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17-207
その体にふれた風より天の神に
17-208
告げられるのである。二度目盗んだとき
17-209
背をかがめて抜き足で歩いても
17-210
地の神は気づいているが、情けで
17-211
まだ天の神に知らせないのだ。三度も盗むと
17-212
自分の胸がドキドキするので、
17-213
言葉が震え、表情に現れ
17-214
盗まれた者はそれで問い詰める。
したことを諭して、また良心に訴えれば
【ウラトエバ】 「ウラ」は心のうち。
17-216
ついに白状するものだ。他にも訴えを
17-217
受けているが、三つ受けた知らせの
17-218
二度目までは、その者もアメミヲヤ神の子どもだからと
君が言い、待って許していても
【キミノツゲ】 アマテルカミは話の中で自分を「君」とは言わないだろう。この「君」は「君の立場の者」と解釈した。
17-220
その罪の度合いによっては、天の神から君に
17-221
告げられるのである。それはまさに恥ずべきことなのである。
天の神、地の神は悪いことはしてはいけないと
【ワルサナセソト サガシコソスレ】 ここまでの文に、悪いことをした人間に対して、自ら罪に気づくことを第一にしていることが書かれているので、「サガシコソスレ」のあとに「罰しようしとているのではない」ということが省略されていると解釈した。
17-223
探すことはしても、罰しようとしているのではないのである」。
17-224
ハタレの首領のハルナが進み出て聞いた。
17-225
「アマテルカミのお話ですが、天の神が話しても
17-226
君が罪人に告げないでいれば
どうなるのでしょうか。やつがれは是非お聞きしたいものです。
【オヤオヤヤ】 ハルナの独特な言い回し。この後にもいくつか出てくる。
【アラコ】 ハルナはハタレから心を入れ替えアマテルの元にいる。そのことをハルナがへりくだった言い方で「アラコ」(本文125、「新しく育つ枝」)と言ったのであろう。
親は物盗りで、やつがれは小さい時から乱暴をはたらいていました。
【オサザズリ】 「オサ」は親。「ズリ」は「スリ」で物盗り。「ザ」は「~は」にあたるハルナの言い回しか。
【アラサネタケル】 「アラサネ」は「新しい種」のような意で、幼い自分を表していると解釈した。
17-229
これが一度目。捕まらないと侮った我ら物盗りたちは
ねじけた心がひどくなり、摺り足の音など
【ネジケマズ】 「マズ」は「マス」と読んだ。
17-231
地の神が分かるものかと、ますます物盗りがひどくなりました。
これが二度目。強盗をはたらいている者も
【シヰバフスリモ】 「シヰ」は強いる。「バフ」は奪う。そのような物盗り、すなわち強盗。
大声でわめいていれば、顔も言っていることも
【オダケンバ】 雄叫びをあげれば。
分からないということがあるでしょうか。それなのにアマテルカミが天の神に
【ワケランヤ】 「ヤ」は反語の助詞。「分からないだろうか、いや分かるはずだ」
17-235
知らせなかったので、やつがれは物盗りのままだったのです。
17-236
これが三度目。サソラ(ソサノオ)から聞いて
自分の手下どもの七億九千人に
【ナロマスコチニ】 和仁估本では「コチニ」のコとチの間に小さな「ン」が入っている。「コンチニ」というのは、ハルナ独特の言い回しであろう。
17-238
技を教えて、天下を取ろうと
三千日も戦略を練り、六回も戦った
【ムタビタタカヒ】 6度というのは六つのハタレのそれぞれの戦いのこと。
けれども、弄ぶとは
【マサグル】 弄ぶと言ったのは、アゲネズミとかフトマガリモチ、サッサモチ、オコゼなど食べ物で操られたことも考えられるが、3度目の悪事も見逃して、「ムタビタタカヒ(6つのハタレの戦い)」でことごとく惨敗したこと。
17-241
いかがなものでしょうか」。するとアマテルカミは
ほほ笑んで言われた。「また、自分の話にもっていくのではないぞ。
【ハナトルナ】 「ハナ」は話の略で、「話を取る」
17-243
ただ、心を静めて聞きなさい。
17-244
自分の悪知恵が働きすぎて人々を欺くと
17-245
天罰が降りるものなのだ。その訳を聞かせよう。
吾が思うには、人のみやびは
【ヒトノミヤビハ ナサケエダ】 「ミヤビ」については16綾解釈ノート113で、宮人としてのあり方・生き方を表していると述べた。ミヤビの心を持っている人間は、自分以外の人々にも情けをかける感性を持っているということ。ここでは人を木の姿にたとえている。「ミヤビ」は人格の根幹なので幹であろう。ここからの文は極めて難解で、私もこれだという訳ができたとは思っていない。アマテルカミの話は格調が高いと同時に難しく、訳者泣かせである。
17-247
『情け』という枝を出しているのだ。そもそも人は、天から授けられた
17-248
タマとシヰが結びついて命となり、
タマはナカゴ(心)に宿る。チ(血)が作られるのはキモ(心臓)である。
【タマナカゴ ウムチハキモゾ】 鼓動によって血液を送り出す生物学的な心臓はこの時代にも十分認識されていたが、喜怒哀楽等の精神面によってワクワクしたり胸が苦しくなったりするのは、心臓そのものではなく「心」という別な働きによると捉えていたのだろう。
シヰのネ(根・音)はムラト(声・発声器官)に、ハ(葉)はココロバ(性格)に現れる。
【シヰノネハ ムラトココロバ】 難解。みなさんの知恵をお借りしたいが、私の解釈はつぎのとおりである。「シヰノネハ」のホツマ文字の「ハ」は「葉」の意を持っている文字なので、「ネ」との組み合わせで「シヰの根と葉」と考えた。人の欲望など本能の部分である「シヰ」は人の中で根と葉を出しているというイメージだろうか。また根は音(ネ)と同音ということで、声を出す部分に現れると考えた。「ムラト」は声や声を出す発声器官と解釈した。ここでは「ココロバ」を心の表れるところとして「性格」と訳したが、「気持ち」「性根」「心」など、いろいろな言葉で訳せる。