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ミチタテテ ガノミモムソヰ
規準を作り、罪の段階を三百六十五とし、
【ガノミモムソヰ】 罪の程度を1年の365日に合わせて365段階とした。7綾本文032に「アマノメグリノミモムソタビ」とあり、その解釈ノートに私の考えを述べた。参照してほしい。
23-099 アメノミチ オヨベバコロス
一回りの三百六十五段階になったら、死罪とする。
23-100 ミチハコレ モシアヤマリテ
刑罰の規準はこれである。もしも理不尽な
コロサルモ カタキオトレバ
殺され方をした場合、仇をとれば
【カタキオトレバ】 仇討ではなく、犯人を見つけて処罰できるようにすれば、ということではないか。ホツマツタヱに描かれているアマテルカミの人格・思想を考えると仇討を奨励しているとも思えないし、冤罪で殺しておいて仇をとればタマの緒を解いてやるというのはアマテルカミの考え方とは思えない。
23-102 ヲオトクト アマネクタミニ
タマの緒を解いて天に還れるようにすると、すべての民に
23-103 フルルナリ サホコノクニノ
知らせた。サホコの国の
23-104 マスヒトガ ミチオミタレバ
マスヒト(地方長官)が政を乱したので
23-105 コレオメス タタセバコロス
宮に呼びつけたことがあった。調べてみると死罪に
ツミナルオ サオヱテノガル
相当する罪であったが、減刑され死罪を逃れた。
【サオエテノガル】 7綾本文070以降参照。
マタノガニ ツイニアメヨリ
しかし再びの悪事で、ついに吾等により
【アメヨリ】 「アメ」はアマテルカミ。罪過を決めるのは宮中の臣たちの合議でも最終判断はアマテルカミが行った。それらを含めて「アメ」と表現したと考える。
23-108 ツミセラル カレガオコリオ
罰せられたのである。このように悪事や奢りを
23-109 タヤスクニ ユルセバタミモ
簡単に許してしまえば、民も
23-110 ミナオゴル コレヨリハタレ
みな奢ってしまう。こういうことから
23-111 アラハルル タトエバカワノ
ハタレが出てくるのである。例えば川は
23-112 ミナモトノ ヒトシツクヨリ
源の一滴より
23-113 ナカレマシ ノダニアブルル
流れが増して、野や田に水が溢れるようになる。
23-114 ヒトモコレ ヒトリユルセハ
人も同じである。一人を許せば
23-115 ヨロムレテ ソノミチモドル
大勢が群れ集まって、元の悪の道に戻ってしまう。
23-116 サシオケハ ツイニハヨモノ
放っておいたら、ついに至る所が
23-117 ミタレナス コレミナモトオ
乱れてしまう。このように源を
23-118 タダサネバ オオミツナシテ
正さないと、大水になって
23-119 フセガレズ コレシラスンハ
防ぐことができなくなる。こういうことを知らなければ
23-120 ヲサマラヌナリ      
国はうまく治めることができないのである。
23-121 ワレミルニ ヒトイハカワル
吾が観察するところによると、人の心は変わるものである。
23-122 オコリガチ ヘリニハカタク
奢りがちになって、自分の物を減らすのは厭がる。
23-123 カレハタノ ヲリノリサタム
故に『機の織法』を定めた。
ユウノハバ タテイトヤモリ
木綿(ユウ)の織物の幅は経糸が八百本で
【ヤモリ】 何回か「リ」がでてくるが、糸の本数を表しているので「本」とする。
ヲサヨモハ ヤソリヒトヨミ
筬羽(オサハ)は四百。経糸八十本で一ヨミとし
【ヲサ】 ここでは機織りの道具の筬の櫛の歯状のところ。
【ヤソリヒトヨミ】 「ヨミ」は糸の本数を表す単位。大辞林に「機(はた)の筬(おさ)の数を表す。筬の数40を1ヨミといい、ヨミの数が多いほどたて糸が多く織物は密になる」とある。現在伝えられているのと数が違う。この後の「テ」も単位を表す言葉。
ヤリヒトテ ヘグヰニソロヱ
八本を一テとする。経糸がそれぞれ綜絖糸の穴に通るようにそろえて
