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オホカメオ ツケバナルイシ
大亀を突くと、それは石に変わった。
【オホカメオ ツケバナルイシ】 宇治川の平等院の対岸の方に亀石があるが、現在は川の中である。亀が石になることはないので、亀のような形の石を見て縁起を担いだのか、実際にはどんなことなのかは分からない。
37-111 コレシルシ ウヂノカメイシ
「これは善い兆しだ」と言って、その石を宇治の亀石と名付けた。
37-112 カエルノチ サラズガムスメ
帰ってからサラズの娘、
37-113 ヨビノホセ カマハダトベオ
カマハダトヘ姫を宮に上らせて
37-114 キサキトシ イワツクワケノ
妃とした。妃はイワツクワケ
37-115 ミコオウム イムナトリヒコ
皇子を産んだ。諱はトリヒコである。
37-116 フチガメノ カリハタトベモ
ヤマシロフチの娘のカリハタトヘ姫も
37-117 ミヲヤワケ ヰイシタリヒコ
ミヲヤワケとヰイシタリヒコと
37-118 ヰタケワケ ミタリウムナリ
ヰタケワケの三人を産んだ。
37-119 ミソヰホノ ナヅキヰソキネ
三十五年の九月にヰソキネは
タカイシト チヌノイケホル
タカイシとチヌに池を掘り、
【タカイシト チヌノイケホル】 高石市の辺りにあったと思われるが、次のサキとアトミの池も含めて灌漑用の池で、現在の地図を見ると埋め立てなどがあったと思われ、場所ははっきりしない。
37-121 メヅキホル サキトアトミト
十月にはサキとアトミに池を掘った。
37-122 モロクニニ ヤモノイケミゾ
諸国にたくさんの池や水路を
37-123 ツクラシム ナリワヒフエテ
造らせた。収穫が増えて
37-124 タミトメル ミソナホハツヒ
民は豊かになった。三十七年一月一日、
37-125 ヲミエタツ タリヒコハソヤ
ヲミエにタリヒコは十八歳で
37-126 ヨツギミコ ミソコホメヅキ
世継ぎ皇子になった。三十九年十月、
37-127 ヰソギネハ ウチミデツクル
ヰソギネは打ち鍛えた
チツルギオ アカハダカトモ
千本の剣を「赤裸トモ」と
【アカハダカトモ】 「アカハダカ」は赤裸と読み、サヤに納めてない抜身の刀を言う。「トモ」は「部、伴」と読み、千本の剣にも位を付けたのではないか。
ナオツケテ オシサカニオク
名付けて忍坂に納めた。
【オシサカニオク】 奈良県桜井市に忍坂(現在は「オサカ」)という地名が残っているが、そのどこに納めたのかは不明。
37-130 コノトキニ シトリベタテベ
その際君は、シトリ部、タテ部、
37-131 オホアナシ ユミヤハツカシ
オホアナシ部、ユミヤ部、ハツカシ部、
37-132 タマベカミ アマノオサカベ
タマ部、アマノオサカ部、
37-133 チノヘキベ タチハカセベノ
チノ部、キ部、タチハカセ部の
トシナヘオ アワセタマワル
十種の部をヰソギネに賜った。
【トシナヘオ アワセタマワル】 「ヘ(ベ・部)」は広辞苑によると「大和政権下における人民支配の一方式。人民を居住地や職業によって新たな集団に編成して支配し、これを部と呼んだ」とある。10種の部の詳細は不明だが、職能集団のように思われる。天皇はその支配権をヰソギネに譲ったのであろう。10種の部の読み方についても、日本書紀では「ユミヤ部」を神弓削部と神矢作部の二つの部とし、「チノベ」と「キベ」を「日置部」の一つにしている。別の区切り方で読んでいる研究者もいる。正しい読み方とその内容の分かる資料が出てくることを願っている。
37-135 ニシキミコ チツルギウツス
ニシキ皇子は千本の剣を
イソノカミ カミガカスガノ
石上の社に遷した。神がカスガの末の
【イソノカミ】 奈良県天理市に石上神社がある。
【カミガカスガノ イチカワニ ツゲオサメシム】 カスガに告げたのは石上の社の者か、イチカワの夢または願いのようなものか。
37-137 イチカワニ ツゲオサメシム
イチカワに告げて、千本の剣を納めさせたのである。
37-138 ニシキミコ ツカサトナセル
ニシキ皇子(ヰソギネ)はイチカワを石上の社の司とした。
37-139 ムソヨトシ サミダレヨソカ
六十四年、五月雨が四十日も
37-140 フリツヅキ イナダミモチニ
降り続いて、田の稲はいもち病にかかり、
37-141 イタミカル キミニモフセバ
傷んで枯れそうになった。君に申し上げると、
37-142 ミヅカラニ カセフノマツリ
君自ら風生の祭りを
37-143 ナシマセバ ヤハリワカヤギ
行われ、再び稲は活き返り、
37-144 ミヅホナル カエリモフデノ
稲穂が実った。神へのお礼の
37-145 ホヅミオモ ミヅカラマツリ
穂積祭りも君自ら
37-146 タマフユエ クニユタカナリ
されたので、国は豊かになった。
37-147 ヤソナホノ キサラギヰカニ
八十七年二月五日に
37-148 ニシキミコ イモトニイワク
ニシキ皇子が妹に言った。
37-149 ワレヲイヌ ミタカラモレヨ
「我はもう歳だから御宝を守って欲しい」。
37-150 ヲナカヒメ イナミテイワク
妹のヲナカ姫は断った。
タオヤメノ ホコラタカクテ
「手弱女の私には荷が重すぎます」。
【ホコラタカクテ】 日本書紀では「宝を納めてある祠が高くてできない」という記述だが、私は「タカクテ」を責任が重いと解釈した。
37-152 マタイワク タカケレバコソ
それでもニシキ皇子は「荷が重いというのなら
37-153 ワカツクル カミノホコラモ
我が作った神の祠を守るのも
カケハシノ ママトウタエバ
夫を迎えればできるではないか」と詠ったので
【カケハシノママ】 解釈の分かれるところである。「カケハシ」を梯子と訳すと、「梯子があるから大丈夫だ」となるが、にもかかわらずヲナカ姫は兄の願いを無視してトチネという男に任せてしまうことになる。私は、「カケハシ」は「双方の関係を取り持つ人」(大辞林)ということで、結婚することと解釈し、ニシキ皇子は妹に夫を迎えさせ、役を譲るが、実質は夫に任せようとしたのではないかと考える。
37-155 ヲナカヒメ モノヘトチネニ
ヲナカ姫は結婚し、夫の物部トチネに
37-156 マタサヅク タニハミカソガ
役を任せた。タニハミカソの
37-157 イエノイヌ ナハアシユキガ
家の犬のアシユキが
37-158 クイコロス ムジナノハラニ
食い殺した狢の腹の中に
37-159 ヤサカニノ タマアリオサム
ヤサカニの玉が入っていたので
37-160 イソノカミ ヤソヤフミソカ
石上の社に納めた。八十八年七月十日、
37-161 ミコトノリ ワレキクムカシ
君が「吾が聞くところによると、昔