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オノガカオ ツゲスユラスハ
しかし、その己の取り柄も人に知らせず舞っているのが
【オノガカオ ツゲスユラスハ】 鶏とカラスの比較として解釈した。空を自由に飛んでいるカラスは、鶏と同じように民の心を感じる「カ」(長所)を持っているが、それを「ツゲズ」(知らせることもせず)、「ユラス」(ゆらゆら飛ぶ)だけだ。
21-145 カラスナリ トリヨリサキニ
カラスなのである。鳥よりも先に
21-146 シルカミノ シマハトリヰゾ
様子を知るヤマサ神を祭る門を鳥居という。
コレカミノ ミコニヲシヱテ
次のようにアマテルカミがニニキネに教えられた。
【ミコニヲシヱテ】 「ミコ」はオシホミミだが、この綾はニニキネがニハリの宮を建てる時の話なので、この場面の人物としては「ニニキネ」以外考えられない。「ミマゴ」の省略であろう。
21-148 イタワリオ シラネハカミハ
「民をいたわる心がなければ、君は
トリヰヌゾ ホツマオナメテ
民の心を感じ取ることはできない。ホツマの教えを深く学んで
【トリヰヌゾ】 鶏やカラスなどの民の心を感じ取る鳥がいない。すなわち民の心を感じ取ったよい政を執ることができないということ。
トリヰナリケル     
よい政を執る君となるのだ」。
【トリヰナリケル】 鳥よりも先に民の様子を知る鳥居のような君。
21-151 サノミカト ハシラハミソキ
「南の御門の柱は三十寸
21-152 ハバミタケ タカサモミタケ
幅は三丈、高さも三丈
ケタノウエ ムタハトシカズ
桁の上の六咫の所に、年を経た
【ケタノウエ ムタハトシカズ フトサツキ】 「ケタ」は桁で、柱の上に渡す水平材のこと。棟と並行にかけたものを桁、直角にかけたものを梁と分けていうこともある。その桁の上の「6咫」というと、棟を指すとしか考えられない。「トシカズ」は年数と解釈し、17綾本文179に「モモノツクリキ ミモノハリ ヰモハムナギゾ」と人と樹木の成長について書いてあることからも、「年数を経た木」と考えた。「フトサツキ」は太さが「尽く」というようなこととして、「十分に太くなった材木」とした。そのような材木を棟木としたのは「ヰモハムナギゾ」からよく分かる。
フトサツキ マルケタトモニ
十分に太い棟をのせる。丸い棟木でも四角い棟木でも
【マルケタトモニ】 「ケタ」はここでは「方」の漢字を当てはめて考えられる、「四角いさま、角があるさま」であろう。
21-155 ヤツクリノ モトハトコタチ
これが宮造りの基礎になる。その宮造りの元はクニトコタチが
ムテムスビ ムロヤツクリテ
室屋の造り方を考えだして、室屋を造って
【ムテムスビ】 17綾本文028にアマテルカミの話として、こことほぼ同じことが書かれている。そこでは「ムノタミメヨリ ムロヤタツ」とあり、「手引き図」と訳したが、ここでは言葉のニュアンスの違いから「考え出した」と訳した。
21-157 タミオウム ノチヤテムスビ
民をふやしたことに始まった。その後社の造り方を考えだし
21-158 ヤシロナル コレニイマスル
社ができた。これに住んでいるのが
イマノミヤ オオクンヌシノ
今、宮と言われるところである。オオクンヌシの
【オオクンヌシ】 2代目大物主クシヒコ。後に褒め名として「ヲコヌシ」という名を受けている。ここは、そのオオクンヌシが話しているので、本来は「我が」とすべきところだが、自分で自分の名をいうこともあるので「オオクンヌシ」とした。
21-160 カンガエハ キハサカシマニ
考えによれば、材木は上下逆さまにして
カシラシタ カレムネオモテ
梢の方は下にするのがよい。ゆえに棟を
【ムネオモテ ヤネトナス】 棟の方に木の根があるので、「屋」の「根」。屋根の「ね」がどうして「根」なのか、その理由を初めて知った。
21-162 ヤネトナス フクハヤネネゾ
屋根と呼ぶ。葺いているところは屋根峰という。
21-163 モシハシラ ツガバシモツゲ
もし、柱を継ぐのなら、下の方で接ぐのがよい。
21-164 カミハネゾ ネハタチツガズ
神は根に宿っているので、根の方は切ったり接いだりしてはいけない。
21-165 ムノヲシテ ノキヨリムネニ
屋根はムのヲシテのように軒より棟に手を
テオアワス ムツキネトナス
合わせる形になっている。すなわち屋根は室屋の神に仕える役なのである。