【ヘグヰ】 「ヘ」は大言海に「引き延べたる機の経糸を懸くるもの。綜(へ)るもの。関東にカケイト。関西にカサリ。」広辞苑に「『へ(綜)』機のひきのばした経糸をかけるもの(和妙類聚鈔)」とある。機織り機の構造から考えると、「へ」は今日使われている機織り機の「綜絖」(ソウコウ)。2枚の綜絖が交互に上下して横糸を通す隙間を作る。「クヰ」は綜絖糸と思われる。綜絖には「経糸を通す穴の付いた綜絖糸」が何本もついていて、これを「クヰ」と呼んだのではないか。
アレヲサニ マキヲサニイレ
粗筬(アラオサ)を使い千切棒に巻き、経糸を筬に通す。
【アレヲサ】 経糸の基の方を巻く棒(千切棒)に糸を巻くとき使う、反物の幅出しとガイドを兼ねた目の粗い筬。現代でも「粗筬」というようだ。
カザリカケ メヲフミワケテ
カザリの綜絖も踏木につなぎ、左右の足で踏木を踏み分けて
【カザリカケ】 「カザリ」は「ヘグヰ」の項にあるように、関西で綜絖のことを言ったとあるが、昭和初期のことで、この時代には「ヘ」も「カザリ」も綜絖を言ったものと思われる。その理由は本文175に綾織や錦織の織り方として、「ヘカザリオ カケテヨツムツ フミワケル」とあることによる。無地の織物では綜絖は2枚で済むが、模様をつけるには必要に応じて綜絖を増やすので、踏木(ペダル)がその数だけ多くなる。ここでは4~6本の踏木を踏み分けている。このことから基本の2枚を「ヘ」、模様に必要な方を「カザリ」と言ったと解釈した。「カケ」は取り付けるというような意味で、模様の綜絖からの紐も踏木に取り付けるということか。
23-129 カヒナグル ヲサメグラシテ
素早く杼を投げ、筬で引いて
23-130 ユフヌノモ キヌモヲルナリ
木綿(ユウ)の布も絹も織るのである。
23-131 トヨミモノ モノヌシカミノ
十ヨミの布は大物主が
ツネノハゾ モニハカタオリ
常に着るものである。喪には固織を使う。
【モニハカタオリ】 モ」は池田満氏によると喪を表す文字。この時代も死者を送ることは特別なことであったのだろう。ただ、このように喪のために着る物を民までも用意していたのか疑問にも思う。この「モ」を「裳」と捉えると、「腰から下にまとう衣服」と解釈できるのではないか。「カタオリ」は、広辞苑には「固織、織物の紋を浮かさず、糸を固く締めて織ること。また、その織物」とある。その対となる「浮織」は、「糸を浮かせて模様を織り出すこと」とある。模様を作る緯糸を浮き上がるように織るか浮き上がらないようにして織るかで、このように呼んでいるようである。
23-133 コヨミモノ ムラジアタヒラ
九ヨミの布は、連や直達が
23-134 ツネノハゾ モハコノカタハ
常に着るものである。喪は九ヨミの固織りを使う。
23-135 ヤヨミモノ アレヲサベヲミ
八ヨミの布は村長や部の臣が
23-136 ツネノハゾ モハヤノカタハ
常に着るものである。喪は八ヨミの固織りを使う。
23-137 ナヨミヨリ フトノハタミノ
七ヨミ以下の太い糸で織った布は民が
23-138 ツネノハゾ モハムノカタハ
常に着るものである。喪は六ヨミの固織りを使う。
23-139 ワレツネニ ソフヨミオキル
吾は常に十二ヨミの衣を着る。
23-140 ツキノカズ モハソノカタハ
十二は一年の月の数だからである。喪は同じ十二ヨミの固織りである。
ナツハヌサ ウミテヌノヲリ
夏は絹を紡いで布を織り
【ナツハヌサ ウミテヌノオリ】 「ヌサ」はこの場合は絹。漢字で「帛」を当て、「きぬ。白い絹布。転じて広く絹織物のこと」(広辞苑)とある。「ウミテ」は漢字を当てれば「緝みて」で、つむぐ。繊維をより合わせて撚糸にすること。
フユハユキ ヨリテユフヲリ
冬は楮(コウゾ)を撚って木綿(ユウ)を織る。
【フユハユキ】 「ユキ」は語意不明。これを撚って「ユウ」を織ることから楮であろう。とすると、「ユキ」は「ユウの木」の短縮か。
23-143 キルトキハ カミシモヨヨノ
これらの決まりに従って着れば、位の上下すべての者が
23-144 ヰモヤスク カザルオミレバ
快適に暮らすことができる。着る物だけを飾っている者を見ることがあるが
23-145 ニギハエド ウチハクルシム
表面は豊かに見えても、その実は苦しんでいるのだ。