハミチ、ヰソラミチ、ミダルキクミチ、ヰツナミチ、アヱノミチという、アマテルカミの社会と敵対する「ハタレ」と言われる6集団との戦いが書かれていますが、「ハタレ」とはいったい何者なのでしょうか。勉強させて頂いた先達のみなさんはどのように訳しておられるのか、参考までに本文180から186までの該当部分をご紹介します。
本文(カタカナ書き)
カタマロガ イタレバハタレ
イロカエテ サキミダレタル
キクミチノ ココサワユクヤ
ヒメオドリ ムラクモタビヤ
ホタルビノ ワライアザケリ
イカリビノ アオタマハケバ
ススミエズ カタマロカエリ

人間の祖先は神様?

 イサナギ、イサナミは、我が国の最古の歴史書と言われている日本書紀に書かれていますが、当然歴史年表には載っていません。今でも「イサナギ、イサナミ」というと、雲の上にいる神様が目に浮かぶほど、神話の神様として私の頭に刷り込まれています。
 それでは、イサナギ、イサナミは単なる想像の産物の神様なのでしょうか。もしそうだとしたら、その子のアマテルカミも実在の人物ではないことになります。多くはそれを当然と感じるでしょう。
 アマテルカミ(后、セオリツ姫)以下の系譜は、オシホミミ(タクハタチチ姫)――ニニキネ(コノハナサクヤ姫)――ホオデミ(トヨタマ姫)――ウガヤフキアワセズ(タマヨリ姫)――カンヤマトイハワレヒコ(タタライソスズ姫)と続きます。このカンヤマトイハワレヒコが初代天皇と言われる「神武」です。それも怪しいとして、確実に存在したといわれる応神天皇、そして実在即位年が西暦で507年と確定している継体天皇まで入れても、全て系統が続いています。

 逆に見ると、実在の人物の親がいつの間にか神様になっているのです。端的に言えば、最初の人間である神武天皇は神様から生まれたことになるのです。神武天皇の前はそれほどわからないのでしょうか。
 「新説・異説」に書きましたが、仮に天皇即位を20歳として、20年で天皇が代るとしてみます。すると、継体天皇即位507年から大雑把に歴史を溯ってみると、神武天皇即位は紀元前10~20年位になります。誤差を入れても紀元前200年以前にはならないでしょう。同じようにイサナギ・イサナミの時代までは長く見ても紀元前350年程度となります。
 紀元前350年というと、これまでの説でも、弥生時代早期(北部九州で水稲耕作が本格化、環濠集落、青銅器移入などの時代)です。最近の歴博の研究によれば、水田稲作は紀元前1000年頃に溯るようです。
 世界的に見れば、中国では戦国時代、西欧ではアレキサンダー大王の東方遠征という時代です。この時代に、わが国は神様が天から舞い降りて、矛から雫をしたたらせて島々を創っていたということになります。間もなく秦の始皇帝も現れようという時代に、あまりにも荒唐無稽な話ではありませんか。
 記紀に書かれた神々の話も、もう少し現実のことを「話」として書いたと見てはどうでしょうか。記紀では神々の話も、ホツマツタヱでは人間の歴史と見る読み方ができるのです。石器から土器、数々の道具、知恵や知識の蓄積、社会の発達、人間の祖先はやっぱり人間。それがホツマツタヱに書かれている。――わたしはそう確信しています。
・・・・・平成28年1月14日