【ムツキネトナス】 非常に難解で、前後のつながりからも読み取ることが難しかった。「ムツ」を「室屋の」、「キネ」を「巫(かんなぎ) 、神に仕える人」と捉えることにより、このような訳にたどり着いた。屋根は天にいちばん近く、神とのつながりがあると考えられていたのか。
21-167 ムナキモシ スエハツグベシ
もし棟木を接ぐならば梢の方で継ぐのがよく
ネハツガズ ハリノネハフユ
根の方では継いではいけない。梁と柱の継ぎ目は揺れるので
【ハリノネハフユ ウヅキスエ】 「ハリ」は「梁」。「ネ」は柱の根(上の方)、すなわち梁との接合部分と考えた。「フユ」は「振ゆ」(揺れ動く)。「ウヅキ」は「埋める木」すなわち「くさび」。梁と柱の継ぎ目を固定するのにくさびを使ったのではないか。
21-169 ウヅキスエ スエハツグベシ
くさびで固定する。全てにおいて梢の方で接ぐのがよく、
21-170 ネニツグナ ヒサシハオオヒ
根に接いではいけない。庇は日を覆うため
キサニサセ シトミハトミノ
東南につけるのがよい。戸口は、臣が
【シトミ】 「蔀」。格子を組み、間に板をはさんだ戸。辞書には平安時代から現れたとあるが、すでにその原形はあったと思われる。この場合は戸そのものではなく、戸口。
21-172 トノヲシヱ トホルオミルゾ
トの教えが民に行きわたっているのを見る所である。
21-173 ホノシツメ トノアケタテニ
『火の鎮め(防火)』について。戸の開け閉てで
スレアエバ シタオシキヰト
擦れ合う所の、下を敷居といい、
【シキヰ】 鴫と敷居をかけている。
ウエカモヰ シギハタノツキ
上を鴨居という。鴫も田にいる水鳥である。
【ツキ】 他の伝本に「ツキ」が「トリ」となっているものもあるので、それを採用し「鴫も田にいる鳥で、水鳥だ」と、鴨も鴫も水に縁があることを言っていると解釈した。「ツキ」のまま解釈すると、広辞苑に「『告ぎ』上代東国方言、動詞ツグの連用形ツゲの訛」とあるので、ここでは「ツギ」と読み、「水田にいる、神からの告げを伝える鳥」とも訳せるように思う。
21-176 トハウシホ ナルトノヒビキ
戸は潮のようで、開け閉ての時鳴る戸の響きは、
ウシホナル ウエニカモフネ
まさに潮そのものだ。戸の上には鴨船がいる。
【ウエニカモフネ】 鴨と鴨船をかけていると考える。鴨がいるということと同時に、龍田姫が鴨船に乗っているというのは考え過ぎだろうか。
21-178 ミツトリノ ホノシツメナス
水鳥(鴫と鴨)が火の鎮めをするのが
シキカモヰ ココニタツタノ
敷居と鴨居である。ここに火を鎮めるタツタの
【タツタノカミ】 龍田姫。22綾本文041に、火の鎮めと津波を鎮める神として出てくる。一般には秋をつかさどる女神とされている。
カミイマス カツヤマイリハ
神がいるのである。なおかつ、山に木を伐りに入るのは
【カツヤマイリハ】 突然「なおかつ」となるが、本文015の「キオキルハ キヤヱノヒヨシ テオノソメ ネシヱ」の続き。
ツヱサヱゾ キヲノフハイム
ツ・ヱとサ・ヱの日がよい。キとヲの付く二つの日は控えるのがよい。
【ツヱサヱゾ】 キアヱ暦のヱトの「ツ・ヱ」と「サ・ヱ」の日。次の「キ・ヲ」も同じ。現代のエトといわれているものは、中国から伝わった「干支」で、キアエ暦のヱトとは違う。
ヱトニソム アメアカルヒハ
ヱトに付けられた『アメアカル日』は
【ヱトニソム アメアカルヒハ ヨロヅヨシ】 難解だが、私は次のように解釈した。和仁估本の漢訳には、「アカツキノアハ ニノタカラ」に対して「第一所名暁天門 猶是配財」、「クラヤメノアハ ガニヤメル」に対して「第二所名瞑天門 猶是配病」などと白丸や黒丸、また白黒を半分や3分の1に塗り分けた記号が書かれている。この門の1周を「トシヨツワケテ」、すなわち1面を90日として4面で360日と、ほぼ太陽の巡りの1年としていることと合わせて考えると、「ヱトニソム」は1年で一回りするそれぞれの門に合わせて染めた、すなわち塗り分けられた等を意味しているのではないか。和仁估本では「ソム」は数詞になっているが、「16」では解釈のしようがないので、長弘本のように数詞ではないものを採用することとした。そうすると「アメアカルヒ(「ニ」の付く日)」はの日となり、本文の通りの日はよい日となっていて意味が通じるように思う。
21-183 ヨロツヨシ ヤツクリハコレ
万事よろしい。家造りの考え方は以上です」。