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09-143 ナシテウム アニハクシヒコ
した。生まれた子の名前は、兄はクシヒコ、
09-144 メハタカコ オトハステシノ
妹はタカコ、弟はステシノ
タカヒコネ クシキネアワノ
タカヒコネである。クシキネがアワの
【アワノササザキ】 「アワ」は近江、「ササザキ」は近江八幡市の沙紗貴神社付近と言われているが、現在では琵琶湖畔よりかなり離れている。
ササザキデ カカミノフネニ
ササザキにいたとき、鏡を掲げた船に
【カカミノフネ】 「カカミ」は鏡ともガガイモの古名ともいわれる。日本書紀では「カガミの皮を舟に作り」とあり、ガガイモの実を二つに割った小さな船と解釈されている。そのような物に人が乗れるわけがないので、ガガイモの蔓を編んで作った船とも考えられるが、6代目タカミムスビであるヤソキネの御子が乗ってきた船であるので、鏡を掲げた貴人の乗った船としたい。
09-147 ノリクルオ トエドコタエス
乗ってきた者を見つけ、あれは誰かと聞いたが誰も分からなかった。
クヱヒコガ カンミムスビノ
クエヒコが「カンミムスビ(六代目タカミムスビ)の
【クエヒコ】 案山子と言われている。クシキネの配下で、田畑の見張りをする者のこととも考えられるが、そのような者がクシキネも知らない人物を知っているだろうか。「クエ」の意味として見つけられるのは「柵」と「魚のクエ」くらいで、「柵」の概念で考えれば領地の警備をする者で、外部の情報をいち早く知り得る立場ではある。「魚のクエ」の概念で考えれば、港で警備したり情報を集めたりする者とも考えられる。
チヰモコノ ヲシヱノユビオ
たくさんいる御子の中で、教えの向きに
【ヲシヱノユビオ モレオツル】 指から漏れ落ち、名前に「スクナ」とついているから小人と言われているが、「教えの指」に注目すると、教えの向きに合わなかったと解釈できる。
09-150 モレオツル スクナヒコナハ
合わず修行に出たスクナヒコナは
09-151 コレトイフ クシキネアツク
この方です」と言った。クシキネはスクナヒコナを厚く
09-152 メクムノチ トモニツトメテ
待遇し、その後一緒に働いて
09-153 ウツシクニ ヤメルオイヤシ
あちこちの国を巡り、病気の人を治し、
09-154 トリケモノ ホヲムシハラヒ
鳥や獣の害を防ぎ、イナゴを追い払い
フユオナス スクナヒコナハ
民の暮らしを豊かにさせた。その後スクナヒコナは
【フユオナス】 「フユ」を「増ゆ」と読んでも訳せるが、「みたまのふゆ」(神や天皇から授かるめぐみ深いたまもの)の「ふゆ」と考えられる。
アワシマノ カダガキナラヒ
イサナギ尊の創ったカダガキを習い
【アワシマノ カダガキナラヒ】 「アワシマノカダガキ」はアワシマに祭られているイサナギ尊の創ったカダガキ。
ヒナマツリ ヲシヱテイタル
ヒナマツリについて教えながら
【ヒナマツリ】 婚姻の習慣。2綾本文026以降に詳しく書かれている。
09-158 カタノウラ アワシマカミゾ
カダの浦に来た。そこで亡くなりアワシマカミと呼ばれた。
09-159 オホナムチ ヒトリメクリテ
オホナムチが一人で各地を巡り
09-160 タミノカテ ケシシユルセハ
民の食料として、獣の肉を食べることを許したところ
09-161 コヱツノリ ミナハヤカレヤ
民は大変太って、多くの民が早死にしてしまった。
09-162 ソハホムシ クシキネハセテ
稲には穂虫が発生したので、クシキネは急いで駆け付けて