悩ましい言葉

 悩ましい言葉に度々ぶつかります。その一つが1綾と5綾に出てくる「ワカ」という言葉です。五・七のリズムの歌はこの時代に既に歌われていて、「和歌」として受け継がれ、現代でも「短歌」が多く詠まれています。そのように今日に生きている言葉なので「和歌」と訳してきましたが、公開して改めて見ると、これは明らかに漢語です。これでは平安時代以前に漢語が使われていたと私が考えているように誤解されかねないので「ワカの歌」または「ワカ歌」と訳語の表現を変えました。
 この時代は「言霊」が信じられ、五・七のリズムで歌われる歌には特別な力があると考えられていたのではないかと思います。それは1綾の「イナムシハラウ ワカノマジナイ」や「ヲヱモノオ ハラフハウタノ コヱアマル」などの文やまた「キシイコソ・・・の回り歌は返すことができない」や、正月2日の夜、良い初夢を見るようにと枕の下に置く七福神の絵に書かれている回文「ながきよの とおのねぶりの・・・」などの文からも容易に解ります。また、39綾本文330の「ウタハクニ チカラハアタヒ」(歌が返せた者には国を与え、力を出した者にはハナフリを賜った)ということや、平安時代以降の貴族の和歌との深い関わりなどからも言えるでしょう。
 そのような時代背景の中で、アマテルカミの姉、ワカ姫は特に歌の才があり、ワカ姫の歌は「ワカの歌」、「ワカ歌」と呼ばれ、それが五・七のリズムで歌われる歌を指すようになったのではないかと想像しました。ホツマツタヱには漢字は一切使われていないので、どの漢字で表すかでイメージが大きく変わりますが、意味的に漢字で「和歌」の字をあてて訳してもあながち間違いとも言えないかもしれません。しかしここでは敢えて漢語が使われているとの誤解を避けるため「ワカの歌」、「ワカ歌」と表記することにしました。
・・・・・平成27年12月22日

アマテラスは女神?男神? ―いえ、男性です

 ホツマツタヱを読みはじめたころ、神話や神社に祭られている天照大御神の、ひらひらとした衣を身にまとった女神の姿を見慣れていた私は、アマテルカミが男、しかも人間の男性であるということに強い違和感を覚えました。はじめてホツマツタヱを読まれる方も、きっとそう感じるのではないでしょうか。
 日本書紀では、スサノヲが訪ねていって自分の心が清いか否かの誓約をした相手の「姉」がアマテルカミとなっていますが、そのような約束をした後で、そのアマテルカミが岩戸に隠れてしまうような乱暴狼藉をスサノヲが働くというのは、話の順序が変だと思いませんか。
 ホツマツタヱでは、スサノヲ(ホツマツタヱではソサノヲ)は乱暴狼藉の後、刑罰を科せられて、流浪の旅に出る前に姉のワカ姫(日本書紀にはワカ姫がいません)へ別れを告げに行きます。この話の順序の方が筋が通っているように思います。すなわち、日本書紀はアマテルとワカ姫を混同して、一人にし「姉」としたのでアマテルは女神となったのではないかと思います。
 ホツマツタヱではアマテルカミは日のカミと言われ、12人の妃を12か月になぞらえ、そのうちの一人が后となり、13人目の妃もいるように書かれています。そして、その子孫も系譜がきちんとわかるように書かれ、神武以降の天皇に続いています。
 このようなことから、ホツマツタヱを読み進めているうちに、私は「アマテルカミは人間の男性である」とすることに何の抵抗もなくなったどころか、日本書紀の記述や読み方に問題があるのではないかとさえ思うようになりました。
 男性の姿をしたアマテルカミで、私が直接目にしたのは名古屋市竜泉寺の円空作の一体だけですが、郡上市神明神社の天照大神像は円空の初期の作としてよく知られているようです。「伊勢神宮に奉納する天照大神の装束一式が男性用の衣装である」という記事も目にしたことがあります。アマテルカミが男神だということも一部では信じられてきていたようです。
 日本書紀の記述を頼りに広められたと思われる女神論と、男神とされる具体的な事物もあることと、上記のホツマツタヱの記述を合わせて考えると、どちらに分があるように思いますか。
 私は、みなさんもきっとホツマツタヱを読み終わったとき、アマテルカミを「男性」だと信じられるのではないかと思います。
・・・・・平成27年12月13日

朝倉未魁の古代史年表、作っています!

