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37-162 シラギミコ ヒボコガツトノ
新羅皇子のヒボコが持ってきた土産の
37-163 タカラモノ タジマニアルオ
宝物が但馬にあるというが、
37-164 イマミント ヒボコガヒマゴ
一度見たいものだ」と言われたので、ヒボコの曾孫の
37-165 キヨヒコニ サオシカヤレバ
キヨヒコに勅使を遣わすと、キヨヒコは
37-166 タテマツル ハボソアシタカ
葉細玉、足高玉
37-167 ウカガタマ イヅシコカタナ
ウカガ玉、出石小刀、
37-168 イヅシホコ ヒカガミクマノ
出石矛、日鏡、熊の
37-169 ヒモロゲズ イデアサノタチ
ヒモロゲズ、出浅の太刀の
37-170 ヤツノウチ イヅシコカタナ
八種の内の出石小刀だけは
37-171 ノコシオキ ソデニカクシテ
手元に残して差し出し、出石小刀は袖に隠し持って
37-172 ハキイツル スメラギコレオ
宮に上った。君はこのことに
37-173 シロサズテ ミキタマハレバ
気づかれず、酒を勧められた。
37-174 ノムトキニ ハダヨリオチテ
酒を飲む時、隠していた出石小刀が抜け落ちて
37-175 アラワルル キミミテイワク
見つかってしまった。君はそれを見て聞かれた。
37-176 ソレナンゾ ココニキヨヒコ
「それは何だ」。ここに至ってキヨヒコは
37-177 カクシヱズ ササクタカラノ
隠しきれず「差し上げようと持ってきた宝の
37-178 タグイナリ キミマタイワク
一つです」と言うと、君はまた聞かれた。
37-179 ソノタカラ アニハナレサル
「その宝はどうしても汝から離れることができない
37-180 タグヒカト ヨツテササゲテ
物なのか」。キヨヒコは仕方ないので君に差し上げて
37-181 オサメオク ノチニヒラケバ
宝物殿に納めた。後で宝物殿の扉を開くと
37-182 コレウセヌ キヨヒコメシテ
出石の小刀がなくなっていた。君がキヨヒコを呼んで
37-183 モシユクヤ コタエモフサク
「もしや出石小刀は汝の所に行ったのではないか」と話すと、キヨヒコは
37-184 サキノクレ コタチミヅカラ
「あの夜、小刀は自分から
37-185 キタレドモ ソノアスノヒニ
やってきましたが、次の朝には
37-186 マタウセヌ キミカシコミテ
また消えていました」と答えた。君は恐ろしくなって
マタトワズ オノヅトイタル
それ以上聞かなかった。出石小刀はいつの間にか
【オノヅトイタル アハジシマ】 35綾本文041で、ヒボコは君より淡路や但馬に住むことを許されている。淡路島の洲本市に「出石神社」があるということは、キヨヒコは誰かに出石小刀を取り返させ、見つからないように、ヒボコ一族のいる淡路島に隠させたのではないか。兵庫県豊岡市にも「出石神社」があり、この言い伝えが残っているのは、はじめこれらの宝物は但馬にあったからで、そこにもヒボコ一族はいたのである。
37-188 アハヂシマ カミトマツリテ
淡路島に行っていた。そこで人々は神として祭り
37-189 ヤシロタツ コソホキサハヒ
社を建てた。九十年二月一日、
37-190 ミコトノリ カグオモトメニ
詔があった。「香久の木を探しに、
37-191 タジマモリ トコヨニユケヨ
タジマモリよ、常世(ヒタカミ)に行ってくれ。
ワガオモフ クニトコタチノ
吾が思うには、香久の木は国常立が国を建てられた
【クニトコタチノ ミヨノハナ】 2綾本文084~089で、クニトコタチが国を創ったとき橘の木(香久の木)を植えた。代々の為政者にとって、橘の木は理想の国を創る象徴として重要な物であった。
37-193 ミヨノハナ コソコホサシヱ
御世の大切な花なのだ」。九十九年サシヱ
37-194 アフミハヒ キミマカルトシ
七月一日にイクメイリヒコ君が崩御された。御齢は
37-195 モモミソナ ミコノモハイリ
百三十七歳であった。皇子は喪に
37-196 ヨソヤヨル ハニタテモノシ
四十八夜服し、埴輪を立てて供えた。
シハスソカ スガラフシミニ
十二月十日、菅原伏見に
【スガラフシミ】 奈良県奈良市尼辻西町に、垂仁天皇陵、菅原伏見東陵がある。
37-198 ミオクリノ タビモカカヤク
葬送する時は、松明も赤々と輝き
37-199 カミノミユキゾ      
厳かな神の行幸であった。
37-200 アクルハル ヤヨイニカエル
翌春三月に帰ってきた
37-201 タシマモリ トキジクカグツ
タジマモリがトキジク香久の実を
37-202 フソヨカゴ カグノキヨサホ
二十四駕篭と香久の木を四本、
37-203 カブヨサホ モチキタルマニ
株を四本持って、帰ってくる間に
37-204 キミマカル ミヤゲナカバオ
君は崩御されたのだった。タジマモリは持ちかえった香久の木の半分を
37-205 ワカミヤエ ナカバオキミノ
若宮に差し上げ、半分を君の
37-206 ミサザキニ ササゲモフサク
御陵に捧げて、君の御魂に申し上げた。
37-207 コレヱント ハルカニユキシ
「この香久の木を求めて、遥か彼方に尋ねた
37-208 トコヨトハ カミノカクレノ
常世の国とは、神がひっそりとおられるような
37-209 オヨビナキ フリオナシムノ
他に類のない所で、その習慣を身に付けるまで
37-210 トトセブリ アニオモイキヤ
十年ほどかかりました。心配したほどのこともなく
37-211 シノギヱテ サラカエルトハ
耐えることができ、再びここに帰ることができたのは
37-212 スメラギノ クシヒニヨリテ
君の大きな御心に支えられていたからです
37-213 カエルイマ スデニサリマス
帰ってきた今、君は既にお亡くなりになっていました。
37-214 トミイキテ ナニカセントテ
我は生き永らえて何をすることがあるでしょうか」と
37-215 オヒマカル モロモナンダデ
君の後を追い自ら命を絶った。諸臣も涙ながら
37-216 カグヨモト トノマエニウヱ
香久の木を四本、若宮の殿の前に植え、
37-217 カブヨモト スガハラニウユ
株を四本菅原の御陵に植えた。
37-218 ノコシフミ ミコミタマヒテ
タジマモリの遺書をオシロワケ皇子が読まれて、