イサナギ、イサナミは、我が国の最古の歴史書と言われている日本書紀に書かれていますが、当然歴史年表には載っていません。今でも「イサナギ、イサナミ」というと、雲の上にいる神様が目に浮かぶほど、神話の神様として私の頭に刷り込まれています。
それでは、イサナギ、イサナミは単なる想像の産物の神様なのでしょうか。もしそうだとしたら、その子のアマテルカミも実在の人物ではないことになります。多くはそれを当然と感じるでしょう。
アマテルカミ(后、セオリツ姫)以下の系譜は、オシホミミ(タクハタチチ姫)――ニニキネ(コノハナサクヤ姫)――ホオデミ(トヨタマ姫)――ウガヤフキアワセズ(タマヨリ姫)――カンヤマトイハワレヒコ(タタライソスズ姫)と続きます。このカンヤマトイハワレヒコが初代天皇と言われる「神武」です。それも怪しいとして、確実に存在したといわれる応神天皇、そして実在即位年が西暦で507年と確定している継体天皇まで入れても、全て系統が続いています。
逆に見ると、実在の人物の親がいつの間にか神様になっているのです。端的に言えば、最初の人間である神武天皇は神様から生まれたことになるのです。神武天皇の前はそれほどわからないのでしょうか。
「新説・異説」に書きましたが、仮に天皇即位を20歳として、20年で天皇が代るとしてみます。すると、継体天皇即位507年から大雑把に歴史を溯ってみると、神武天皇即位は紀元前10~20年位になります。誤差を入れても紀元前200年以前にはならないでしょう。同じようにイサナギ・イサナミの時代までは長く見ても紀元前350年程度となります。
紀元前350年というと、これまでの説でも、弥生時代早期(北部九州で水稲耕作が本格化、環濠集落、青銅器移入などの時代)です。最近の歴博の研究によれば、水田稲作は紀元前1000年頃に溯るようです。
世界的に見れば、中国では戦国時代、西欧ではアレキサンダー大王の東方遠征という時代です。この時代に、わが国は神様が天から舞い降りて、矛から雫をしたたらせて島々を創っていたということになります。間もなく秦の始皇帝も現れようという時代に、あまりにも荒唐無稽な話ではありませんか。
記紀に書かれた神々の話も、もう少し現実のことを「話」として書いたと見てはどうでしょうか。記紀では神々の話も、ホツマツタヱでは人間の歴史と見る読み方ができるのです。石器から土器、数々の道具、知恵や知識の蓄積、社会の発達、人間の祖先はやっぱり人間。それがホツマツタヱに書かれている。――わたしはそう確信しています。
・・・・・平成28年1月14日