先頭の番号が青い行は、クリックすると解釈ノートが見られます。
対訳ページの使い方の詳細はこちらのページをご覧ください。
32-212 マタコタエ アニツキヒトツ
またウツシコヲは反論して「伊勢の道では、天には月は一つしかない。
ハハハツキ シモメハホシヨ
母は月だ。するとシモメは星ではないか。
【シモメハホシヨ】 この場合の「シモメ」は后以外の妃たち。
32-214 コレオメス ナゲキテイワク
これを召すだけだ」。オオミケヌシは嘆いて言った。
32-215 ヲヲンカミ アメノミチナス
「アマテルカミは天下を治める道理を教えられた。
32-216 ヨヨノキミ ツギウケオサム
代々の君はその教えを継いで国を治め、
32-217 アメヒツギ ナンヂガマツリ
君の位を受け継ぐのだ。汝ウツシコヲが
32-218 イサメズテ オモネリキミオ
諌めずにおもねり、君を
アナニスル ココロキタナシ
過たすのか。汝は心が穢れている。
【アナニスル】 「アナ」は欠けた所やその状態。即ち欠陥を持った状態にすることと解釈した。
キミイカン ワガミヲヤカミ
君はいかが思われますか。このままでは、我が御親神が
【ワガミヲヤカミ】 ヲコノミタマノカミ。オオミケヌシの祖、クシヒコ。23綾本文341に、クシヒコが、アマテルカミの末々まで守ることを自分の天命とすると誓い、ヤマトヲヲコノミタマカミの誉め名を賜わった。23綾本文381でスヘラギを守ることが天命だと言って洞に入って亡くなっている。この時の表記が「ヲコノミタマノカミ」。
32-221 ハナレンヤ ケガレハマズト
見放すことでしょう。一緒に穢れることは断ります」と
32-222 イイオハリ カエレトキミハ
言い捨てて帰ってしまったが、君は
32-223 コレキカズ ミケヌシヲヤコ
耳を貸さなかった。オオミケヌシ親子は
32-224 ツグミイル シハスソミカニ
蟄居した。十二月十三日に
32-225 ユギリノメ タケノヒメウム
ユギリの娘のタケノ姫が産んだ
32-226 ユムズミノ イミナコモヅミ
ユムズミの諱はコモズミである。
32-227 ヤホヤヨヒ カスガオケツメ
八年三月にカスガオケツ姫
32-228 スケガウム イムナアリスミ
スケ妃が産んだ皇子の諱はアリスミ、
32-229 ヒコヰマス ソホサノソフカ
ヒコヰマスである。十年五月十二日、
32-230 ウチミヤノ ウムミコミマキ
后が産んだ皇子はミマキ
32-231 イリヒコノ イムナヰソニヱ
イリヒコ、諱ヰソニヱである。
32-232 ミナツキノ ソフカヘソキネ
六月十二日にヘソキネが
ナルオトト ネニウツシコヲ
オトトになり、十一月にウツシコヲが
【オトト】 36綾本文066に「ケクニノオトト」と出てくることから、ここも「ケクニオミ」が「ケクニノオトト」と呼ばれ、それが音数の関係で「オトト」と書かれたのであろう。
32-234 イワヒヌシ ソミムツキヰカ
祝い主になった。十三年一月五日に
32-235 キサキマタ ウムミマツヒメ
后がまたミマツ姫を産んだ。
32-236 メスウチメ カツキタルミガ
ウチ妃に召したカツキタルミの娘の
32-237 タカヒメガ サノモチニウム
タカ姫が五月十五日に産んだ皇子は
32-238 ハツラワケ イムナタケトヨ
ハツラワケ、諱タケトヨである。
32-239 フソヤトシ ムツキノヰカニ
二十八年一月五日に
32-240 ヨツキタツ ヰソニヱノミコ
世継ぎ皇子になったヰソニヱ皇子は
32-241 コトシソコ ムソトシノナツ
今年十九歳である。六十年夏、
32-242 ウヅキコカ キミマカルトシ
四月九日に君ワカヤマトネコヒコアメノスヘラギが崩御した。齢は
32-243 モモソヒゾ ミコノモハイリ
百十一歳であった。皇子は喪に服し
32-244 ヨソヤノチ マツリコトキキ
四十八夜後に、政を執って
32-245 トミトトメ イマスノミアエ
元の臣を留めて、君に生前と同じように食事を供えさせた。
32-246 メツキミカ オモムロオサム
十月三日に遺骸を
イササカゾコレ      
イササカに葬った。
【イササカ】 奈良市油阪町に春日率川坂上陵(開化天皇陵)がある。率川(イザカワ)と「イササカ」と違いがあるが、ここか。