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32-158 ミヅホアツ タミカテフヱテ
稲穂がたわわに実った。民は食糧が増えて
32-159 ニキハエバ オホミケヌシノ
楽しく暮らしたのでオホミケヌシを
32-160 マツリヲミ ナツクソレヨリ
祭臣とした。それ以来
ヤマシロモ ツクシナオリモ
立ち直った山背も筑紫も
【ヤマシロモ ツクシナオリモ】 「ナオリ」は直り中臣が31綾で筑紫を、この綾で山背を建て直したことを指す。
32-162 イツモニモ イセハナヤマモ
出雲も伊勢も花山も
32-163 トシコトニ マツルカゼフゾ
毎年風生の祭りを行った。
32-164 ソヒヤヨヒ モチニマタウム
十一年三月望の日、后がまた産んだ
32-165 トトヒメハ トモニミユキヤ
トト姫が君と一緒に行幸した時、
32-166 ヘソギネガ ヤマトイケスニ
ヘソギネが大和川の生け簀で
32-167 ミアエナス メノイカシコメ
宴を開いた。その時、ヘソギネの娘のイカシコ姫が
32-168 カシハデニ メスウチキサキ
御膳のお相手をした。君はイカシコ姫をウチ妃にした。
32-169 コトシソヨ ソミホハツミカ
齢は十四歳であった。十三年一月三日に
32-170 イカシコメ ウムミコノナハ
イカシコ姫が産んだ皇子の名は
32-171 オシマコト イムナヒコフト
オシマコト、諱はヒコフトである。
32-172 ソヨフツキ ハニヤスメウム
十四年七月にハニヤス姫が産んだ
32-173 ハニヤスノ イムナタケハル
ハニヤスの諱はタケハルである。
32-174 コレカウチ アオカキカケガ
河内のアオカキカケの
32-175 メノオシモ ナルウチキサキ
娘のオシモのハニヤス姫はウチ妃になった。
32-176 フソフトシ ムツキソフカニ
二十二年一月十二日、
32-177 ヨツキナル フトヒヒノミコ
世継ぎ皇子になられたフトヒヒ皇子は
32-178 コトシソム ノチオシマコト
今年十六歳である。後にオシマコトと
32-179 オウチガト タカチメトウム
オウチの妹のタカチ姫との間に生まれたのは
32-180 ウマシウチ コレキウツガト
ウマシウチである。ウマシウチはキウツの妹の
32-181 ヤマトカゲ メトリウムコハ
ヤマトカゲ姫を娶り、生まれた子は
32-182 タケウチゾ ヰソナナガツキ
タケウチである。五十七年九月
32-183 フカマカル スメラキノトシ
二日、ヤマトクニクルアマツキミが崩御された。齢は
32-184 モモソナゾ ミコノモハイリ
百十七歳であった。皇子のワカヤマトネコヒコは喪に服し
32-185 イキマセル コトクミアエシ
君が生きているように食事を供えた。
32-186 ヨソヤスギ マツリゴトキキ
四十八夜が過ぎて、政を始めた。
31-187 ムトシノチ オモムロオサム
六年後に遺骸を
ツルギシマ ナツキスエヨカ
ツルギシマに葬った。九月二十四日、
【ツルギシマ】 橿原市石川に劔池嶋上陵(孝元天皇陵)がある。その辺りか。
32-189 メトモヤムナリ      
君に付いていた女官達は宮を去った。
32-190 トキアスス ヰモムソホフユ
アスス五百六十年冬、
メノソフカ カスガイサカワ
十月十二日、カスガのイサ川の
【カスガイサカワ】 奈良市本子守町にある率川神社が伝承地と言われている。
32-192 ニイミヤコ ミコトシヰソヒ
新しい都に遷った。その時皇子の齢は五十一歳であった。
32-193 ネノフソカ アマツヒツギオ
十一月十二日に君の御位を
32-194 ウケツギテ イムナフトヒヒ
受け継いで、諱フトヒヒ、
32-195 ワカヤマト ネコヒコアメノ
ワカヤマトネコヒコアメノ
32-196 スへラギト タミニオガマセ
スメラギになった。君は即位の正装の姿を民に拝謁させ、
32-197 ハハモアゲ ソフノキサキモ
母親を御上后とした。十二人の妃も
32-198 サキニアリ アクルキナヱオ
既に決まっていた。翌キナヱの年を
32-199 ハツノトシ ナトシハツソフ
元年とした。七年一月十二日に
イキシコメ タテテウチミヤ
イキシコ姫を后にした。
【イキシコメ】 ヘソギネの娘「イカシコ姫」はヤマトクニクルアマツキミのウチ妃となったが、皇子のワカヤマトネコヒコが后にしたとき「イキシコ姫」と名を変えたと思われる。
32-201 コレノサキ キミメストキニ
これ以前に、君がイカシコ姫を召そうとした時
32-202 オミケヌシ イサメモフサク
オホミケヌシが君を諌めて申し上げた。
32-203 キミキクヤ シラウドコクミ
「君はお聞ききになったことがありませんか。シラヒトとコクミが
32-204 ハハオカス ガナイマニアリ
母と交わった汚名は今も消えていません。
32-205 キミマネテ ガナオカフルヤ
君も同じことをして汚名を被ろうとするのですか」。
ウツシコヲ コタエメイナリ
ウツシコヲが横から口出しして「イカシコ姫はウツシコ姫の姪だ。
【ウツシコヲ】 先代旧事本紀に、ヘソギネはウツシコヲの弟とある。ネコヒコがイカシコ姫を后にしようとしたとき、伯父のウツシコヲが強引に話を推し進めようとして、オオミケヌシに「諌める立場だ」と言われた。
32-207 ハハナラズ イワクイセニハ
ネコヒコ君の母親ではない」と言うので、オオミケヌシは「伊勢の教えには、
メトツギテ ウミノヲヤナシ
女は嫁ぐと、生みの親はいないとある。
【メトツギテ ウミノヲヤナシ】 結婚すると親との血筋の関係、すなわち叔母と姪という関係より夫婦の関係の方が重視されるということか。
32-209 ムカシオバ メイイマハツヅ
以前はウツシコ姫とイカシコ姫は叔母と姪の間だった。姪は今一九歳で
32-210 ウムコアリ ツラナルヱダノ
ウツシコ姫と同じ君の妃で皇子もいる。その皇子はネコヒコ君と父を同じくする
32-211 オシマコト ハハハタガヒゾ
オシマコトである。母親が違っていても兄弟なのである」。