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13-189 カスガマロ シカラズヤメテ
カスガが答えた。「そうではありません。蓄えをやめて
13-190 タラザラバ ウエバホドコシ
食べるものが足りなくなり、飢えれば人から施しを
13-191 ウケンカヤ イワクキタナシ
受けるのですか。それこそ見苦しいことです。
13-192 ホトコシオ ウケバホヰトゾ
施しを受ければ、乞食なのです。
13-193 キカサルヤ ナオカラサレバ
聞いたことはないのですか、素直に生きなければ
13-194 ヒトナラズ ヨニアリナガラ
人としての価値がありません。この世に生きていながら
13-195 ソノワザニ ウメルタカラオ
他人が働いて手に入れた財を
13-196 タタコヒテ クラフイヌコソ
ただでもらって食べる犬のような人間こそ
13-197 アノツミヨ マタトフタカラ
世の中の罪悪です」。またツクバが聞いた。「では、自分の財に
13-198 サルコトハ カスガマタトク
とらわれないということはどういうことですか」。カスガがなおも説明した。
13-199 ホシサルハ ステズアツメズ
「欲心を取り去るには、『捨てない、集めない』の
13-200 ワザオシレ タカラアツメテ
方法を覚えなさい。財を集めて
13-201 クラニミツ チリヤアクタノ
倉に一杯にしても、それは塵芥の
13-202 ゴトクナリ ココロスナオノ
ようなものです。心が素直な
13-203 ヒトアラハ ワガコノコトク
人ならば、自分の子のように
13-204 トリタテテ ミナタストキハ
大事にして誰をも援けるときは、
13-205 ホシモナシ チリトアツメテ
欲心はないのです。財を塵のようにかき集めて
13-206 ヨニセマリ ウラヤムモノガ
世間に幅を利かせても、羨んでいる者の心が
13-207 カムユエニ タマノヲミタレ
取り憑くので、死後、タマの緒が乱れ
ミヤナクテ スエマモラヌオ
天界に戻れず、子孫を継がせることもできません。
【ミヤナクテ】 「ミヤ」は「天界の宮」。死者の魂の還る所。
13-209 タマカエシ ナセバヲトケテ
それでもタマ返しの儀式をすればタマの緒が解けて
13-210 ミヤニイル ナサネハナガク
天界に戻ることができます。タマ返しをしなければ
13-211 クルシムゾ トキニシホカマ
長い間苦しみます」。その時シホガマが
13-212 コナキトテ トエバカスガノ
「我には子がないから、どうしたらいいのですか」と聞いたので、カスガが
ヲシヱニハ アユキワスキノ
説いた。「アユキ・ワスキの
【アユキワスキ】 「アユキ」は天の神を祭ること。「ワスキ」は地の神を祭ること。この祭り主がタマ返しをする。かつて、ツワモノヌシ・フツヌシ・タケミカツチがハタレのタマ返しをしたことは書いてあるので、このような人がタマ返しをしたのか。財を集めたとも書かれていないシホガマに子がいないということは、その祖先に財を集めた者がいて、「スエマモラヌ」状態に陥っているのだろうか。祖先のためのタマ返しをすることによって、子を授かることができるということか。
13-214 マツリヌシ タノミテソレノ
祭主に頼んで、緒が解けず苦しんでいるタマの
13-215 タマカエシ ナサハクルシム
タマ返しをしてもらいます。そうすれば苦しんでいる
タマノヲモ トケテムネカミ
タマの緒も解けて、日と
【タマノヲモ】 「タマ」は、和仁估本は「タタ」となっているが、「タタ」では意味が通じないので、「タマ」とした。
【ムネカミミナモト】 「ムネカミ」と「ミナモト」は14綾本文043に「「ヲセノムナモト ヒトマロメ ヰモノミナモト ツキトコリ」とあることから、「日と月」とした。
13-217 ミナモトエ タマシヰワケテ
月とへ、タマとシイとが分かれて
13-218 カミトナル タフトキヒトノ
天界に還れます。そして、貴い人の
13-219 コトウマル ナレドユキスキ
子どもとして生れてきます。けれども、アユキ・ワスキの祭をしても、
タマユラゾ スヱオヲモヒテ
しばしの間だけのことです。だから、子孫のことを考え
【タマユラゾ】 「タマユラ」は「しばしの間。ほんの少しの間。一瞬。」などの意。一度アユキ・ワスキの祭りをすれば後々までよいということではないということ。そうすると「スヱオヲモヒテ」と続く意味がよくわかる。
ムツマシク ワザオツトムル
夫婦は仲睦まじく精進することこそが
【ワザオツトムル】 子どものいないシホガマの質問への答えなので、「ワザ」は「業」すなわち仕事と解釈できるが、直ぐ前に「スヱオヲモヒテ」とあるので、子孫を残すことも含まれているのではないか。生き生きと常日頃の仕事や生活をすることによって子宝にも恵まれると言っているように思う。
13-222 イセノミチカナ      
夫婦和合の教えの『イセの道』なのです」。
13-223 コノミチオ マナフトコロハ
この教えを学ぶ所が
カンカセノ イセノクニナリ
アマテルカミの教えの満ちている伊勢の国である。
【カンカセノ イセノクニ】 「カンカセ」は直訳すれば「神の風」となるが、「アマテルカミの教えの満ちている」という意味としてとらえた。
13-225 チチヒメモ ノチニハイセノ
チチ姫もヲシホミミの亡くなった後には伊勢の
13-226 ヲンカミニ ツカエススカノ
アマテルカミに仕え、「スズカの
ミチオヱテ イセトアワチノ
道」を習得して、伊勢と淡路(近江)の
【イセトアワチノ ナカノホラ】 「イセ」を伊勢、「アワチ」を近江とすると、その中間に鈴鹿峠がある。その南側に、江戸時代には「鈴鹿大明神・鈴鹿御前・鈴鹿権現」と称していた片山神社があり、そこではないかと言われているが、祭神は「倭比売命」で、タクハタチチ姫の名はない。
13-228 ナカノホラ ススカノミチト
間の洞に祭られた。スズカの神のチチ姫と
13-229 ハコネカミ ムカフイモヲセ
箱根神のヲシホミミは、向かい合って祀られた。「イセの道」と
13-230 ホシオサル ススカノヲシヱ
欲心を捨てる「スズカ」の教えは
13-231 ヲヲイナルカナ      
何と偉大なことであろうか。