先頭の番号が青い行は、クリックすると解釈ノートが見られます。
対訳ページの使い方の詳細はこちらのページをご覧ください。
23-357 コヤネマタ ナフカオソレソ
アマノコヤネが重ねて「そんなに恐れ入らなくてもよいのではないですか。
23-358 ウケタマエ ワレワカケレド
どうぞお受けになってください。私はまだ若輩ですが
23-359 コモリトハ ヨヨムツマシク
コモリカミとは末々まで力を合わせて
23-360 キミノタメ ナカコヒトツニ
君のために心を一つにして
23-361 マメナサン トキニクシヒコ
忠義を尽くしましょう」と言った。そこでやっとクシヒコが
23-362 ウヤマイテ ウケイタタケバ
恭しく押し戴いた。
23-363 キミハマタ フトダマカグニ
アマテルカミはまたフトタマとカグヤマに
23-364 ミコトノリ マゴテルヒコノ
詔を下された。「我が孫のテルヒコ(アスカホノアカリ)の
ハネノオミ フトタマハヨヨ
左右の臣のうちのフトタマは代々
【ハネノオミ】 左右の臣。鳥の羽に例えた言葉。24綾本文050以降に詳しく書かれている。左の臣が政治を担い、右の臣が武力を担う。
23-366 マツリトレ マタカグヤマハ
左の臣として政を司れ。また、カグヤマは
23-367 モノヌシヨ ムソノモノノベ
右の臣の物主として、六十の物部を
23-368 ツカサトリ タミオヲサメヨ
まとめ、民を治めよ」。
23-369 トキニマタ コヤネコモリニ
またその時に、コヤネとコモリにも
23-370 ミコトノリ イマキヨヒトノ
詔を下された。「今二人は、キヨヒト(ニニキネ)の
23-371 ハネノオミ コヤネハヨヨノ
左右の臣である。コヤネは代々
23-372 マツリトレ コモリハヨヨノ
左の臣として政を司れ。コモリは代々
23-373 モノヌシゾ トモニマモリテ
右の臣の物主として、共にキヨヒトを守って
23-374 タミオタセ マタスヘマコニ
民を治めよ」。また、孫のテルヒコとキヨヒトに
23-375 ミコトノリ ナンヂラマツリ
詔を下された。「汝ら政を
23-376 オコタラズ ホヅマナルトキ
怠るでないぞ。真にトの教えが行き届いた時に
ヤタヤスフラン    
すべての民は安心して末永く暮らすことができるであろう」。
【ヤスフラン】 「ヤス」は居やすいとか安泰の意。「フラン」は「フルラン」の短縮形として、「フル」は「旧る」と読み、長い年月が経つこととした。
23-378 クシヒコハ ヤマトヤマヘニ
クシヒコは大和の山辺に
23-379 トノツクリ ヨオカンガエバ
宮を造り、世の中のことを考えているうちに
23-380 トシスデニ ソフヨロヤチモ
歳はすでに大変な高齢に
23-381 キワアレバ ノチノマモリハ
なっていた。そこで死後の使命は
23-382 トヨケノリ タマノヲイレテ
トヨケ法に従って生まれ変わって
23-383 スヘラギノ ヨヨマモランハ
スヘラギの代々を守ることが
23-384 アメノミチ ミモロノヤマニ
天命だと、三諸山に
23-385 ホラホリテ アマノサカホコ
洞を掘った。クシヒコは天の逆矛を
23-386 サゲナガラ イリテシツカニ
腰に下げて洞に入り、静かに
23-387 トキオマツ スクナルヌシオ
時を待った。人々は真っ直ぐな性格のクシヒコが
23-388 ミワケント スグナシルシノ
眠っていることが分かるように、真っ直ぐな性格の標としての
スキウユル ヲコノミタマノ
杉の木を植えた。ヲコノミタマノ
【ヲコノミタマノ カミハモト ヒノワワケミノ コトノリモ】 ヲコノミタマノカミに以前「ヒノワワケミ」という称号が与えられたようにも読めるが、「ヒノワワケミ」はアマテルカミ以外を指すことは考えられない。「モト」は「元々」ではなく「以前」。
23-390 カミハモト ヒノワワケミノ
カミという称号を以前アマテルカミより
23-391 コトノリモ アメニツグトテ
授けられたのも、アマテルカミに次ぐ者であるということからであった。
23-392 コモリカミ ソエモノノヘハ
コモリカミの副え物部は
23-393 トマミナリ コトシロヌシハ
トマミである。事代主は
23-394 ツミハナリ ニニキネミコノ
ツミハである。ニニキネ皇子を
23-395 マモリナリケリ      
守る人達である。