 ホツマツタヱから天皇の在位年数を導きだし、継体天皇即位までの天皇在位年を中心とした古代史年表を作っています。私の計算では、神武天皇即位は紀元前60年となりますが、手元にある吉川弘文館の「誰でも読める日本史古代史年表」では、世に言われる神武天皇即位の紀元前660年の頃には神武天皇はもちろんのこと、日本の古代史は何も書かれていません。それから西暦500年に武烈天皇が書かれるまで、埴輪や古墳、七支刀といった考古学的遺物の他、中国の文献による「倭の五王」のような記事しかありません。武烈の前に誰か為政者がいたはずなのに書かれていないのです。「倭の五王」を天皇に当てはめる説もありますが、これには疑問があります。でも、考古学的にも人々がそれなりの文化を持ち、為政者の存在も考えられるのに、文献としては記紀だけにしか頼れない現状では、そういった説も仕方ないのかもしれません。そこで、憤然として立ち上がったのが、私、朝倉未魁です(なんと大袈裟な!)。
 天皇の在位年については諸説あり、「神代から人の世」をどう考えるか、「欠史8代」という考え方の是非など、歴史年表に位置付けることは現状では難しいと思いますが、それを私は敢えてホツマツタヱから導き出してみました。そしてこの年表と歴史上の出来事や考古学とうまく合うかどうか探っていきたいと思います。
・・・・・平成27年12月10日

ホツマツタヱに魅せられて

 「ホツマツタヱ」は、1966年以降、松本善之助氏等によって何種類か発見されましたが、現存するのは江戸時代に筆写されたものだけで原本は見つかっていません。原本がないことに加えて、文字の形や「アカハナマ・・・」という文字の並び方、また漢字仮名交じり文にするとおおよその意味が分かるような文体への疑問、そして江戸時代の学者の説や政治的な思惑や今さら学説を変えるわけにいかない記紀研究者の立場などが絡んで巷間、偽書だと言う人が多いようです。
 わたしもなぜ写本しか見つからないのか疑問に思うこともありますが、記紀には書かれていない内容も多く、記紀を下敷きにしたとは到底考えられないこと、感動して思わずジンとくるような情感あふれる格調高い文章で書かれていること、2千年も前にこんなこと考えていたのだと驚くような科学や思想が書かれていて、政治的な思惑で書かれたものとは思えないこと、などなど、偽書だと言って切り捨ててしまうのはあまりにも勿体ない古文献だと思います。 わたしは、今はホツマツタヱはまぎれもなく超一級の古代史料だと信じています。そして、多くの人にホツマツタヱの内容を知ってほしいと願うようになりました。
 ホツマツタヱの現代語訳は、これまでも多くの先輩が試みてこられ、大変参考になりましたが、ホツマツタヱに魅せられた私は、全行にわたって分かりやすい現代文で、もっと誰でもが気軽に読める「ホツマツタヱ」にしたいと考え、とうとう拙訳を読んでいただきたく公開することにしました。浅学非才にして粗忽なものですから、時に大間違いがあるのではないかと恐れています。ご指摘には謙虚に耳を傾け、より良い訳にしていきたいと思います。
そして、ホツマツタヱに導かれて「新説・異説」に書いたようなことが、日本の古代史が記紀の呪縛から解き放たれるための捨て石にでもなればこの上ない喜びです。
・・・・・平成27年12月4日

徒然なるまゝに・・・

つれづれなるまゝに 日暮らし 硯に向かひて 心に移り行くよしなしごとを そこはかとなく書きつくれば 怪しうこそ物狂ほしけれ  吉田兼好
 ホツマツタヱを読んでいると、遥か昔のことからついさっきのことまで、本で読んだことからネットで見たことまで、実にいろいろな思いが心をよぎっていきます。
訳文に書いても、「解釈ノート」に書いても、言い足りないようなこと、そこには書けないようなこと、そんな心に浮かぶ「よしなしごと」を、ブツブツと独り言のように書き連ねていきます。
「先達とはあらまほしきもの」ではありますが、「朝倉未魁の超訳ホツマツタヱ」はとにかく先達の方々の訳・解釈とはかなり違っています。「怪しうこそ物狂ほし」いとは思いますが、暇つぶしにでも結構ですのでお付き合いのほどよろしくお願いします。
・・・・・平成27年12月3日
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