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【カシマダチ】
広辞苑では「鹿島・香取の二神が、天孫降臨に先立ち葦原中つ国を平定した吉例に基づくとも、また、辺防の軍旅に赴く武人・防人が、鹿島神宮の前立、阿須波神に途上の安全を祈ったことにもとづくとも。門出。出立。」となっている。本綾ではカ(右)の臣オホナムチの奢りを「シマ」(引き締める・とがめる)り、「タチ」断つ(解任する)こと。この任務で、カトリカミとカシマカミが出立した。その出立の部分が現在の使われ方になったのであろう。
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二十五スズ九十三枝の年、
【カグヱシボミテ】
アマテルカミが、宮の南の殿に橘(香久の木)を植えて香久の宮とし、東の殿に桜を植え大内宮とした。橘の枝が萎れると、国の中で政が乱れてきている、桜が萎れるとイセの道が乱れているという印とした。桜が萎れることについては、24綾本文231のアシツ姫の言葉にある。
【シチリハヤモリ】
フトマニで「シチリ」と出て、それは「ヤモリ」(家漏り、すなわち政に不安要素がある)ということ。フトマニに「『シチリ』シノチリノソシリモ ウソトオモヒクサ モノヌシカラデ モノヤチルラン」とある。フトマニは読み方によって吉とも凶とも取れる内容と言われているが、私は次のような読み方をしてみた。「シ」(風の古語)の塵の謗りも 嘘と思い草 物主狩(枯)らで 者や散るらん」(風に吹かれる塵のように非難の声が満ちているのに、それを嘘と思っている物主(オホナムチ)は成敗しないと 国が破たんすることになるだろう)。
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激しくなって危険だ」と出たので、西北の隅の国(出雲)の
【ヨコベ】
本来は機織りの用語。ツウジは経糸、ヨコベは緯糸。ここでは役職名で、ツウジは国造。(23綾本文191参照)宮につながる役職。ヨコベはその下で働く今でいう警察官や刑事。
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報告した。「出雲の八重垣の臣の
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オホナムチ命が、月が満ちれば自ずと欠ける
【ヌカオタマカキ】
「ヌカ」は額。ここでは宮の額に当たるところ、すなわち宮の正面と解釈した。宮の正面を宮中に匹敵する立派な玉垣で囲ったのであろうか。
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自分の宮を『内宮』と言っています。これは自分の宮を宮中と
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同じように考えているということです」。先に、ヲシホミミの養育をしていた
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オモイカネが信濃の伊那の洞に入って
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アチノ神となった。そこで、七代目タカミムスビとなる
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大嘗事を済ませたタカギネが、ヤスの
【タガワカミヤノ カフノトノ】
「タガワカミヤ」はイサナギ尊。「カフノトノ」はイサナギが政を執った宮殿。「カフ」は後に律令制下、諸国におかれた「国府」となったものであろう。
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カフの殿でタカミムスビが
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諸臣を集めて会議を開いた。「出雲のオホナムチを糾すのは
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誰がよいか」と言うと「ホヒ尊がよい」と
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皆が言ったので、ホヒを
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使者として差し向けた。しかし、ホヒは
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国守のオホナムチにへつらい媚びて
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三年たっても報告してこなかった。
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そこで、ホヒの息子のオオセイイミクマノを差し向けたが
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ミクマノも父親の言うなりになって帰って来なかった。また
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会議を開いて、遣わす人は
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アマクニタマの息子のアメワカヒコと
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決定し、タカミムスビが
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カコ弓とハハ矢を授けて
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差し向けた。このアメワカヒコもまた
【タカテルヒメ】
オホナムチの娘。
【アシハラクニオ ノラントテ】
「ノラン」は「宣らん」か。アメワカヒコが出雲のオホナムチの娘と結婚してオホナムチの後を継ぎ、アシハラ国の国守であることを宣言しようとしたと解釈した。
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治めようとして、八年過ぎても
【ナナシノキギス】
名もない使者。それまでの3人はそれぞれ名の通った臣だったが、うまくいかなかったので、そういう立場でない者を使者に出した。
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アメワカヒコに訳を聞きに行かせた。アメワカヒコの
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屋敷の門の前で使者が桂の木に登り、
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アメワカヒコの様子を見て、情けないと
【サクメ】
語義不詳。岩波文庫版日本書紀に「天探女(アマノサグメ)」を「室町時代の末期の日葡辞書にアマノザコ「さしでがましいもの。干渉好きの人。おしゃべり屋」とあるのは、書紀のこの条にも適合し、古い意味を伝えているらしく思われる」とあるが、ここではふさわしく思えない。たまたま見つけたのか、そういう役割があったのかも分からないので、この屋敷で働いている女として「下女」とした。
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「名もない身の分際で、天の身の我を咎めるのか」と
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アメワカヒコがハハ矢を射ると、
【トビテタカミノ マエニオチ】
アメワカヒコが使者の胸を射た矢が貫通して、タカミムスビの前に落ちた、とも訳せるが、それはあり得ない。タカミムスビの前に落ちたのは、やっと帰り着いた使者。
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元に帰って来たが、何も言えずに力尽きてしまった。
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刺さっていた血糊の着いたハハ矢をタカミムスビが
【トガムカエシヤ】
近江から出雲に「返し矢」は届かない。仕返しの刺客に矢を射させたのであろう。
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アメワカヒコは矢が胸に当たって
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死んでしまった。これが、返し矢が恐ろしいという
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謂れのもとである。タカテル姫の
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嘆き悲しんでいる様子は都にまで伝わった。