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ハラミヤノ クニテルオツギ
「ハラ朝間宮のクニテルを後継ぎにして、
【クニテル】 ホノアカリムメヒトの第1子。
27-052 アマテラス ニギハヤヒキミ
アマテラスニギハヤヒ君とせよ」と告げられた。
27-053 モニイリテ シラニハムラノ
ニギハヤヒは喪に入って白庭村に
27-054 ミハカナス ノチニトクサノ
墓を造った。その後、十種宝を
27-055 ユヅリウケ トシメクルヒモ
譲り受け、毎年命日には
27-056 モニイリテ アスカノカミト
喪に服して、アスカホノアカリテルヒコをアスカの神として
27-057 マツルナリ サキニミコナク
祭った。亡くなったアスカホノアカリには皇子がなかった。
27-058 カクヤマガ アメミチヒメオ
アスカホノアカリはカグヤマの娘のアメミチ姫を
ヱヱナシテ アニタグリガコ
深く愛し、その兄のタグリの子の
【ヱヱナシテ】 13綾本文047に「ヱイニオレ」とあり、「ヱ」を愛すべきという意とした。ここでは「ヱヱ」とあるので「深く愛した」とする。
27-060 タクラマロ ナオコトナセド
タクラマロを自分の子にしたが
27-061 ハセヒメハ トミトニクミテ
ハセ姫はタクラマロを非常に憎んで
27-062 ステサシム キミマタイカリ
追い出してしまった。アスカホノアカリはまた怒って
27-063 ハセオスツ カグヤマヲキミ
ハセ姫を離縁した。アスカホノアカリは
27-064 ハハトメシ コハメセトコズ
タクラマロを母親と一緒に召したが、肝心のタクラマロは来なかった。
27-065 フトタマノ マゴミカシヤオ
ニギハヤヒはフトタマの孫のミカシヤを
27-066 ツマトシテ ウマシマチウム
妻にして、ウマシマチを儲けた。
ナガスネハ オモノトミナリ
ミカシヤの兄のナガスネヒコは大物臣になった。
【オモノトミ】 ニギハヤヒの家臣の物部の長のことではないか。
27-068 ミヤコニハ ギミムツマシク
ミヅホの宮ではホオデミとトヨタマ姫が仲睦まじく
ヤヲカフリ ツクシノソヤト
八緒の冠をかぶって政を行い、筑紫での十八年をはじめ
【ヤヲカフリ】 8本の緒が垂れている冠。28綾本文152に「ワレハカンムリ ヒトグサハ ミミチカキヲゾ」とあり、資料を見ると、儀式のとき歴代天皇のかぶる冠には緒が下がっている。
27-070 ヨソヰヨロ トシヘテヲサム
長い年月ずっと国を治めてきた。
27-071 アメヒツギ ユヅランタメニ
君の位を譲るためにホオデミは
ミコオメス スヘラヲミコハ
皇子ウガヤフキアワセズを呼んだ。皇子は
【スヘラヲミコ】 ここで「ミコ」が「スヘラヲミコ」と変化している。ホツマツタヱは長期にわたって伝えられてきたので、時代の移り変わりとともに使われる用語も変化している。
27-073 ヲニフヨリ ミツホニミユキ
ヲニフからミヅホの宮に行幸し、
27-074 マミヱスム トキニワカミヤ
君に会われた。そのとき、若宮のウガヤフキアワセズは
27-075 ナカニマス コヤネハヒタリ
真中におられ、アマノコヤネは左に
27-076 ミホヒコハ ミギニハヘレバ
ミホヒコは右に侍った。
27-077 アマキミハ ミハタノフミオ
ホオデミは御機の文を
27-078 ミテヅカラ ヲミコニユヅリ
自分の手で皇子に譲られた。
27-079 マキサキハ ヤタノカガミオ
正后は八咫の鏡を
27-080 ササケモチ カスガニサヅク
捧げ持ち、カスガに授けた。
27-081 オオスケハ ヤヱガキノタチ