09-163 コレオトフ シタテルヒメノ
シタテル姫(ワカ姫)に退治の仕方を聞いた。シタテル姫の
09-164 ヲシエクサ ナライカエリテ
教えてくれた方法を習って帰り、
09-165 ヲシクサニ アフゲバホヲノ
オシクサで扇げば稲穂を食い荒らす
ムシサリテ ヤハリハカヤギ
穂虫が去り、再び生き生きとし、
【ハカヤギ】 「ワカヤギ」とあるべきところだが、和仁估本のホツマ文字は「ハ」と読める。他の写本はすべて「ワ」となっている。
09-167 ミノルユエ ムスメタカコオ
稲が実ったので、自分の娘のタカコ姫を
09-168 タテマツル アマクニタマノ
シタテル姫に仕えさせた。アマクニタマの娘の
09-169 オクラヒメ コレモササケテ
オグラ姫も宮に上げて
09-170 ツカエシム シタテルヒメハ
仕えさせた。シタテル姫は
09-171 フタアオメ メシテタノシム
二人の若い娘をそばに仕えさせ、
09-172 ヤクモウチ オホナムチニハ
琴の八雲打ちを楽しんだ。アマテルカミはオホナムチに
09-173 クシヒコオ オオモノヌシノ
息子のクシヒコを大物主の
09-174 カワリトテ コトシロヌシト
代理の事代主として
09-175 ツカヱシメ オノハイツモニ
仕えさせた。オホナムチ自身は出雲で
ヲシユルニ ヒフミムモヤソ
農業を教え、数えると六百八十
【ヒフミムモヤソ フタワラ】 「ヒフミ」は一、二、三だが、「ひふみよ…」と数えることをあらわしているのではないか。
09-177 フタワラノ ヒモロゲカゾエ
二俵分の米が収穫できた。
タネフクロ ツチハツチカフ
種籾と農地は
【タネフクロ】 食べるための米は俵に入れているので、「タネフクロ」は種籾を入れた袋と考える。
09-179 ヲンタカラ ウヱタスカテモ
民を育み、飢饉の時に助ける食糧も
09-180 クラニミツ アメカセヒテリ
倉に満ちている。長雨や台風や日照りで
ミノラネト アタタラクバリ
稲が実らない時でも、非常時の米を配って
【アタタラ】 前後の文脈で考えると、「アタ」は「徒」と読み、稲が実を結ばないこと。「タラ」は足らすこと。不足を補うこと。すなわち凶作の時に配る米。
09-182 ウヱサセズ ノチニワカヒメ
民を飢えさせなかった。その後、ワカ姫(シタテル姫)が
09-183 ヒタルトキ ヤクモヰススキ
亡くなる時、八雲(六弦)とヰススキ(五弦)と
09-184 カダカキオ ユツルコトノネ
カダカキ(三弦)の琴を譲って奏法を伝授し、
09-185 タカヒメオ タカテルトナシ
タカ姫にタカテル姫という名を授けた。
09-186 ワカウタノ クモクシフミハ
ワカ歌の奥義を伝える「雲櫛文」を
09-187 オクラヒメ サツケテナオモ
オグラ姫に授けて、名も
09-188 シタテルト ナシテワカクニ
シタテル姫とした。全て為し終え亡くなったワカ姫はワカ国の
タマツシマ トシノリカミト
玉津島のトシノリ神として
【トシノリカミト タタヱマス】 「トシノリ神」は①キツヲサネ(人の精神面を守る神)とアミヤシナウ(人の内臓や食糧を守る神)、②キツヲサネとアミヤシナウとヱトの組み合わせで暦(キアヱ暦)を構成する神(22綾参照)。1綾で、ワカ姫がトシノリ神と讃えられたのは、「イナムシハラウワカノマジナイ」をして害虫を払って稲の稔りをよくしたことにより、この綾では、クシキネにその方法を教え、稲の害虫を払って食糧を守ったことによる。
09-190 タタヱマス イツモヤヱガキ
称えられた。出雲の八重垣の臣