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25-055 コフユエニ キミキコシメシ
願い出た。ニニキネが聞き入れられ
25-056 シノミヤオ ツクシヲキミト
シノ宮(ウツキネ)を筑紫御君とする
25-057 ミコトノリ ウツギネハラノ
詔を下した。ウツキネは
25-058 ミヤニユキ イトマオコエハ
ハラ朝間宮に行き、暇乞いをすると
25-059 ムメヒトモ トモニノホリテ
ムメヒトも一緒に瑞穂の宮に上り
25-060 ミツホナル アマキミヲガム
ニニキネに挨拶をした。
25-061 トキニキミ ツクシハカテノ
その時ニニキネは「筑紫は食糧が
25-062 タラサルカ テレハユキミテ
足りていないのか。それならば行ってみて
25-063 タオマサン カレムメヒトオ
田を増やそう。故にムメヒトを
25-064 ヲキミトス コヤネモノヌシ
瑞穂の宮の御君とする。アマノコヤネと大物主は
25-065 モロトモニ ココニトトマリ
一緒にここに留まって
25-066 マツリキケ ウツキネスセリ
政を補佐せよ。ウツキネとスセリは
キタノツニ ユキテヲサメヨ
北の津に行って二人で治めなさい。
【キタノツ】 福井県敦賀市。そこに気比神宮があり、祭神は「いざさわけのみこと」となっている。
イササワケ アレバムツメヨ
二人には多少のわだかまりがあろうが、そこで仲良くせよ」と言われた。
【イササワケアレバ】 気比神社の祭神が「イザサワケ」なので「イササワケ宮」という宮があるようにも受け取れるが、ウツキネとスセリは本文028での宮の件で「いささか訳あり」の状態になっていた。だからニニキネが敢えて仲良くしろと言ったと解釈した。もう少し深読みすると、本文003にニニキネが「フカキオモイノ アルニヨリ」とあり、また、本文172でスセリが「ワレナガク オトノコマシテ カテウケン」と、ウツキネに仕えると言っていることから推測すると、ニニキネは宮の問題だけでなく、ウツキネとスセリの兄弟の間に跡継ぎについても確執があると思っていたのではないか。
25-069 アマキミハ ニシノミヤヨリ
ニニキネは西ノ宮より
25-070 カメニノリ ツクシウマシノ
亀船に乗って美しい筑紫の
25-071 ウドニツキ ツクシアマネク
鵜戸の浜に着いた。筑紫の国の隅々まで
25-072 メクリカリ イセキツツミニ
はるばる巡り歩いて、井堰や堤を築き
25-073 アラタナス ノリサダムレハ
新田を拓く手筈を定めた。
25-074 スミヨシノ マゴホタカミヤ
住吉の孫のホタカミや
25-075 シガノカミ ツクシニコエハ
シガが筑紫の宮に招いても、
ソヲノハデ カゴニコエドモ
ソオのハデスミが鹿児島に招いても
【ソオノハデ】 8綾本文361で、住吉はアマテルカミよりソオの国を給わっているので、ハデは住吉の子孫であろう。3人並べられていることから推測してシガも子孫ではないか。
25-077 ヒメモスニ ツキスムマテモ
ニニキネは一日中働いて、月が煌々と輝くまで
25-078 ミオツクシ ミトセニサシヱ
仕事に励んだ。三年目に新田開拓の図面が
25-079 ホボナリテ ツクリオコナイ
ほぼ出来上がり、井堰や堤を造る作業を
25-080 ヲサメシム ノチニミツホニ
終えられた。その後、ニニキネが瑞穂の宮に
25-081 カエマセハ ムメヒトヲキミ
帰られたので、ムメヒト御君は
25-082 シワカミノ ホツマノミヤニ
シワカミのホツマの宮(ハラ朝間宮)に
25-083 カエリマスカナ      
帰られた。
25-084 ヱトノミヤ キタツニアリテ
スセリとウツキネ兄弟が北の津にいた時
ココロミニ ウミサチヒコガ
兄のスセリが「試しに、
【ウミサチヒコ】 「ヱトノミヤ」はニニキネより北の津を治めるように言われたウツキネとスセリで、それが突然、海幸彦と山幸彦になって、記紀と同じ神話の世界になってしまう。これはいったいどういうことであろうか。私は、二人の兄弟間の争いをそのまま伝えず、遠い昔からの「人類の記憶」の中に残された「昔話」に置き換えて書かれたのではないかと考えている。原文では「海幸彦、山幸彦」となっているが、それは兄のスセリと弟のウツキネであり、歴史の中の出来事として訳した。そのためかなりの意訳となったが、ホツマ文字の原文は分かりやすい言葉なので比べながら読んでいただきたい。
25-086 サチカエン ヤマサチヒコモ
釣りと狩りを取り替えてみよう」と言ったので、弟のウツキネも
25-087 ウナヅキテ ヱハユミヤトリ
同意した。兄は弓矢を持って
25-088 ヤマニカル トハウミニイリ
山に狩りに行き、弟は海に行って
25-089 ツリオナス トモニムナシク
釣りをしたが、二人ともむなしく
25-090 サチアラズ ヱハユミヤカエ
獲物は得られなかった。兄は弓矢を返し、
25-091 チオモトム トハチオトラレ
釣り針を返すように言った。弟は魚に釣り針を取られてしまったので
25-092 ヨシナクテ ニイチモトメハ
どうしようもなくて、新しい釣り針を受け取ってくれるように頼んだが
25-093 ヱハウケズ モトチハタレハ
兄は受け取らなかった。元の釣り針を返せと責めたので
25-094 タチオチニ ヒトミニモレド
弟は太刀を針にして、箕に一杯入れて持って行ったが
25-095 ナオイカリ サワナキモトノ
兄はなお怒り、「あの釣り針はどこにでもあるような代物ではない」と言って、
25-096 チオハタル ハマニウナタレ
元の釣り針を返せと責めた。浜でうなだれて
25-097 ウレフトキ カリワナニオツ
悲しんでいる時、雁が罠にかかったのを見て
コレオトク シホツツノヲヂ
ウツキネは雁を放してやった。その様子を見ていたシホツツのヲジが
【シホツツノヲヂ】 「シホツツ」は漢字で表すと「潮津々」と書けるのではないか。普段は港や潮の様子や船の出入りなどについての専門職のような立場で、情報と策略に長けた君の御意見番のような役割を持った人、またはその役職ではないか。「シホツチ」とも書かれている。
25-099 ユエオトフ ママニコトフル
訳を尋ねた。ウツキネが事の次第を話すと
25-100 ヲチイワク キミナウレヒソ
シホツツのヲジが言った。「君、どうか悲しまないで下さい。
25-101 ハカラント メナシカタアミ
我によい考えがあります」。それから、堅く編んだ目の細かい網を
カモニイレ ウタフタツケテ
鴨船に載せ、歌札を付けて
【ウタフダ】 和歌を書いた札。
25-103 キミモノセ ホアゲトモツナ
君(ウツキネ)も乗せ、帆をあげて艫綱を
25-104 トキハナツ ツクシウマシノ
解いて出帆し、美しい筑紫の
25-105 ハマニツク カモアミステテ
浜に着いた。ウツキネは鴨船と網を浜に残して
ユキイタル ソヲハデカミノ
ソオのハデスミの宮に行き着いた。その宮の
【ハデカミ】 「カミ」は敬称。ハデスミのこと。
25-107 ミツカキヤ ウテナカカヤク
瑞垣や高殿はたいそう立派だった。