【オノガカオ ツゲスユラスハ】 鶏とカラスの比較として解釈した。空を自由に飛んでいるカラスは、鶏と同じように民の心を感じる「カ」(長所)を持っているが、それを「ツゲズ」(知らせることもせず)、「ユラス」(ゆらゆら飛ぶ)だけだ。
【ケタノウエ ムタハトシカズ フトサツキ】 「ケタ」は桁で、柱の上に渡す水平材のこと。棟と並行にかけたものを桁、直角にかけたものを梁と分けていうこともある。その桁の上の「6咫」というと、棟を指すとしか考えられない。「トシカズ」は年数と解釈し、17綾本文179に「モモノツクリキ ミモノハリ ヰモハムナギゾ」と人と樹木の成長について書いてあることからも、「年数を経た木」と考えた。「フトサツキ」は太さが「尽く」というようなこととして、「十分に太くなった材木」とした。そのような材木を棟木としたのは「ヰモハムナギゾ」からよく分かる。
【ムテムスビ】 17綾本文028にアマテルカミの話として、こことほぼ同じことが書かれている。そこでは「ムノタミメヨリ ムロヤタツ」とあり、「手引き図」と訳したが、ここでは言葉のニュアンスの違いから「考え出した」と訳した。
【オオクンヌシ】 2代目大物主クシヒコ。後に褒め名として「ヲコヌシ」という名を受けている。ここは、そのオオクンヌシが話しているので、本来は「我が」とすべきところだが、自分で自分の名をいうこともあるので「オオクンヌシ」とした。
【ムツキネトナス】 非常に難解で、前後のつながりからも読み取ることが難しかった。「ムツ」を「室屋の」、「キネ」を「巫(かんなぎ) 、神に仕える人」と捉えることにより、このような訳にたどり着いた。屋根は天にいちばん近く、神とのつながりがあると考えられていたのか。
【ハリノネハフユ ウヅキスエ】 「ハリ」は「梁」。「ネ」は柱の根(上の方)、すなわち梁との接合部分と考えた。「フユ」は「振ゆ」(揺れ動く)。「ウヅキ」は「埋める木」すなわち「くさび」。梁と柱の継ぎ目を固定するのにくさびを使ったのではないか。
【ツキ】 他の伝本に「ツキ」が「トリ」となっているものもあるので、それを採用し「鴫も田にいる鳥で、水鳥だ」と、鴨も鴫も水に縁があることを言っていると解釈した。「ツキ」のまま解釈すると、広辞苑に「『告ぎ』上代東国方言、動詞ツグの連用形ツゲの訛」とあるので、ここでは「ツギ」と読み、「水田にいる、神からの告げを伝える鳥」とも訳せるように思う。
【ヱトニソム アメアカルヒハ ヨロヅヨシ】 難解だが、私は次のように解釈した。和仁估本の漢訳には、「アカツキノアハ ニノタカラ」に対して「第一所名暁天門 猶是配財」、「クラヤメノアハ ガニヤメル」に対して「第二所名瞑天門 猶是配病」などと白丸や黒丸、また白黒を半分や3分の1に塗り分けた記号が書かれている。この門の1周を「トシヨツワケテ」、すなわち1面を90日として4面で360日と、ほぼ太陽の巡りの1年としていることと合わせて考えると、「ヱトニソム」は1年で一回りするそれぞれの門に合わせて染めた、すなわち塗り分けられたや等を意味しているのではないか。和仁估本では「ソム」は数詞になっているが、「16」では解釈のしようがないので、長弘本のように数詞ではないものを採用することとした。そうすると「アメアカルヒ(「ニ」の付く日)」はの日となり、本文の通りの日はよい日となっていて意味が通じるように思う。