オオスケ妃は八重垣の太刀を
27-082 ササケモチ コモリニアタフ
捧げ持って、コモリに与えた。
27-083 キミトトミ ツツシミウクル
君(ウガヤフキアワセズ)と二人の臣は慎んで受けた。
27-084 アマキミト キサキモロトモ
ホオデミと后たちは一緒に
27-085 シノミヤニ オリヰテココニ
シノ宮に遷られて後、そこで
27-086 カミトナル トキヨソフスス
ホオデミは崩御された。四十二スズ
ヤモヰソヱ キワトシネウト
八百五十枝、キアエ歴ネウトの
【キワトシ】 「キワ」は「際」か「極まる」か、キアヱ暦の最後の60番目の年のこと。
27-088 ハツキヨカ キミノモマツリ
八月四日のことであった。君の喪祀りの
27-089 ヨソヤスミ ミコトニマカセ
四十八日が済み、遺言に従って
27-090 オモムロハ イササワケミヤ
遺骸をイササワケ宮に納め、
27-091 ケヰノカミ ユエハヲキナニ
食飯の神として祭った。そのわけは、シホツツの翁の計らいで
ケヰオヱテ メクリヒラケル
食飯(米)を得ることができるように筑紫を巡り、田を拓き
【ケヰオヱテ】 「ケヰ」は多くは「弁当」のように訳されているが、25綾のウツキネ(ホオデミ)とシホツツの翁との出会いの場面には「弁当」の「ベ」の字も書かれていないし、そのような描写はない。25綾解釈ノート125【ミチヒノタマハ】に私の深読みとして書いた「ニニキネの跡を継いで新田を開拓できるように導いてほしい」という解釈がここにつながっているのである。
チオヱタリ カドデノケヰゾ
豊かな農地を得たことによる。それにより、旅立ちに持つ食糧は
【チオエタリ】 「チを得る」は「釣り針を得た」と「農地を得た」との二重の表現。
【カドデノケヰゾ カシハデハ】 米が量産されるようになって、米飯が弁当になったのだろうか。米飯と言っても乾飯(カレイイ)だろう。その前は何を持って旅をしたのだろうか。「カシワデ」は食膳か。柏の葉を「枚手(ヒラデ)」または、容器のようにして乾飯を入れ、潤かして食べたのだろうか。大変わかりにくい文で、前後のつながりからも明解な訳ができなかったが、前後の訳に合わせるとこのようになった。
27-094 カシハデハ ヒメハオモムロ
乾飯となった。トヨタマ姫の遺骸は
27-095 ミヅハミヤ ムカシナギサニ
ミヅハメの宮に祭られた。昔、海で溺れかけた時に
チカイシテ ミソロノタツノ
皇子を守ろうと心に誓って生き延び、ミソロ池の龍君のように
【ミソロノタツノ ミタマヱテ】 「ミソロ」は、ニニキネが灌漑のために掘らせた「ミソロ池」。それと、ニニキネがトヨタマ姫に諭した「龍君の3つの術」の話の龍が結びついて「ミソロノタツ」となったのではないか。「ミタマ」はニニキネの教えの中身で「3つの生きる術」。トヨタマ姫はニニキネの諭しで宮に上り、3つの生きる術を身に付けることができたのだった。
ミタマヱテ ナモアヰソロノ
三つの術を悟ったトヨタマ姫は、その名もアヰゾロの
【アヰソロノカミ】 「アヰ」の「ア」は宮、「ヰ」は居る、住まう。「ソロ」はミソロ池の龍とした。すなわち、「宮中に居られた、ミソロ池の龍のように三つの生きる術を身に付けた神」。
カミトナル タミヅオマモリ
神と言われた。田の水を守り
【タミヅオマモリ フネオウム キフネノカミ】 ミヅハメは水の神で、田に水を恵み、当時の重要な交通・運搬手段である船を発展させる神とされたのであろう。「貴船」は後世漢字が充てられたので、「木船」のような意味だったかも知れない。
27-099 フネオウム キフネノカミハ
船を造らしめたキフネの神は