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メノフソカ マツルオオミハ
十月二十日に大三輪の神(クシヒコ)を
【メノフソカ】 「10月」は24・28・31・36・37綾に「カンナツキ」または「カンナ」と書かれている。また「10月」を表す「メ」は、この後32・33綾に、また「メツキ」として32・33・34・37・38綾に出てきて、いずれも「10月」と訳した。「メツキ」を10月としたよりどころは、ミカサフミの「トシウチニナスコトノアヤ」に「ソノメフリ ヲカミシリゾク ハツシグレ ヤヤメモミチテ ナカコロハ ヲノカミツキテ カミナヅキ」とあることによる。「カミナヅキ」(10月)はヲノカミ(陽神)が退き、「メ」(陰)が満ちる月ということで、10月を「メ」の月とも言ったのであろう。
カンナミゾ カンヨリニナモ
三輪山で祭った。神に因んでタケヒトの称号を
【カンナミ】 神霊が鎮座する山や森で、ここでは三輪山。ここの洞でクシヒコは亡くなった。
【カンヨリニ】 大三輪の神クシヒコは23綾本文352でアマテルカミから「ヤマトヲヲコノミタマカミ」の誉め名を授けられている。この偉大な神に因んで「カンヤマト」と付けたのであろう。「イハワレヒコ」は本文234の「イワワレ」に因んだのであろう。
29-263 カンヤマト イハワレヒコノ
カンヤマトイハワレヒコの
29-264 アマギミト アマネクフレテ
天君とし、国中に触れた。
トシサナト カシハラミヤノ
サナト(辛酉)の年に即位し、その年を橿原宮の
【トシサナト】 カンヤマトイハワレヒコ(漢風諡号「神武」)は「辛酉の年の即位」と伝えられており、紀元前660年に即位したと言われている。ここでも「サナト」の年に即位したとあり、計算するとやはり「辛酉」の年になる。しかし、ホツマツタヱの記述から読み解くとそれは紀元前60年となる。「新説異説」の「ホツマツタヱから読み解く古代史年表」をご覧いただきたい。
ハツトシト ミヨカンタケノ
元年とした。カンヤマトイハワレヒコ・タケヒトの御世は
【カンタケ】 「カン」はカンヤマトイハワレヒコ、「タケ」はタケヒト。
29-267 オオヒナルカナ      
なんと素晴らしいことであろうか。