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アワウワノ トフルミチビキ
すべての者に心を配る導きが
【アワウワノ トフルミチビキ】 「アワウワ」は1綾本文003に、ワカ姫が育つ様子の中で「ツマノチオエテ アワウワヤ」と出てくるが、状況がまったく異なるので同じ意味の言葉ではないと考える。ここでは「アウワ」の音数を整えるために「ワ」が加えられたのではないか。「アウワ」はフトマニ図にある天の神、ミヲヤカミ、地の神を指すが、ここでは「全ての人々」の意と解釈した。
10-139 サカンナリ マタミカツチハ
見事であった。また、タケミカツチは
10-140 カシマタチ イツオアラハス
出雲の平定において、まことに威厳があった。
モノノベノ ナンタヤワラニ
出雲の物部達を、情けを以て
【ナンタヤワラニ】 「ナンタ」は涙。「ヤワラニ」は柔らげる、服従させる。
モドスヨリ タマフカンヘハ
服従させたその功により、カンベの
【タマフカンヘハ】 「カンヘ」は「神部」と読んでよいと思うが、ここでは「称号、誉め名」という意味であろう。
10-143 カシマカミ トキニマツラフ
『カシマカミ』の名を授けよう」。一方、服従した
10-144 オホナムチ モモヤソカミオ
オホナムチも百八十人の一族郎党を
10-145 ヒキヰキテ マメモヒカゲノ
連れてきて忠誠を尽くしており、これまでの出雲での善政にも
10-146 ナンダアリ タカミムスビノ
同情に値するものがあるとタカミムスビが
10-147 タタシヱタ コトワリアレバ
評価し、オホナムチにもそれなりの理があると認め、
ミコトノリ タマフアソベノ
詔をして、アソベの
【アソベノ アカルミヤ】 岩木山神社の祭神がオホナムチであることからも、岩木山の麓にあった宮と思われる。
アカルミヤ アフユオウクル
アカル宮を賜った。タカミムスビに領地を与えられた
【アフユ】 「ア」は天。ここではタカミムスビのこと。「フユ」は9綾解釈ノート155でふれた「神や天皇から授かるめぐみ深いたまもの」の意。「アフユ」はタカミムスビより与えられためぐみ深いたまものである領地。
10-150 オホナムチ アカルアソヘノ
オホナムチはアカルアソベの
ウモトミヤ ツクルチヒロノ
ウモト宮を造り、長い
【ウモトミヤ】 「ウ」は大きい。「モト」は「本」とか「元」というような意味と考えると、「大きな本宮」というような宮と考える。
カケハシヤ モモヤソヌヰノ
懸け橋でつなげた多くの建物を建てた。
【モモヤソヌヰノ シラタテニ】 「モモヤソ」は180。「ヌイ」縫う、貫く、のような意味で、たくさん連なっていることであろう。180人の人々がひとまとまりとなれるような新しい建物が数多くたてられ、それらが起伏のある土地での通路の役割を持つ懸け橋で結ばれていたのではないだろうか。「シラタテ」は次の文と二重に使われている。
シラタテニ ウツシクニタマ
その新しい宮でウツシクニタマ
【ウツシクニタマ】 オホナムチは出雲からツカルに国替えさせられたので「ウツシクニタマ」と言われた。
10-154 オホナムチ ツカルウモトノ
オホナムチは亡くなり、ツカルウモトの
カミトナル ホヒノミコトオ
神となった。ホヒ尊を
【ホヒノミコトオ モトマツリ】 ホヒ尊はアマテルカミの皇子。オホナムチの御魂を出雲で祭った。
10-156 モトマツリ タカミムスビノ
出雲の杵築神社の祭主とし、オホナムチを祭らせた。(後に)タカミムスビが
10-157 オヲンコト ナンヂモノヌシ
言われた。「汝、オホモノヌシの
10-158 クシヒコヨ クニツメトラバ
クシヒコよ、国(出雲)の女性を娶ると、その者は
10-159 ウトカラン ワガミホツヒメ
こちらの事がよくわからないだろう。我が娘のミホツ姫を
10-160 ツマトシテ ヤソヨロカミオ
妻として、大勢の臣達を
10-161 ツカサトリ ミマゴオマモリ
まとめ、御孫のアスカホノアカリ尊をお守り
10-162 タテマツレ タマフヨロギハ
申し上げなさい」。この時賜ったヨロギの宮には
ナメコトノ チクサヨロキノ
宮中で薬に使う千草万木があり、クシヒコは
【ナメコトノ チクサヨロキ】 「ナメ」は「嘗め」と読み、貴人に薬を進める時、まず嘗めて毒見すること(広辞苑)と解釈し、「ナメコト」はその仕事、役目。「ヨロギノミヤ」は、薬効のあるたくさんの草木が植えてある薬用植物園ともいうべき宮だったのだろう。滋賀県の琵琶湖の西岸にある安曇川町にあったと言われている。
10-164 ナオタダス コノミヤシレハ 
その草木を詳しく調べた。この宮の千草万木の薬効の知識を身につけ
10-165 ヨヨノタメ ヤメルオイヤス
世の中のために、病気を治す
10-166 ミチオワケ ヨツギハヒトリ
道を拓いた。クシヒコには世継ぎが一人いて
10-167 ヨロキマロ ミホヒコノツマ
名をヨロギマロミホヒコといい、その妻は
10-168 スヱツミガ イクタマヨリメ
スヱツミの娘のイクタマヨリ姫で
10-169 ソヤコウム コシアチハセノ
十八人の男の子を産んだ。またコシ国のアチハセの娘の
10-170 シラタマメ ソヤノヒメウム
シラタマ姫は十八人の姫を産んだ。
10-171 ミソムタリ ユタネヒタセハ
合わせて三十六人。たくさんの子ども達を育てるのに身をささげたので、
10-172 ミコトノリ タマフヲシテハ
アマテルカミは詔を下し、コモリカミという
10-173 コモリカミ セミノオカワニ
称え名を賜った。コモリカミはセミの小川で
10-174 ミソギシテ チノワニタタス
禊ぎをし、茅の輪をくぐり身を清める神事を
10-175 ミナツキヤ タミナガラフル
毎年六月に行った。それは民の長寿を
10-176 ハライナリケリ      
願う祓いである。
10-177  ミヨモノヌシミコノナウタ
「三代目大物主ヨロギマロミホヒコの御子の名の歌」
10-178 コモリコノ アニハカンタチ
コモリカミの子の、長兄はカンタチ
10-179 ツギツミハ ヨシノミコモリ
次ツミハ、(三は)ヨシノミコモリ
10-180 ヨツハヨテ ツギハチハヤヒ
四はヨテ、次はチハヤヒ、
10-181 コセツヒコ ナナハナラヒコ
(六は)コセツヒコ、七はナラヒコ
10-182 ヤサカヒコ ココハタケフツ
(八は)ヤサカヒコ、九はタケフツ
10-183 ソハチシロ ソヒハミノシマ
十はチシロ、十一はミノシマ
10-184 ソフオオタ ツキハイワクラ
十二はオオタ、次はイワクラ
10-185 ウタミワケ ツキノミコモリ
(十四は)ウタミワケ、(十五は)ツキノミコモリ
10-186 ソムサギス ツキハクワウチ
十六はサギス、次はクワウチ
10-187 オトマロゾ ヒヒメハモトメ
(十八は)オトマロである。一姫はモト姫